うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

路地裏蚤の市と、べーだ!(笑)と、いまアフリカでは、アマゾンよりも森林火災が起きていると、【その結果、このことを発見してから数年のちに、Freud(1912)は、精神的健康を取り戻すための決戦は、転移という戦場でこそ行いうるものであると考えた。】

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  尾道で立ち寄った喫茶店、あくびカフェさんのおトイレに行く途中こんな物がありました。陶器などもありましたが、履物を売るのはあまり見ないので(笑)、アップさせて頂きました。ゲストハウスも、中々風情のある物でした。

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  今日は遅番で、重度の方の入浴や口腔ケアなど済ませて、入床していただきリビングに来たら、女性職員とたくちゃんが遊んでいました(笑)。ミノムシ?青虫?何になっているのでしょうか?

 

 昨日、帰宅してニュースを見ていたら、下記の記事を書かれた方の、8月に書かれていたいたニュースに目が行きました。アマゾンよりもアフリカの方が山火事が多かったのですね!ワイルドライフの映画にも山火事が出て来ていたので、気になったのかも知れません。焼畑農業の規模が大きくなったからとの見解が出ていて、もし本当にそうなら、戦争なんかしている場合ではなく、無駄な延焼を防ぐ方策をみんなで考える方が先なのではないでしょうか?この規模を見ると案外、工場だけでなく、山火事が温暖化を起こしているひとつの原因でもあったりしてと思うのは不自然で、不謹慎でしょうか?もしそうなら、グレタさんに、アフリカにも行って頂かなくてはいけませんね!

 

 

 今日も少し早めに行き、ファミマで本を読ませて頂きました。

個人的に、何度も書いていますが、オワコンとか、古典と言った理論や概念の方が、応用が効いて良いですね!ウィニコットのどちらとも取れる記述は、聖書には色々な福音書があるので、自分が良いように聖書を解釈すれば良いと教えてくれた、今は亡き、藤木正三先生を思い出しました。

 今ここで起きている事を中心に考えても、どうしてもその背景として、幼少期を感じてしまうのは、間違いでしょうか?支援させて頂く方にもよるかも知れないですね。皆さんそれぞれ歴史があるので、どれが本当なのかは、その方と生きた時間を一緒に過ごさないと、分かりませんね。

 

 〜抑圧を取り除き、分析して、さまざまな防衛機制を乗り越えていく作業は、幼児期の想起そのままの過去の体験の改訂版の中でこそ可能なのである。

 そのこと以上に、こうした過去のほとんどが一般にはそれほど生き生きと想起されるわけではない。

 本来の体験は、記憶として残っているにすぎず、それが充分に再現されるものではないことが体験的にわかっている。それは、転移の中で反復され“復活される”ことで、はじめて復元されうるものなのである。
 その結果、このことを発見してから数年のちに、Freud(1912)は、精神的健康を取り戻すための決戦は、転移という戦場でこそ行いうるものであると考えた。

黄ボール紙と、シネマ尾道さんと、【それ以来、Freudは分析医のせいにされてはいるが、本来は過去の対象関係の中で生じてきた患者のさまざまな心理現象とその過程の総体を転移と命名したのである。】

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 帰宅途中、豊橋の紙屋さんによって、注文していた黄ボール紙を頂いてきました。

この紙に皆さんの思いが載るんだと思うと、大事に抱えて車に載せました。

 往復で1,000km超しました(笑)。半分仕事で、半分遊ばせて頂いた3日間でした。留守をきちんと守って下さった職員さん達に感謝です!本当にありがとうございました!

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 シネマ尾道さんで、ワイルドライフを見て来ました。

映画の内容はともかく、映画館の雰囲気が非常に素敵でした!自分が小さなころには、小さな町にも、これくらいの映画館が一つはありましたが、最近はシネコンですね......。音には敏感なので、非常に上質な音も気に入りました。ピアノの無駄のない音、派手ではありませんでしたが、本当に必要な響きが欲しい場面で、もの悲しく響いていました。音楽と映像が引っ付くと、恐ろしいな!とも思った日でもありました。

 天心先生は、宗教は花と音楽で盛り上げていると言っておられたのも、頷けるような気がしました。

 自分の人生を本にしなさいと言う、理事さんがいますが、幼少期を思い出すだけでも、抑鬱が酷くなりそうなので、絶対に嫌です。映画の予告編に『真実』という映画がありましたが、本当のことを書いていない!という場面があり、本当のことだから書けないのにな......。それを明らかにするのは、その本人にとって、果たして良い事なのか?周囲は知りたいのかも知れませんが......。

 

 

 3日と4日の写真を直したり、増やしたりしました!

