今日のうたたねと、花火と、さよならニッポン、夢みた人たちの苦悩と、【つまり、ある程度の満足が与えられている子どもはそんな貪欲にはならない。しかしして慢性的にオッパイの出の悪い母親の赤ん坊は、終戦直後の日本人のように絶えず飢餓に悩まされ、目の前にのものはむさぼって食べてしまわなければならないという心理とにたような心理になる。】
もう松茸の季節なんですね!今日も皆さん笑顔で終われたこと感謝です!
今日は先週延期になった花火がありました!遅番でしたのでお寿司が出るのかな?と思っていたら見事に(笑)出ませんでしたが、ご馳走でした。
花火はきれいでしたが、興味がない方はそれはそれで良いと思います。写真は敢えてそのままのサイズにしました。
下記のような状況にこそzoom等の、オンラインを使えないのでしょうか?不思議で仕方ありませんね。1年半zoomだけの講義を受けていても、全く支障はありませんでした!
本当に小此木先生の引用は分かりやすいですね。本当に愛された子は、どんな困難が来ても乗り越えることが出来ると言うものですね、それも大人になってからでも遅くはありませんし、それを利用者さんたちに感じて頂けるようにするのが自分達の仕事でもありますね!
現在読んでいるカーンバーグは、クライン学派の批判が最高潮に達したところです(笑)。個人的にはクライン派も自我心理学派も、フロイト派ですが........。その方に一番合ったやり方を選択するのがベストだと思いませんか?自分の考えがその方にとってのベストであるはずがない気もします。
愛の破壊性
〜つまり、ある程度の満足が与えられている子どもはそんな貪欲にはならない。しかしして慢性的にオッパイの出の悪い母親の赤ん坊は、終戦直後の日本人のように絶えず飢餓に悩まされ、目の前にのものはむさぼって食べてしまわなければならないという心理とにたような心理になる。
だから、このような飢餓感があると、なんでもかんでも取り込んで食べてしまうことになる。こういう状況で育った子どもは、どうしても安定したよい対象像が心のなかにできにくい。それは対象に対して、絶えず攻撃性が起こるからです。
どうして攻撃性が起こるかというと、愛情飢餓があるから、相手を取り込みたいという欲求が強い。ところが全部を取り込むことは不可能だから、相手に対して不満を抱いて攻撃的になるわけです。
すると、その攻撃性が向こうから、自分の心のなかに今度は悪い対象像ができあがってしまうことになる。
つまり、自分を満たしてくれないとか、自分に満足を与えてくれないとか、自分を拒絶するとか、愛してもらおうと思って相手がそっぽを向いてしまうとかの悪い対象イメージがよい対象のイメージよりも優勢になってしまうわけです。〜
もののあはれと、散歩と、お月様と、【この安定した内的対象の成立のプロセスを、メラニー・クライン的にいうと、いかにして妄想的・分裂的ポジションを脱出して、抑うつ的なポジションの課題を達成することができるかという問題になります。】
昨日は散歩とドライブに出ました。すっかり秋らしくなってきましたね。もののあはれを感じました。
遅番での帰宅時にお月様がきれいでした。
下記は、対面授業にこだわる先生方にも、耳が痛い話ですね!1年半zoomでの講義を受けた感想は、案外素晴らしい活躍をされておられる方々をゲストとして呼びやすかったり、海外におられるそういった方々も然りですね。ニューノーマルが既に始まっていますね。
「サークル文化は戻らないと思う」
先月、こんなツイートをしたのは明治大学の木寺元 教授です。
サークルなどを管轄する学生部で、副部長を務めています。
およそ3万人の学生が通う明治大学には、スポーツ系や人文系のサークルがおよそ300団体あり例年は新入生の8割ほどが加入。
ところが去年は、新型コロナの影響で新入生の加入率は1割以下に激減したといいます。
