うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

きれいな空と、今日のうたたねと、英国 一日の新規感染者4か月ぶり1万人超と、「死」を考えて描いた絵画。草間彌生展がオオタファインアーツで5年ぶりに開催

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 本が来ました。少し読みましたが分かりやすく的をついている感じがしました。
心理的安全は本当に必要で、利用者さんだけでなく支援者にも必要ですね。

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 今日も空がきれいでした。思わずシャッターを押してしまいます(笑)。

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 ブドウが段々大きくなってきますが、毎年この時期を乗り越えて欲しいと願ってばかりですね!
早く梅雨が明けてくれたら病気にもならないし。無農薬・無肥料なので(笑)、本当にお天気次第ですね!

 今日は女子も男子もすろーの湯に行きました!
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 1回の接種だけでは安心できないと言うことですね!職員も昨日から接種が始まりました!
 インド型変異ウイルスには1回のワクチン接種だけでは効果が低いことが分かっていて、イギリス政府は規制の全面的な解除を来月中旬まで先送りし、2回目の接種を急ぐ方針です。
news.yahoo.co.jp


news.yahoo.co.jp


 今日は難しい引用はなしです(笑)。たまにはそういう日もありですね!

今日のうたたねと、米最高裁、オバマケアの無効化求める共和党の訴え退けと、【神経症や境界例(神経症から精神病にずれ込んだもの)の患者や、そして通常の主体においても、「主体にとって苦痛でしかないこと」が悪夢や強迫的命令、意図せざる無意識的行為などの形で、「くり返し」生じることが知られているが、それは、主体は不快を避け快感を最終的に求めるはずだ、という「快感原則」(および現実原則)の仮説と明白に相反している。】

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 たくちゃんの、夏用の敷布団が非常に気持ち良くて、まりちゃんも試させて頂いてました。肩こりが治りそうな感じがしました。3万円。肩こりが治れば安いかも知れませんね!

 たくちゃん優しい!

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現場は今日も賑やかでした!明日も賑やかになりそうです!

今日も1日笑顔で終えたこと、皆様に感謝です。
 

 なんでも欧米が優れているとの風潮。もうやめにしませんか?色々な国にはその背景があり、同じようには出来ません。

 オバマケアでは、保険会社が既往症を理由に保険加入を拒否することが禁止され、子どもは26歳まで親の医療保険に加入できることになっている。 原告側は個人の保険加入を義務付ける同法の主要条項は違憲だなどと訴えたが、最高裁は17日、この違憲性そのものには踏み込まなかった。 同法により、低所得者数百万人が医療保険へ加入できるようになった。 ホワイトハウスは今月初め、過去最多となる約3100万人の米国人が医療を受けられるようになったと発表した。


 有名な糸巻き遊びですが、科学的与件との記述があります。月曜日は産業心理学フロイトの件で受けたくない気持ちの方が勝っています(笑)!

2 糸巻遊び
 復強迫」ーーこの論文は表題にある通り、フロイトの初期仮説である「主体は快感原則ーーつまり常に緊張を低減させようとする方向に従って運動する」という仮説を抜本的に訂正したものである。

   の論文はフロイトの他の著作と同様、複数の論点と錯綜した内容をもっているが(それゆえ後に多く理論的示唆を与えることとなった)、ここで基本的に検討されているのは、「反復強迫」という、精神分析の経験にとって最も基本的な科学的与件を、体系的に理解することである。

   経症や境界例(神経症から精神病にずれ込んだもの)の患者や、そして通常の主体においても、「主体にとって苦痛でしかないこと」が悪夢や強迫的命令、意図せざる無意識的行為などの形で、「くり返し」生じることが知られているが、それは、主体は不快を避け快感を最終的に求めるはずだ、という「快感原則」(および現実原則)の仮説と明白に相反している。

   れゆえこの問題の処理は、フロイトの体系の維持のために不可欠だったし、しかも彼は優れた直感により、「反復強迫」が主体にとって何か「本源的な」ものを表していることを、その豊富な治療活動から気づいていた。

 して、この問題を論ずる過程で、彼がたまたま出会ったエピソードが有名な「糸巻遊び」の情景である。したがってこの「糸巻遊び」の話は、彼が神経症から得ていた主体・対象・言語の成立にかかわる科学的与件を、いわば逸話的に圧縮したものである。

昨日と今日のうたたねと、3回目のPCR検査と、頑張れ香港!と、【しかし精神分析は、意味が症候として現出するこの隠喩という現象が、通常の意味創出機能の停滞としてあるような神経症を解く鍵であり、分析の実践の鍵であることを確認した。】

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 またまた、アップを忘れていて(笑)、一日遅れになってしまいました。昨日はお天気が良くて、暑かったですね!
 