 

 

 下記は、一昨日からの続きでもあり、答えらしいものでもあるような気がします。

施設の利用者さん達に人気があって、調子に乗られる(笑)方も沢山おられますが、下記を読んでおおいに反省すべきでは?と思いました(笑)。そう思うと、やっぱりフロイトは凄いですね!調子に乗るどころか、なぜそのような状態になるのか?を突き詰めようとしていますから!

 その辺を、後継者がどんどん発展させて、もっと意味のある理論・概念にしています。

 

  〜そこで、このような感情がどんな時に出現してくるのかを詳細に観察した結果、Freudは自分の考えに確信をもった。

  このような感情が起こってくるのは、きまって過去の究明が究めて微妙なところにきた時、すなわち、強い抑圧を受けている幼児期の心理的なコンプレックスを思い出す代わりに、患者はそのコンプレックスの中で体験されたある感情を再びもち出し、それをーー“誤った心理的な関連づけによって”ーー治療者という人物のせいにするのであった。

  このことを観察したFreudは、この現象について重要な二つの理解を得た。

 その一つは、それが抵抗の現れであるということであり、もう一つは、その時の感情は、情緒的幼児期体験ののコンプレックスemotional  infantile  complex にまつわる過去の感情が分析医に置き換えられ、反復されたものであるということである。

  言いかえれば、もともとは愛と憎しみや欲望と恐怖を向けた最初の対象ーー一般には両親や同胞であるがーーに結びついている感情である。そこで、分析医に向けられた衝動や感情は、本来の対象から転移されたものといえるのである。

  それ以来、Freudは分析医のせいにされてはいるが、本来は過去の対象関係の中で生じてきた患者のさまざまな心理現象とその過程の総体を転移と命名したのである。 〜

鞆の津ミュージアムと尾道と、【Freudは、このように自分が女性に好まれるのは、自分が抵抗できない立場に立たされているからであると理解できたので、すぐにその誘惑にまどわされることはなくなった。】

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 無事、福山市にある、鞆の津ミュージアムに行くことができました。親分は、藁工さんと間違っていたようでした(笑)。中々素敵な展示と、空間でした。

 

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 その後、尾道に来ました。素敵なお店が沢山あり、水曜日休みのお店が多かったですが、それでも十分楽しめ、また、自分の肥やしにもなり、写真を沢山写させて頂きました。ヤマハの〼は、びっくりしました(笑)。それだけ歴史があるということですね!

 

 写真は、機会があれば少しずつアップさせて頂きますね。

 

 

 下記は、昨日の続きで、同じような内容ですが、昨日より、具体的に記述されています。

転移と逆転移をきちんと理解し、それを上手くコントロール出来るならば、きちんとした支援も出来るように思われます。

 

 〜Freudは、このように自分が女性に好まれるのは、自分が抵抗できない立場に立たされているからであると理解できたので、すぐにその誘惑にまどわされることはなくなった。

  さらに、かれはほかにも愛されやすい原因があるなではないかと考え、やがて、精神分析治療にとって最も重要な現象、すなわち転移 transferenceを発見するに至った。

  女性患者に限らず、男性患者であっても、治療そのものや治療者に対する態度が変化していくのであった。

空芯菜と、【その現在に対する関心とは、まさに現在そのものであり、Sigmund  Freud博士その人にほかならなかったのである。】

 

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 福山市に向かう途中、神戸で休憩しました。

神戸牛が食べたかったですが、無理なので、南京町で、空芯菜と小籠包を頂きました。

 明日、福山市鞆の浦ミュージアムに向かいます。

 

 下記は、『転移と逆転移』からの引用です。

現場でも同じような時がありますね。気をつけなければいけないことのひとつでもあります。

 〜Freudが熱心に抵抗と抑圧された衝動と過去の体験とを解釈していくと、患者はこれにある時点までは協力的であるが、やがて過去については関心を失い、現在に関心を向けはじめるということが起こってきた。

 その現在に対する関心とは、まさに現在そのものであり、Sigmund  Freud博士その人にほかならなかったのである。

 患者の中には、分析治療中にFreudの首に抱きつくものまであって、Freudはこの困惑させられる状況から逃れるために、使用人を呼び入れるしかかなったほどであった。〜