ことしの春は、緊急事態宣言が解除されたタイミングだったので、対面で勧誘活動ができたため、サークルの加入率は例年並みに戻ったそうですが、その後の感染再拡大を受け、活動を休止したり、オンラインにしたりする団体が相次いでいます。
せっかくサークルに入っても思うような活動ができず、1年生が辞めてしまっているといいます。
また、上級生にとっても試練が続きます。
コロナ禍で入学した2年生は、対面でのサークル運営のノウハウがありません。
先輩を頼ろうとしても、対面でのサークル活動を知っている3、4年生は就職活動や卒論などで忙しく、あてにしにくい状況です。
木寺教授はこれまでのようにサークルの文化を継承していくのは難しいと感じています。
下記も小此木先生の引用ですが、自分が現在行っているやり方を分かりやすく解説してくれているかのようです。妄想ー分裂ポジションから抑うつポジションにきちんと着地していただくことです。
〜ところが、幼いときに内的なよい対象像がつくりそこなおれると、ささいな挫折によっても、人生とか人間に対して決定的に絶望したり、不信が起こったりして崩れてしまいます。だから、いかにして内的なよい対象像が心のなかに定着するかどうかということが、幼い心にとってももっとも大きな課題なのです。
このような考え方はイギリスの対象関係論学派が、フロイトの考えをさらに深めたものなのです。
安定した恒常性をもった信頼できる内的対象がどのようにして成立するかについてはいろいろなとらえ方があります。基本条件としてはまず、母親がほぼよい母親、グッド・イナフな母親であることです。平均的な人を愛せる能力をもっていないと困るが、普通であればいいわけです。〜
〜この安定した内的対象の成立のプロセスを、メラニー・クライン的にいうと、いかにして妄想的・分裂的ポジションを脱出して、抑うつ的なポジションの課題を達成することができるかという問題になります。〜
あいちアルールュット搬出と、先日のうたたねと、【けっきょく、人間の心の健康さは、この内的なよい対象というものが、幼いときに父母、とくに母親との間でどれだけ心のなかにつくりあげられるかによって左右されるのです。】
以上がアトリエ・カーグの作品ですが、今回はバンドの映像もありました。こちらは入賞作が展示される3月には大型スクリーンで流されるとのこと!愛は勝つはもう一度やり直せば良かった(笑)。
段々レベルが上がってきていますね........。
一昨日はお菓子の差し入れがあったので、久しぶりにうたたね茶会を開催させて頂きました!
まだ小此木先生の引用ですが、愛着障がいの説明でもありますね。
〜けっきょく、人間の心の健康さは、この内的なよい対象というものが、幼いときに父母、とくに母親との間でどれだけ心のなかにつくりあげられるかによって左右されるのです。
だから、ある一定のよい内的対象像がつくりあげられていると、かなり悲惨な現実に繰り返しぶつかっても、人生に対する基本的な希望とか信頼感、あるいは人間に対する愛情などを失わないですむわけです。
現実がどのように悲惨であってもは次から次へとそれをよいものとして修復し見直していく生命力を持つことができるのです。〜
今日のうたたねと、日本ワイン 直面する課題 ブドウ畑で進む挑戦と、【それは、人間の心のなかにある母親像というのは、かならずしも純粋に客観的な母親の認知によってつくられるものではないということです。】
皆さん朝から楽しみにされていた 花火が結局中止........。19時過ぎに職員さんから電話があり何時でしたか?と聞かれましたが答えられず、調べたら中止でした。神社に皆さん午前中に行ったのに何も告示されていなかったとのこと。ネットでは15日に発表されていたようですが.......。お寿司を食べながら待っていましたが......。また来週お寿司?