 

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 3回目のPCR検査が終わり、主任さんが今日一日大変忙しく動いてくれていました。お疲れさまでした!

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 今日も一日皆さん笑顔で終われたこと、感謝です!

 頑張れ!香港!繰り返しますが、国連は何のためにあるのか?


 精神分析を否定する先生の下では教えを請いたくないな~。自分は3年での卒業になったので、パスしようかな?どんな立派な理論だって、それ通りに行くなら深い学びは要らないし、応用が出来ないのなら何の進展も望めないと思われます。 

  かし精神分析は、意味が症候として現出するこの隠喩という現象が、通常の意味創出機能の停滞としてあるような神経症を解く鍵であり、分析の実践の鍵であることを確認した。

  して、世界や主体の想像的な統一性として存在するような、存在の「意味」(世界や主体の統一性とは幻想にしかすぎないために、まさにこれは非意味の領域でしか構成できない)は、この隠喩の作用によって可能になっていることを提示した(ラカン1961)。

昨日のうたたねと、マスクに「JIS」規格制定へ 飛まつ防止の効果など要件にと、【なぜならシニフィアン(意味するもの)にシニフィエ(意味されるもの)が一義的に結合していると考える従来の言語においては、全く関係性をもたない語同士が結びつく隠喩、とりわけそれが極端に現れる詩の例などは、言語の逸脱的使用例として片付けるしか説明は不可能だからである】

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 またまたアップし忘れてました!

昨日も暑かったですね。散歩は少なめにして、熱中症予防で、まめに水分補給しました。今日は肌寒い!

 

 今までなかったんですね!


 

  下記は、ラカンを敬遠してしまう要因でもありますね(笑)。

 逆にこの辺りを理解できたら、少しはラカンを理解できるのでしょうか?

4 精神分析的アプローチによるコミュニケーションの構造
1 隠喩
 カン(1981)は、コミュニケーションを根底的に支える機制は「隠喩」であり、また主体とは「隠喩」によって構成されていることを示唆した。ここまず従来の言語学における「隠喩」概念を確認しておこう。

 喩は、言語学においては、意味における臨界的な事象であること隠喩は、何かを他のものによって示す(たと「人間は一本の葦である」)伝統的なレトリックの一形態であるが、ヤーコブソン(1969)によって、言語の結合の2類型である、「隠喩ー相似関係(共時)」、「換喩ー隣接関係(通時)」のうちの一つとして示された。

 「喩」はこのように「相似ー選択関係」として措定されるように、「一杯飲む」といった隣接関係の換喩に比べ、もとの解離も激しいゆえ、言語学及び意味ロールにおいても常に論争の焦点となってきた。

 喩についての数多くの議論はいまだに決着がついておらず、隠喩は、言語学、意味論の内部においてはいわば死角(すなわち症候)となっている。

 ぜならシニフィアン(意味するもの)にシニフィエ(意味されるもの)が一義的に結合していると考える従来の言語においては、全く関係性をもたない語同士が結びつく隠喩、とりわけそれが極端に現れる詩の例などは、言語の逸脱的使用例として片付けるしか説明は不可能だからである。

散歩と、マスクで熱中症のリスクは上がるの?と、【しかし精神分析は、症例の検討から、これ自体全く自明ではない、いわば一つの「社会的・人工的」構造であることを提示するものというのも、言語と主体は元来別のシステムであり、それは他者を通じて言葉が与えられる微妙なシステムを通じてのみ、結果的に結合することができるからである。】

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  午前中に雨が止んだので、散歩に出かけました!海風が気持ち良かったです!