アトリエ・カーグとバンドクラブと、【「“私がこれをやったのだ”とわたくしの記憶は語る。“私がそんなことをするわけがない”とわたくしの自尊心は言う。そして、この自尊心は一層残酷になり、ついには記憶が降服させられるのである。」】

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 カーグは、鏡餅を作ったみたいです!三宝と、お餅を今月の担当の職員さんが作ってくれて、三宝に色を塗ったり、絵を描いたりしてから、みかんを手伝ってもらいながら皆さん作っておられました。今日のカーグの支援者は、女性が4名いたので、自分はぱしりに専念できました(笑)。

 カーグの途中で、バザーの商品がなくなったから補充してほしいとの電話が、親分にありましたが、今日は動けませんでした.....。皆様に本当に感謝です!

 

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 素敵な写真を沢山頂いたので、沢山アップさせて頂きます!

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 バンドは、2週連続にもかかわらず、皆さん元気でした!

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 その中でも、やっぱり女子が凄かったですね!

 

 『転移と逆転移』を読み始めて3日くらいでしょうか?読み返し読み返しで全然進みませんが、本当に大切なことが沢山書かれています。読む本、読む本ためになるので、今までの勉強不足が露呈されていて(笑)、少し恥ずかしいです.....。でも、恥じてばかりもいられませんので、前に少しでも進みます。

 

1.精神分析技法
 願望や空想というものは恥や屈辱や軽蔑や罪業感や懲罰に対する恐れなどをともなって体験するものであり、より一般化した表現をすれば、苦痛や不安を伴うものである。

 このような受け入れがたい感情を防衛するために、自我は願望や空想を意識から排斥するのである。

 この格好の例がニーチェの作品にも認められる。

 彼はーー他の哲学者や詩人と同じようにーー直感的に精神学的発見をしているのであるが、ただその発見は統合されることなく遊離したままになっているだけである。

 彼の作品「善悪の彼岸Beyond  Good  and  Evil」の中に、次のような比喩が述べられている。

 「“私がこれをやったのだ”とわたくしの記憶は語る。“私がそんなことをするわけがない”とわたくしの自尊心は言う。そして、この自尊心は一層残酷になり、ついには記憶が降服させられるのである。」

 その他にも自我の拒絶のやり方にはさまざまあり、それを防衛機制defences  mechanismsという。〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バザーの準備と、何となく良い光景と、韓国トップの囲碁棋士引退「努力してもAIには勝てない」 と、【そこには原光景に伴う不安が介在していることになる。】

 

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 今日は遅番でしたが、バザーの搬入をして来ました。明日から年末チャリティーバザーが、神戸館さんで始まります!皆さんから頂いた物を並べさせて頂きました。

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 今日も夜は賑やかでしたが、賑やかになる前に、何となく素敵な光景があったので、今回は、賑やかさではなく、何となくいい光景にさせて頂きました。

 

 数日前のニュースですが、下記を見て色々考えさせられました。

少し前まで、世界の工場ともてはやされた中国が力をつけて来たら、潰されそうになっています。独裁的な国の治め方には、個人的には恐怖しか感じませんが、歴史を紐解くと、どうでしょうか?アフリカやアジア、南米などに対して、白人が奴隷扱いして来たせいで、イスラム世界の人々の、強い抵抗が出来てしまったと思われますが、白人たちはどう説明するのでしょうか?ISとかは、独裁政権のように恐怖しか個人的には感じませんが、その原因はどこにあるのでしょうか?ソンタグを読んだからではなく、常々そう感じていました。何がその人や集団にとって本当に良い事なのか?悪い事なのか?世界的なバランスを考えると、本当に難しいのですが、内政干渉はお互いに嫌ではないでしょうか?その国の治め方が嫌なら、自分に一番あった国へ移住できるようなシステムがあればいいですね。深く考えると、不可能にも思えますが、取り敢えず提案だけしておきます。

 今度はAI、AIと言いながら、AIが人間を凌ぐような力を持ったら、AIを潰しにかかるのでしょうか?結局、いじめと同じ構図で、誰かがいじめで潰れたら、また違う対象がいじめられるだけのように感じて仕方がありません。

 AIはAI、人間は人間で良いのではないでしょうか?個人的にゲームが嫌いなので、単純にそう思ってしまうのでしょうか?バーチャルな世界だけで遊んで、それで本当の楽しみや経験が出来るのでしょうか?生きた時間を過ごせるのでしょうか?人間が人間ではなくなるというのが、未来の形なのでしょうか?韓国のトップ棋士さんには、誇りを捨てないで欲しいと、心から思います。