気候変動はCO2だけの問題ではないのかも知れませんね?一つだけの問題ではなく、地球では熱くなったり、寒くなったりを繰り返してきましたし、自然破壊は猛省が必要ですが、本当にそれだけなのか?山火事も非常に多くなっていますね......。色んな要因があっての状態でしょうね。以前から山ぶどうなんかの酸っぱいブドウで酸味を足しているワインもあります。
北澤さんは5年前から、白ワインの代表品種「ソーヴィニヨン・ブラン」の栽培に乗り出しました。
しかし北澤さんは今、この人気品種の栽培が近い将来できなくなるのではないかと、懸念を抱いていました。
その理由は、上昇傾向にある「気温」でした。
気温の上昇によって、ワインの味わいを決める要素の1つ「酸味」が落ちていくのではないかと考えているのです。
下記を見ていたら、現在読ませて頂いているカーンバーグの境界例を思い出しました。元々持っている資質も感じ方の違いを産みそうですね。
心的現実性の世界 〜メラニー・クラインが心的現実性について研究をはじめた発端に、つぎのようなことがありました。 たとえば子どもを遊ばせると、この子どもはとても厳しい母親をもっているのではないかと思えるような遊びをする。人形に向かって激しく怒ったり、なにか気にくわないことがあると壊してしまう。するとこの子は母親にいつもひどく扱われているのではないか、あるいはとても厳しくされているのではないかと考えるわけです。
ところが、その子どもの母親に会ってみると、客観的にみてとてもやさしくて、子どもをぶったりたたいたりするような母親ではない。
また逆にの母親がとても厳しく子どもに対している場合、その子どもが遊んでいるとき意外に穏やかな遊びをしているということがあります(笑)つまり、子どもの心のなかにある母親像が恐ろしいものであっても、実際の母親が子どもに接している態度はとてもやさしい母親だという場合や、その逆の場合があります。 このことは一体どうしてだろうか、ということからメラニー・クラインの研究がはじまりました。それは、人間の心のなかにある母親像というのは、かならずしも純粋に客観的な母親の認知によってつくられるものではないということです。〜
カーンバーグと、昨日と今日のうたたねと、【メラニー・クラインは、よい母親像、悪い母親像が子どもの心のなかで統合されない最初の段階を、妄想的・分裂ポジション(paranoid schizoid position)と言っています。】
現在はカーンバーグを読ませて頂いています。まだまだ勉強不足なので、双極性障害的だなと思っていたら、カーンバーグの記述では境界例に近いのかな?と、考え直す機会を与えて頂きました。死ぬまで勉強ですね。
カーンバーグは自我心理学と、対象関係論を徹底的に比較しているので、興味深く読ませて頂いています。最近、エリクソンの凄さも遅ればせながら(笑)やっと理解出来、カーンバーグ、ジェイコブソンを読ませて頂いてから、エリクソンをきちんと読ませて頂きたいと思っています。カーンバーグもジェイコブソンも中々読み進むことが出来ませんが(笑)。今年中には読み終えたいと思って読み進めています。
昨日も今日も賑やかでした!毎日皆さん笑顔で終われることが出来ること、本当に皆さんに感謝です!
引用はしばらく小此木先生からです。もちろんカーンバーグにもクラインはよく引用されています。下記はクラインの代名詞的なものですね。自分の支援方法の基礎は下記です。
〜メラニー・クラインは、よい母親像、悪い母親像が子どもの心のなかで統合されない最初の段階を、妄想的・分裂ポジション(paranoid schizoid position)と言っています。
それからだんだんとよい母親像と悪い母親像が子どもの心の中で統合されてひとつになっていく段階を抑うつポジション(depressive position)と言っています。
ただしここで述べている赤ん坊の心のなかに形成される対象像としての母親像は、客観的な母親ではありません。赤ん坊のなかの心的現実性としての母親像なのです。
昨日のうたたねと、組織論の世界的権威、グラットン教授が提言!「ベテラン社員」の処遇はどうすべきか?と、【まずもっとも基本的な発達上の課題を、乳幼児の段階で見ると、母親あるいは母親に代表される自分でない人間に対する基本的な信頼(basic trust)の確立ということになります。】
昨日、出勤しようとしたらクツワムシがいました。真剣に鳴き出すと結構うるさいですが(笑)。
昨日も皆さん笑顔で一日を終えることが出来ました。
朧月がキレかったです!