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  午後からは音楽を聴いたり、お風呂!ですね。ゆうちゃんが入ると、ナイヤガラの滝のように浴槽からお湯が..........。




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 個人的には、入浴介助もコロナ以前からやっていたので、全く苦になりません。が、慣れない方々は大変ですね!


 樫村先生の本に戻りました。今日は産業心理学の講義がありましたが、フロイトを批判的に見る先生でした。少し残念な気持ちになりました。フロイト批判される方々は、フロイトをそのまま使おうと思うからではないでしょうか?フロイトを今ここで起こっていることに応用できなければ、無理ですよね?

6 ラカン派的理論枠組に向けての従来理論の検討
 〜「ミュニケーションの可能性」という問題において、従来の枠組みは、コミュニケーションの最も基底的要素であるはずの「主体」や「言語」の構成について、全く疑義をもっていないのだが、じっはこの、主体と言語の構成、そして主体と言語の結合という問題と、コミュニケーションの存立可能性は深く関与している。

 神分析は、この問題を症例の検討から発見した。この点は、デヴッドソンの真理論とも関わることであるが、意味作用や言語の使用能力とは、何ものにも裏付けられないはずの、自身や世界の「真理」を措定できる能力と通底している。

 とのコミュニケーションの可能性とは、まずもって、このように主体や世界の構成に関わるのであり、さらに主体と言語の結合に関わるのである。

 来の社会学理論では、社会の存在やコミュニケーションの存在が自明であったように、「もともと他者から与えられた言葉を自分のものとして使え、自分の言葉や意識が自分のものだという感触があること」は、やはり自明であった。

 かし精神分析は、症例の検討から、これ自体全く自明ではない、いわば一つの「社会的・人工的」構造であることを提示するものというのも、言語と主体は元来別のシステムであり、それは他者を通じて言葉が与えられる微妙なシステムを通じてのみ、結果的に結合することができるからである。

アトリエ・カーグと歌のないバンドクラブと、今日のうたたねと、民主活動家の周庭氏が出所 国安法違反の捜査は継続 香港と、【最初に基軸となる概念のみを提示すると、その三つとは、他者が「象徴的他者」、「想像的他者」、「現実的他者」として主体に現れる過程であり、この最後の「現実的他者」が、真の性的他者である。】

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  今日はアトリエ・カーグの日でした!アーティチョークが画題でしたが、自分はバンドとパシリなので、ゆっくり作品を見ることが出来ませんでした。

 

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  ギターをじゃら~んと鳴らすとみなさん顔つきが変わります!後は成り行き任せのリズムでやり通しました!

 

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  午後からは男子だけすろーの湯に行きました。花も虫も盛んに咲いたり、動いたり!夏ですね!

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 夜はいのうえっち劇場!変身したり(笑)、お化け屋敷をしたりで、皆さんを楽しませてくれました!

  今日も一日笑顔で終えることが出来、感謝です!

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 終わった画題はお地蔵さんの所にありました!

 


 何のためにG7があったのか?それを見据えての開放に決まっているのでは?国連はアップデートしないと、心理学化された社会・世界ではもう通じなくなっていますね!頑張れ香港!


 周氏はその後、自身のインスタグラムに一面真っ黒の画面を投稿。雨の中集まった支援者をねぎらい、「苦痛の半年がやっと終わった。とても痩せて弱ってしまったので、これからゆっくり休んで体調を整えます」とつづった。

 

 まさしくラカンですね!ここだけ切り取った意味をもうすでに忘れて仕舞っています........。これから教科書も入れたら2桁の本は読ませて頂いていますので。

 〜精神分析的な過程、言い換えれば現前する他者が主体にとって性的他者となる過程は、大きく分けて三つの局面を通過する。

 初に基軸となる概念のみを提示すると、その三つとは、他者が「象徴的他者」、「想像的他者」、「現実的他者」として主体に現れる過程であり、この最後の「現実的他者」が、真の性的他者である。