 

  今日も『転移と逆転移』を読ませて頂いていて(下記ではありませんが)、自分の浅はかさを痛感させられました。やっぱりフロイトをオワコン扱いする人は、フロイトの本当の凄さを見る事が出来ていないか、見るのが怖い人なのか?と思ってしまいました。しつこいですが、個人的には古典・オワコンと言われる理論の方が、応用が利くように思います。まだその箇所のアップは先になりますが、下記でも、ラッカーがフロイトを分かり易く解説してくれていますが、その片鱗は十分に伺う事が出来ます。

 

 〜つまり、治療者が患者を不快に感じたとしても、その不快な患者は治療者自身の一部でありながら、治療者がまだ自分自身として受け入れかねている部分なのである。

 そして、この受け入れがたい治療者の一部は、両親が一体のものであることを受け入れまいとする心性と深くかかわりがあって受け入れがたい場合が多いのである。

 そこには原光景に伴う不安が介在していることになる。 〜

バタバタした大阪行きと、アリババのジャック・マー会長「日本を尊敬。だが惜しいことが2つある」。退任直前の助言と、【 山ほどの知識を持った分析志望の人たちが、病者との体験を一方的に病者の病理性として理屈づけをし、治療者側の幼児性や神経症を被い隠す姿は、学会でもよくみかける。】

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 親分から借りた車の調子も悪く、博物館さんとの打合せと私用がとの時間がタイトだったので、バタバタした大阪行きになりました。

 安宿は、大きな道路に面していて、チェックインしてから、チェックアウトするまで、車が途切れなく走っていました。大阪の街も変わった所は、全く分からないくらいに変っていて、土地勘があっても、交通の激しさに呑み込まれてしまいました。

 1月15日からの展示ですが、全く前に進んでいなくて、白柳先生にもするって言った手前、嘘をついたと言われても仕方ない様な打合せでしたので(笑)、大分前のですが、星野眞吾賞などの図録をお持ちして、誤魔化してきました(笑)。本当に展示はあるので、はっきりしたら皆さんに案内を送らせて頂きますね!

 

 ホテルでネットのニュースを見ていたら、少し前のものですが、引っかかったので、アップさせて頂きました。ただ単に、女性・男性と言われますが、女性にも女性性だけでなく、男性性も持ち合わせているし、男性もそうなので、大雑把な意見として・分かり易い意見としては共感できますが、女性でも全体を見る方、男性でも詳細を見る方がいますので、性に拘る事はないかも?とも思いますが、色んな打ち合わせに出させて頂きますが、ジャック・マー会長(前)が言われるように、若い方の発言をもっと取り入れる事は大事だと思われます。今は勢力がなくなってしまいましたが(ソンタグの言葉を借りれば、マスメディアのせい?)、小池百合子さんが、地方を変えるのは、若者・よそ者・ばか者と言われてたのを思い出しました。怖い物がないというのは、決して悪いことだけではないように思いますが、如何でしょうか?

 本は、『転移と逆転移』のアップです。東畑先生や、皆藤先生のアップも沢山控えていますが、ちょうど自分の周囲に起こっている事と重なる箇所でしたので、先に出させて頂きます。

 現場での支援も、慣れれば慣れるほど、慣れだけで出来てしまうので、本当に自己否定が重要になってきますが、後輩からの『凄いですね!』の言葉に、ついつい自分の方が実力があるのではないのか?と、自分の至らなさを、慣れで出来ているにも関わらず、本当の意味での支援にはなっていないのも関わらず、自分で自分を認めてしまう事も良くあります(勿論、自分も含めて)。でも、毎日その方をよく見させて頂いていると、その方にも変化があり、進んでいる時も、退行している時もあるので、+α・-α(そんなのあったっけ?)を考えて、行かなければいけません。その時にステレオタイプになってしまっていると、応用が出来ず(きちんと勉強したと言う前提がまずはあるべきですが)、その人にとって、百害あって一利なしになってしまう事が多いです。

 下記を読ませて頂き、余計にそう思いました。不器用でも、勉強不足でも、利休が言うように、誠意を込めていれば、その方は理解してくれるので、まずはその方と、やはり生きた時間を一緒に体験し、各々が自分に内在化できるようにしないといけないのかも知れませんね。支援も一方通行ではなく、相互理解・協力の下進んで行くもので、それがないと、同じ道を行ったり来たりするだけで何も変わりません。