下記の記事は本当にそうですね。ウーバーイーツとか、自分の空いた時間を有効に使うなんて、嘘らしい文句は要らないですよね?本当はみんな安定を求めているのではないのか?と思うのは自分だけでしょうか?生活が出来る最低ラインのものがあって、それらの職業を選ぶのなら良いのかも知れませんが、毎日仕事があるのか?ないのか?なんて自分はノイローゼになってしまいます。そのためにもしっかりとした事業をさせて頂きたいと勉強させて頂いています。おこがましいですが、利用者さんと職員を守るのが自分の仕事です。
年齢を重ねておられてもしっかりとした考えを持って、きちんとした支援をされる方もいますし、若くてもしかりですし、その逆もしかりです。
まがいなりにも、人様からお金を頂くのなら、毎日しっかりと現場に向き合い、個人的にも学習を欠かさないようにしなくては成長は止まってしまいます。
● 準備せずに転職できるなどと考えるな 40代の過ごし方が重要 グラットン 離職率が高いとコストがかかるため、大企業は最も有能な人材を採用して長く働いてもらいたいと考えるものです。そうした意味では、労使双方にとって「安定」はいいことです。 ですが、同時に「柔軟性」も必要です。「50歳以上の人は一律にリストラすべきだ」などという、年長者に対するステレオタイプ的な見方には大いなる注意が必要です。 私と、『LIFE SHIFT』や『LIFE SHIFT 2』の共著者でもあるアンドリュー・スコットが再三指摘しているように、年長者は知識に富み、物事の本質を見抜く力があります。企業は、従業員を年齢でひとくくりに扱うべきではありません。 従業員研修や未来のための制度の構築において、真のゴールは「柔軟性」です。採用する人材のタイプや年齢、スキルなど、柔軟性に富んだ組織づくりを実現することが日本企業に求められることです。 もちろん、働く側も、生き残るためには新しいスキルを学び続けなければなりません。ライフロング・ラーニング(生涯学習)が必要です。
エリクソン自体、表は見るだけのものみたいな発言をしいていました。勿論、その時期時期に必要な発達段階はあるのでしょうが、大人になって方でも大丈夫です。現場に居たら、そんな感じに良くなります。自分も大人になってから乳幼児期の発達段階をやり直したり、やり直してもらったりしましたし、今でもあります。
二面性をもつ母親像 エリクソンは、人間の心が発達していくに従って、それぞれの発達の段階で、つまりライフサイクルの各段階で達成しなければならない発達上の課題があると言っています。 まずもっとも基本的な発達上の課題を、乳幼児の段階で見ると、母親あるいは母親に代表される自分でない人間に対する基本的な信頼(basic trust)の確立ということになります。
それは、すでに述べているように、母親は安定したいつも同一の存在であって、その母親に対して一定のかかわり方をすれば一定の反応が返ってくるという母親の同一性(アイデンティティ)に対する信頼をもつことだというのです。〜
今日のうたたねと、1からわかる!新型コロナ(3)一体、いつまで続くの?【2021年夏 改定版】と、【 純粋に身体的、生理的なレベルで子どもの自律的な機能が未発達なので、母親がそれらを代行する。そこからはじまって、赤ん坊は、すべての面で母親の調整によって支えられているわけです。】
今日も皆さん笑顔で終われたこと感謝です!