 の三局面は精神分析では、分析家に「転移」が生じ、分析家が「対象a」の場所におかれ、そして分析家が「もの」となる三様相である(ラカン1978)。

クラインとビオンの臨床講義と、着せ替え遊び(笑)?と、香港 周庭氏が刑期を終え出所 大規模抗議活動に関連で収監と、【道徳の座と目される超自我の摂理をもってしても、確たるものはなんら保証されえない状態が、われわれ人間存在の根拠的なあり方である。】

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 本はこちらに入りましたが、分かりやすくて理解できていない部分も、もう少し深く理解できそうです。まだまだですが........。

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  寝込んでいる間、ネットサーフィンするしかなかったので(笑)、色んな所を開き勉強もしましたが、ちょっと遊んだりもしました(笑)。高くて購入できませんが、遊ぶのは自由かな?こんなコーディネートで秋から大学院に行けたらいいなと思いました!

 

 今はゆっくりしてください!頑張れ香港!

周氏が最後に支援者を通じてツイッターでメッセージを投稿したのはことし2月でした。

日本からの激励に感謝を示したうえで「刑務所での生活は心身ともにつらいので、6月に刑務所を出たら、少し身体を休ませたいと思っています」とツイート。

これを最後に更新は止まっていました。


【香港=吉岡みゆき】無許可集会を扇動したなどとして実刑判決を受け、服役した香港の民主活動家・周庭氏(24)が12日、出所した。

 

 少しアップが前後してしまいました。こちらは竹内均先生の本からです。心理学的草稿についての記述の続きです。世界中で沢山の方々がフロイトについて色々と論評されています。

第四節 超自我の二つの顔ーー「草稿」へ
 〜の上でナシオは「殺人行為は、冷酷な超自我の命令によって誘発される場合が多い」と述べ、「犯罪者の超自我が弱いと考えるのは誤りである」と断じている。

 の主張に従えば、社会学が主に目を向けてきたのは、どちらかというと「超自我の表の顔」の方であり。超自我のもう一つの顔は、たとえばウェーバーやデュルケムの著作などの中にその姿を垣間見ることができるきしても基本的に扱いづらいものだったといえよう。

 た、石澤誠一は、『翻訳者としての人間ーーフロイト=ラカン精神分析の視座』において、超自我エスの関わりの重要性を強調している。

 自我の背後に厳然と控えるエスの存在が看過ごされてはならない。フロイトの展開した第二局所論にある「心的人格の解明」の与える通常の理解によると、エス超自我と自我とはそれぞれに心的機能領域を分かち合いバランスを保つことにより、理想の上では安定した心的人格を具えた主体が保たれるかのようだ。

 超自我による自我のコントロール機能の背後に潜むものが、そうしたバランスなどなきものにしてしまう。道徳の座と目される超自我の摂理をもってしても、確たるものはなんら保証されえない状態が、われわれ人間存在の根拠的なあり方である。

なんかええ感じと、香港活動家・周庭氏、12日にも出所 香港紙報道と、スティーヴ・クロッパー、最新ソロ作のインタビューでジミヘン/ブルース・ブラザーズ/アイザック・ヘイズとの逸話語ると、【「態度取得」とは、例えば新生児が自分の泣き声に対する他者の態度を取得することによって他者は反応を内在化させ、その視点から自分の泣き声の意味を自分の態度取得生理的な移入させる事態であるとする。】

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 寝込んでしまっているうちに(笑)6月もこんな日にちに!色々書類があるので焦っていますが、まあ仕方がないですね(笑)。今日はがぁ~!と書類作成を進めました!

 皆さん優しくて復帰は日曜日からでいいとのこと。嬉しいような悲しいような(笑)。自分がいなくても問題なく動くのなら、自分は本職に戻りたいですね。ネットで作品を売って生計をたてたいなと、老いぼれロッカーは思うのでした(笑)。

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 床に伏している間、最初は痛みに耐えるだけで(笑)、全く何も出来ず伏していることしか出来ませんでしたが、少しずつ回復してきたら、本くらいは読めるようになり、ビオンは読みかけでしたが、2冊読むことが出来ました。

 

 利根川先生の本は少し前のものですが、こんな前にこれだけDNAについて分析出来ていて、

抗体遺伝子の組み換えが出来るのなら、もういい加減コロナウィルスに対して......とも思いますが、相手も組み替えるので(笑)、変異種が出てきたらまたお互いの組み換えが始まってしばらくは堂々巡りでしょうか?