 分からないことを、分からないと言えるということは、人間が出来ていると言うだけでなく、本当のことをいつも求めていられるから、言えるのでは?と、最近特に思います。

転移と逆転移
H・ラッカー
坂口信貴訳

訳者あとがき
 〜Racker博士は、分析医側の幼児性や神経症を当然あるものとされており、患者と治療者という区別も本質的にはないことを実践の中で示している。

 それは逆転移のとりあつかいや理解の仕方によくあらわれている。

  山ほどの知識を持った分析志望の人たちが、病者との体験を一方的に病者の病理性として理屈づけをし、治療者側の幼児性や神経症を被い隠す姿は、学会でもよくみかける。また、他人の発表については常に発表者の逆転移が指摘される。

 このようなことは私自身もしてきたことであり、知らぬ間に他者とは対等に話せない偏った人間へとますます自分を駆り立ててしまったように思う。

 ことに「心に浮かぶことのすべてを治療者に伝える」という分析治療の基本規則をとりかわしているかの如き錯覚に陥って他者に向かう癖がついてしまっていた。

 自分が精神分析を信奉すればするほど、それとの合体が自分の自信となり、大変傲慢な振舞いをしていたと思うと赤面のいたりである。

 これこそ、本書に述べられた躁的防衛あるいは無意識的な躁病にほかならない。

貫頭衣と、【現実がスペクタクルと化したと言うことは、驚くべき偏狭な精神である。】

 

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今日は、展示とワークショップの打ち合わせで、大阪に来ていて、貫頭衣なるものを(レプリカですが)はじめて見せて頂きました。ワークショップで使う布に、貫頭衣のレプリカを作るのに使った布があるのでとのことで、その生地とそれで作った貫頭衣を見せて頂きました。日本の文化は、ややもすれば、大和・奈良時代からだと思われがちですが、弥生時代は勿論、縄文時代に既に美術館的なものがあったと、学者さんから聞きました。文字=文化と考えがちなのかも知れませんね。

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 ミニギャラリーでは素敵な作品展をされていました。

友達になりたいと、勝手に(笑)思わせて頂けた作品でした。

 

 

 本は『転移と逆転移』H・ラッカーに入りました。

訳者の坂口信貴先生の訳者あとがきだけでも、一読の価値がありました。先にあとがきから読ませて頂きました。

 

 

 ソンタグを読み終えました。下記を読ませて頂いて、その地方独特の文化が土着的であるほど、差別と攻撃を受け続けている情景が頭の中に、際限なく出て来ます。それも映像、写真も動画も映像、実際にそれが行われているのを傍から見るのも映像と変らないのでしょうか?そう思うと、本当に力もお金も必要で、それがないと何もできないし、させて頂く事もできないのではないか?と、落ち込みますね.......。

 先日、近い将来の法人のあるべき姿を、理事長、副理事長と話をしたばかりですが....。でも、消極的になっても仕方がないので、周囲の協力も得(労務関係で、無償でお世話になっておられる方が、この度叙勲されます)ながら、前を向いて進んで行くしかないとも思っています。

 

  現実がスペクタクルと化したと言うことは、驚くべき偏狭な精神である。

 それは報道が娯楽に転化されているような、世界の富める場所に住む少数の知識人のものの見方の習性を一般化している。

 その見方は「モダン」な人々が最初に身につけるものであり、現実的な対立や論争をもたらす。党派に基盤を置いた、伝統的な政治学を解体するための必要条件である。

 それは誰もが見物人であるということを前提にする。それはかたくなに、不真面目に、世界には現実の苦しみは存在しないことを示唆する。

 しかし、他の人々の苦しみの見物人になったりならなかったりする、怪しげな特権を享受している富める国々を世界だとみなすのは、途方もなく間違っている。

 ちょうど、戦争と戦争の巨大な不正・恐怖をじかに体験していないニュースの消費者が、自分の思考の枠組みに基づいて、他人の苦しみに反応する能力を一般化するのが途方もない間違いであるように。

 テレビ映像に慣れているというには程遠いテレビの視聴者が何百万人もいる。現実を操作するという贅沢とは縁がない人々である。 〜

たっくんの誕生日と、【戦争も、現実に存在すると見える他のすべてのもの同様に、メディアによって作られると一般に言われている。】

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 昨夜の夜勤は、たっくんの誕生日でもあり、夕食後にケーキが出ました!