下記は本当に考えさせられますね.......。終息と収束......。
私たち人類にとっては、克服できていない感染症が非常に多いんです。
「シュウソク」って、実は「収束」と「終息」があるんです。
世界中から感染者が一人もいなくなる「終息」には多分ならなくて、「収束」を目指すということになると思います。
今回も現場で支援方法を構築するときに先ずは考えないといけないことですね。今日はベテランの支援者が下記をイメージできるような支援をし、あることをその方に内在化していました。見習うべき支援でした。
2心の中の母親像 内的対象の形成
母と同一化する自我
〜外在自我の機能とは、かならずしも精神機能だけでなく、もっとフィジカルなレベルからはじまっています。赤ん坊は、生理的にも自分自身での自律機能はない。
呼吸にしても、自分では十分にできないので母親がヨイヨイしてあげたり、体温の調整機能も悪いので母親暑い所に出したら日射病になったり、寒い所では凍え死んでしまう。だから母親はそれを調整してあげる。
純粋に身体的、生理的なレベルで子どもの自律的な機能が未発達なので、母親がそれらを代行する。そこからはじまって、赤ん坊は、すべての面で母親の調整によって支えられているわけです。〜
昨日のうたたねと、【まず、子どもの表現を読みとって、それを解読して伝えてあげるというコミュニケーションの機能。】
昨日は女子が博物館に行かれた様子。葉っぱ切り絵と田原の作家たちを見に行かれたのですね!
下記は現場でも必要な能力ですね。
母親らしさの追求
〜まず、子どもの表現を読みとって、それを解読して伝えてあげるというコミュニケーションの機能。ここでは子どもの信号に対していつも心配りができるということが前提になります。次に、母親としての安定性。つねに子どもに対して、自分は母親に支えられているという安定感とか、愛されているという気持ちを子どもが持てるようにすることですね
それから、必要に応じて子どもの必須の欲求を満たしてあげること。なにもこれは栄養だけでなく、愛情や感情的なものなどを含めて子どもの欲求に適切にこたえるということです。
今日のうたたねと、1年休学しますと、“日本経済の体温計”が変わった!影響は?と、【このコミュニケーションがうまくいかないとどうなるか。フランスの精神分析者ラカンの概念でフォルクルージョン(forclusion)というのがあります。日本語では排除と訳されていますが、その意味は、意味するものから意味を排除するということです。】
今日は久しぶりに快晴!暑いですね!男子だけすろーの湯に行きました!
家の読み終えた本をいくつか持っていきましたが、全部入りきりませんでした.....。まだまだ沢山ありますが、本棚を買わなければ持っていけませんね.......。
読んでくれると言う職員がいて、涙が出そうになりましたが、ぐっと我慢しました(笑)。人様にいくばくかの報酬を頂こうと思うのなら、その道の本当のプロにならなければいけませんよね?それには日々現場に真剣に向き合いながら、一人で書物を読むなりの勉強が必要、両方必要ですね。
新しく入ってくれた若い職員がOJTを作成したいと言うので、こちらは大学院で使ったものや、レポート用に購入した本と、自分の大学院のレポートをいくつか持っていきました。
帰宅時(20時過ぎに)にまだこんな気温........。
コロナの関係で、1年間大学院を休学することにしました。結局、面接試験の時しか校内に入っていなくて、先生も対面で話せたのは、面接官だった井坂聡先生だけです。退学も考えましたが、なんやかんやあった上での休学です(笑)。
あまりよくない(笑)成績ですが、後は対面の必須科目(土曜日の)だけ残っています。石橋善一郎先生の講義を受けられただけでも幸せでした。出来の悪い自分になんとSです!このSだけは本当に誇りに思います!
下記の記事のタイトルを見ても、全く意味が分からず(笑)、読んでみたら納得しました。
5年ぶりに見直しが行われたということですが、どう変わったのですか?
永野解説委員
指数の計算のしかたが変わったんです。「基準改定」と言って、具体的には価格を調査する品目を入れ替えました。
総務省は「消費者のライフスタイルの変化に合わせた」としていて、およそ30品目になります。
除外されたのは、◇固定電話、◇ビデオカメラ、◇辞書などです。
阿部アナ
なんとなく共通点が分かります。スマートフォンの影響ですよね?