 

 ビオンの後期は、その精神分析の場自体がアートになっている気もしましたし、本当にクライエントに完全に同一化して、内部から逆に分析家(自分)を見ているようにも感じました。

 

 世界が注目する記事ですね!どの様な状態になって出て来られるのか、世界は見ています!


  少し元気になったら、サザンソウルやジャマイカ・スカ等など、モッズ系の音を聞いてました。下記は寝込む前にアップしていたものなので、少し前のものになってしまいましたね。忌野清志郎のギタリストのチャボさんはスティーブ・クロッパーをリスペクトしていたかのようなギターでしたね。

 新作『Fire It Up』はどのようにして生まれたのですか?

「意図的に作られたものではなく、ロックダウン中に生まれたものなんだ。1969年のデビュー作『With A Little Help From My Friends』以来の本格的なアルバムだと思っているけど、あれもとても自然発生的なものだった」

計画的ではなかったのですか?

「いくつかの曲は、3、4年前に作られたものだ。ジョン・ティヴン(共同プロデューサー、マルチ・インストゥルメンタリスト)が、それらを改良して新しいものを書くことを提案してくれた。僕は彼にシンガーを見つける必要があると言ったら、彼は“ロジャー・C・リールがいる。彼に2曲ほど歌わせて、それを送るよ”と言っていた。僕はそれを聴いて、彼に電話をした。“なんてこった、こいつは今までどこにいたんだ?” あんな風に歌う人は今まで聴いたことがなかった。彼は素晴らしいよ」

 

 

 ビオンの本では、達成言語がキーワードになってましたが、下記は態度取得がキーワードでしょうか?

 小泉英明先生の脳の科学史に、ミラー・ニューロンとミラー・システムの違いが書いてありました。ミラー・ニューロンの解釈があまりにも拡大し過ぎて、使い方に問題が出て来たようです。

3 ミード
 〜ーバマスの議論が身体離脱し、ルーマンの議論は主体を解体しているとすれば、主体の身体から出発するミード論は、さらにそこに介入する他者の作用を挙げている点で、最も可能性があると考えられるが、その可能性を具体的に見てみよう。また西原の批判を受けて、ミード論の問題点を具体的に検討してみよう。

 ード論のコミュニケーション論の鍵概念であり、コミュニケーションの行為の基礎講座、他者の「態度取得(taking the attitude of the other)」とは、字義通り「態他者の態度を自分に態度として取得すること」であるが、それは、全く生理的に、参加者の意図や自覚といった意識的回路とは無関係に(それ以前に)生じる過程であるとされる。

 ードは、新生児において書いた他者の「態度取得」の能力が保証されているとし、「態度取得」は自我意識に先行するものであるとする。

 度取得」とは、例えば新生児が自分の泣き声に対する他者の態度を取得することによって他者は反応を内在化させ、その視点から自分の泣き声の意味を自分の態度取得生理的な移入させる事態であるとする。

今日のうたたねと、大坂なおみ、全仏棄権に心配の声 WTA創設者「うつ公表は勇敢」セリーナ「ハグしたい」と、メラビアンの法則と、【ゆえに自己意識は、すでに生物の領域ではなく、言語の領域にあるとされる。】

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今日は、新しい職員さんにうたたねの外にある施設と、来年度完成予定の増改築前の物件を、皆さんと見て回りました。図面は既に出来ているので、春には開けるように工事が進む予定になっています。設計士さんやブレーンの方々には本当にお世話になっています。


 プロなら当たり前?本当にそうかな?プロだからこそ、心身ともに万全にしておかないと、いけないのではないでしょうか?うつだから、今回は突っ込んだインタビューはごめんなさい!と言ってはいけないのでしょうか?本当に多様性を強く主張する、今回はメディアが、多様性を認めないというのはどういうことでしょうか?自分の気持ちが塞いでいる時に、きちんと受け答えができるのでしょうか?自分にはむりですね!