準備中まりちゃんが、炭酸のジュースを振っていたので(笑)、びっくりしました。すぽんと、良い音で開けたかったのでしょうか?ホームが、ベタベタになりますね......。

皆さんにお祝いして頂き、たっくんは嬉しそうでした!

 

 

 昨夜、ネットのニュースに下記がありました。去年から言われていましたね......。

ウィルスも雑草のように逞しいですね......。

 上記のニュース元が......。でも(笑)、最近の世界情勢を見ていると、自分が有利になったり、自分の思想が反映できるようにしてしまうような報道が多く感じられますね......。と、下記を読ませて頂きながら思いました。

 何を信用すればいいのか?本当に自分で情報処理していかないと、分からなくなってきています。ただ、ワイドショーだけで、判断するのはやめてほしいですね。

 

 〜戦争も、現実に存在すると見える他のすべてのもの同様に、メディアによって作られると一般に言われている。

 これは、サラエヴォ包囲の時期にサラエヴォに遠足にきたアンドレ・グリュックスマンをはじめとする数人の著名なフランス人の状況分析であった。

 すなわち戦争の勝敗を決めるのは、ひとえにメディアであって、サラエヴォあるいはボスニアで生起する事態によってではない、と彼らは主張した。

 「西欧」は戦争それ自体を次第にスペクタクルとして見るようになってきた。としばしば指摘されている。

 現代の政治や文化のなかで、誤っている、空虚である、愚かにも幅をきかせている、と感じられるものを理解しようとする多くの人々が、現実の死――理性の死、知性の死、純文学の死というのと同じように――という概念をさほど深く考えることもなく受け入れているように見える。 〜

 

 

 

 

解体現場と、【新しいテクノロジーは絶え間ない供給をもたらす。見る時間の許すかぎり、多くの悲惨と残虐の映像を提供する。】

 

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 施設の近くの信用金庫が統合されて、解体されています。建物も業務が行われていないと、死んだように見えていました。AIが発達するにしたがって、なくなる仕事と言うのが、良く取り上げられていますが、生身の人間にしかできないことも沢山あるはずですね!と、解体されている現場を見てそう思いました。

 

 下記は、ソンタグの続きです。

慣れというのは、良い面も、悪い面もあるので、今やっていることに対して、本当に意味があるのかを確認しながら進めて行かないと、悪い面だけになりがちです。下記を読ませて頂いて、強く思いましたし、昨日は、自分の中の小さな世界だけが全てだと思っている方が多いのにも驚かされました。知識だけで判断する愚かさも感じました。仕事をするうえで、その道の知識があるのは当たり前のことですが、クラインマンが言いたいのは、人間性も磨かなければいけないということではなかったでしょうか?

 自分があたかも全知全能の神の如くに思っている人間とは、付き合いきれませんね(笑)。

 

 ~ワーズワースは「日々の」事件、「異常な出来事」について「時々刻々」伝わる情報が知性を鈍らせると指摘していた(それも一八〇〇年に!)。どのような事件や出来事であるかは、思慮深く読者の想像にゆだねられていた。約六〇年後にもう一人の偉大な詩人かつ文化の診断者が――フランス人なのでイギリス人が控えめに表現するのとは対照的に誇張表現の傾向があるが――同じ非難をさらに熱をこめておこなっている。

 

 ボードレールは、一八六〇年代初頭の日記にこう書いているのである。

 

 年月を問わず、新聞を開けば、必ずどの面にも、人間のもっとも恐るべき悪が記録されている。

 (中略)あらゆる新聞が第一行目から最後の行まで、恐怖の連続以外の何物でもない。戦争、犯罪、盗み、猥褻行為、拷問、君主の、国家の、個人の悪行、普遍的な残虐の饗宴。

 こうした忌まわしいアペリティフで、文明人は毎朝ので食事を流し込む。

 


 

 ボードレールがこう書いたころ、新聞に写真は掲載されていなかった。しかしそのことは、市民が世界のおびただしい恐怖を満載した新聞を片手に朝食の席につく状況にたいする彼の非難と、現代のわれわれが新聞のみならずテレビ経由で日々吸収する多くの恐怖が感性を麻痺させる状況にたいする現代の批判とのあいだに、なんら差を生むものではない。

 新しいテクノロジーは絶え間ない供給をもたらす。見る時間の許すかぎり、多くの悲惨と残虐の映像を提供する。 〜