永野解説委員
守本アナ
消費者物価指数の調査品目から「時代の移り変わり」が見えてきますね。
約30年以上前に書かれた小此木先生の本で、モラトリアム人間が書かれていますが、この時代、それがもっと進化しすぎてしまっている感もあると思うのは、時代について行けていないからでしょうか?オンライン・オフラインと言っても、まだまだ本質の所は、人間同士の信頼関係の上に立っている気もします。その原風景が、下記には書かれています。
意味だけが排除される世界
このコミュニケーションがうまくいかないとどうなるか。フランスの精神分析者ラカンの概念でフォルクルージョン(forclusion)というのがあります。日本語では排除と訳されていますが、その意味は、意味するものから意味を排除するということです。〜
〜子どもがおなかがすいて泣いているのに、母親に空腹とか食欲という情緒的観念がないと、「なに泣いているの」ということになってしまいます。子どもはそこで、漠然とした空腹に切迫された苦しさとか不安とかを感じている。それなのに、何も満たしてもらえないし、意味も伝えてもらえないということが起こります。
その世界は、とても恐ろしい不気味な世界です。自分のなかには、生理的な反応とか、感情とか呼ばれるべき肉体現象が起こっている。それなのに、自分のなかに起こっていることが、みんな世界でも起こっていることで、それが悲しみというものなのだという意味づけもなされない。その感情の意味づけがなされないものを体験している世界は、大変不気味なものです。
ある種の母子関係でそうしたことが起こります。そして、それがひどい場合には分裂病的な世界になってしまう。そして正常な母子関係と分裂病的な世界の中間に、意味の読み誤りの世界というのがあります。
何となくキレイと、「既存のもの」に甘くて「新しい技術」に厳し過ぎない?と、【母と子の間に生まれるこのコミュニケーションを、わたしはエロス的コミュニケーションと呼んでいます】
今日は夜勤明け。珍しく明けてから一寝入りして外に出ると、キレイなものに沢山巡り会えました!
下記には激しく同意してしまいました。でも技術だけではありませんよね?
<問題は山ほどあっても「既に存在するもの」は大目に見られるのに、自動運転車や電動スクーターなど「新たに導入されるもの」には必要以上に厳しい基準が課される>
下記はウィニコットですね。自分だけが自分だけのやり方で、いくら相手のことを思ってやったと言われても、迷惑でしかない場合も多々あります。お互いがお互いを尊重し合ってからでないと、当たり前ですが、一方の気持ちしか伝わらなくなりますね。それはどんな関係でも言えることではないでしょうか。
エロス的コミュニケーション
〜子どもの信号を正確に読み取るためには、母親がマターナル・プレオキュペーションを向けて子どもと共感していくことが重要な意味を持つのです。母親は、自分が子どものときに自分の母親にそうしたことをしてもらっているということが基礎になって、自分の子どもにもこうした対応ができるわけです。
これはセックスにもそのままあてはまることです。男女のセックスも相手のニードをお互いに読みとって満たし合うというコミュニケーションなのです。お互いに読み取り合って、与え合うことができるという能力がグッド・イナフな、ほぼ平均的な人間には備わっています。だからこそお互いのコミュニケーションがうまくいくわけです。フィジカルな例では、赤ん坊と母親、男女のセックス、それだけでなく、一般の人間関係もほんとうはお互いの欲求を読み取り合い、満たし合っているのです。
母と子の間に生まれるこのコミュニケーションを、わたしはエロス的コミュニケーションと呼んでいます。人間にとっていちばん基本的な能力です。それをニード・フォー・パーソナル・リレーションと呼んでもいいし、エロス的コミュニケーションと呼んでもいい。それが母と子の間で培われる。そしてこのような、お互いの一致を求める欲求がエロスと呼ばれるものなのです。