自身のSNS全仏オープンの欠場を表明

大坂なおみ【写真:AP】

 

 脳科学の本を読んでいたら、言語は聴覚優位みたいなことが書かれていました。視覚優位が言われる中、不思議な感じもしましたが、元々文字ではなく言葉から始まったと考えれば、当たり前のことなのかもしれませんね。ハリー・スタックーサリヴァンも バーバルではなくて、ボイスだと言っていた気がします。 

 そういえばメラビアンの法則というのもありましたね。

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この研究は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションについてを扱う実験である。感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方について、人の行動が他人にどのように影響を及ぼすかというと、話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。この割合から「7-38-55のルール」とも言われる。「言語情報=Verbal」「聴覚情報=Vocal」「視覚情報=Visual」の頭文字を取って「3Vの法則」ともいわれている。

 

  〜のような考えに基づいて、マトゥラーナ(1980)のコミュニケーションの規定を見てみると、そこでは、システムの構成がまず生物においてある種の創発性を持つこと(自分自身の状態との相互作用=自己認知を可能にする)、さらに、そのような神経システムを基礎として相互作用の方向付けといった、生物間の非物理的相互としてのコミュニケーションが 創発的に生まれてくることが提示される。

 して、人間には、さらに、この自分自身の状態が、合意領域で習得された方向付け相互作用(言語)から生じるものである時に、これについての第二次記述をし、自己観察、自己意識を生み出すとする。ゆえに自己意識は、すでに生物の領域ではなく、言語の領域にあるとされる。

 

 

 メラビアンに興味を持ったので、少し調べてみました。

 

 メラビアンは、言語によるメッセージと非言語メッセージを比較してどちらが重要か調査した結果を出版したことによって世間に知られるようになった。人間の感情やコミュニケーションに関する研究を行ってきたほか、投資の心理学や子供に与える名前の良し悪しなど一般の関心の高い事柄に関しても著書を出している。

 

彼が発見した、感情や態度について矛盾したメッセージが発せられたときの人の受けとめ方は、世界中の人間関係についての研修やセミナーなどで誤解して引用され、「メラビアンの法則」、「7-38-55のルール(7%-38%-55% Rule)」と呼ばれていることも多い。

 

コミュニケーションの三つの要素 編集

1971年の著書『Silent messages(邦題:非言語コミュニケーション)』における調査では、メラビアンは次のような結論を出した。まず、人と人とが直接顔を合わせるフェイス・トゥー・フェイス・コミュニケーションには基本的に三つの要素があることである。

 

言語

声のトーン (聴覚)

身体言語(ボディーランゲージ) (視覚)

そして、これら三つの要素は、メッセージに込められた意味・内容の伝達の際に占める割合が違う。彼によれば、これらの要素が矛盾した内容を送っている状況下において、言葉がメッセージ伝達に占める割合は7 %、声のトーンや口調は38 %、ボディーランゲージは55 %であった。

 

効果的で意義のあるコミュニケーションをするためには、これら三つのメッセージ要素が、メッセージの意味を正しく伝えるように互いに支えあう必要がある。つまり三つの要素は一致する必要がある。しかし要素間に不一致・矛盾が発生した場合は、メッセージの受け手は異なる回路から異なる伝言を受け取り、異なる情報を与えられるため、不快な思いをすることとなる。

 

次の例は、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションに不一致が生じた場合である。

 

言葉: 「君は悪くなんかないよ!」

態度: 目線を合わせない、浮かない表情をする、等

この場合、受け手はコミュニケーションにおいて優勢な要素のほうを受け入れる傾向がある。すなわちメラビアンに拠れば非言語コミュニケーション(38 + 55 %)のほうを、言ったとおりの言葉(7 %)よりも信用する。

 

ここで重要なことは、それぞれの研究において、メラビアンは感情や態度(すなわち、好意・反感)の伝達を扱う実験を行ったことである。つまり単に事実のみを伝えたり要望をしたりするコミュニケーションの場合には無関係である。加えて、メッセージの受け手が声の調子や身体言語といったものを過度に重視するのは、メッセージの送り手がどちらとも取れるメッセージを送った状況でのみ発生することである。非言語コミュニケーションの占める合計が93 %に及ぶのは、言っている言葉(言語)と、とっている口調や表情(視覚、聴覚)に矛盾が発生する場合のことである。

 

交流分析#ゲームとその分析」も参照

メラビアンの法則の誤解 編集

メラビアンの「7-38-55のルール(7%-38%-55% Rule)」は彼の研究結果より誇張されて一人歩きしている。中には、どのような内容のコミュニケーションや、どのような状況下でも、メッセージの意味は大半が非言語コミュニケーションによって伝達される、と主張する者もいる。

 

限定された状況下でのメラビアンの調査の結果をどのような状況にもあてはめる過度の一般化は、いわゆる「メラビアンの法則」をめぐる基本的な誤りである。メラビアン自身も自分のウェブページで、「好意の合計 = 言語による好意7% + 声による好意38% + 表情による好意55%」という等式は好意・反感などの態度や感情のコミュニケーションを扱う実験から生み出されたものであり、話者が好意や反感について語っていないときは、これらの等式はあてはまらないと言明している。[1]

今日のうたたねと、【独自】介護施設の入所枠増、主要自治体8割で未達成…「運営事業者集まらない」と、【こうして神経システムは作動において、ことに構成素の産出において一貫した閉鎖系をなし、同時に環境との関係においては、内部も外部もないという形で開かれていることになる。】

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 今日は特に何もなく、いつものうたたねでした。何もないことが素晴らしいことだと、分かって頂けるのが、こんなに難しい事とは思わなかった(笑)。最初は特別なことでも、慣れたら当たり前のことのようになってしまいがちですが、何もないようにすることに、支援者たちがどれだけ頑張っているのか?を、発表続けるのが支援者たちへの、せめてもの恩返しかな?とも思うこの頃です。
 

 

 元々、人材不足の上にコロナ禍.......。本当に大変です!

  政令市や県庁所在地など主要74自治体の約8割にあたる61市区で、介護施設の入所者の枠(定員)を増やす整備計画(2018~20年度)を達成できなかったことが、読売新聞の調査でわかった。このうち18市区では、定員増が計画の半分以下の水準にとどまっていた。介護事業者や人材の不足、新型コロナウイルスの影響などが逆風となった。


 

  ちょっと矛盾した感じで神経システムが記述されていますが、なんとなく分かったような、分かってないような(笑)。

『神経システムは、感覚器表面において、絶えることなく環境世界からの刺激を受容している。しかし神経システムの作動で行われることは、神経システムの構成素を、産出・再産出するだけであり、システムはそれ自体の自己同一性を保持するよう、自己内作動を反復するだけであるというたとえ感覚や表面に環境世界からの刺激が与えられようと、この刺激に対処するよう神経システム管理者作動しているわけではない。』

 がキーポイントでしょうか?ちょっとフロイトの心理学的草案の内容のようでもありますね!

 

2 ルーマン
 〜ず、彼らに示唆したオートポイエーシス・システムは、機械と対比して以下の四つの特徴をもつ(Varela,F.J.1981)。⑴自律性、⑵個体性、⑶境界の自己決定、⑷入力も出力もないこと、であると。

  として三つは、動的平衡システムにおいても共通するので、四つ目が争点となる他者開放系の動的平衡システムにおいては、「入力と出力」を欠くことはできない。開放性という事態もこれに依存しているからである。ここでオートポイエーシス・システムの例としてあげられている神経システムを実際に検討してみよう。

 経システムは、感覚器表面において、絶えることなく環境世界からの刺激を受容している。しかし神経システムの作動で行われることは、神経システムの構成素を、産出・再産出するだけであり、システムはそれ自体の自己同一性を保持するよう、自己内作動を反復するだけであるというたとえ感覚や表面に環境世界からの刺激が与えられようと、この刺激に対処するよう神経システム管理者作動しているわけではない。

 らに神経システムの側からみれば、この特定の作動を引き起こす要因が、観察者からみて内的なものであろうと外部に由来するものであろうと、神経システムはこれらを区別しない神経システムにとって、それ自体作動する要因は区別されないのであり、作動の要因については、内部も外部もないのである。

 うして神経システムは作動において、ことに構成素の産出において一貫した閉鎖系をなし、同時に環境との関係においては、内部も外部もないという形で開かれていることになる。