うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

何となくキレイと、「既存のもの」に甘くて「新しい技術」に厳し過ぎない?と、【母と子の間に生まれるこのコミュニケーションを、わたしはエロス的コミュニケーションと呼んでいます】

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 今日は夜勤明け。珍しく明けてから一寝入りして外に出ると、キレイなものに沢山巡り会えました!


 下記には激しく同意してしまいました。でも技術だけではありませんよね?

<問題は山ほどあっても「既に存在するもの」は大目に見られるのに、自動運転車や電動スクーターなど「新たに導入されるもの」には必要以上に厳しい基準が課される>


 

 

 下記はウィニコットですね。自分だけが自分だけのやり方で、いくら相手のことを思ってやったと言われても、迷惑でしかない場合も多々あります。お互いがお互いを尊重し合ってからでないと、当たり前ですが、一方の気持ちしか伝わらなくなりますね。それはどんな関係でも言えることではないでしょうか。

エロス的コミュニケーション
  〜どもの信号を正確に読み取るためには、母親がマターナル・プレオキュペーションを向けて子どもと共感していくことが重要な意味を持つのです。母親は、自分が子どものときに自分の母親にそうしたことをしてもらっているということが基礎になって、自分の子どもにもこうした対応ができるわけです。
 れはセックスにもそのままあてはまることです。男女のセックスも相手のニードをお互いに読みとって満たし合うというコミュニケーションなのです。お互いに読み取り合って、与え合うことができるという能力がグッド・イナフな、ほぼ平均的な人間には備わっています。だからこそお互いのコミュニケーションがうまくいくわけです。フィジカルな例では、赤ん坊と母親、男女のセックス、それだけでなく、一般の人間関係もほんとうはお互いの欲求を読み取り合い、満たし合っているのです。

 と子の間に生まれるこのコミュニケーションを、わたしはエロス的コミュニケーションと呼んでいます。人間にとっていちばん基本的な能力です。それをニード・フォー・パーソナル・リレーションと呼んでもいいし、エロス的コミュニケーションと呼んでもいい。それが母と子の間で培われる。そしてこのような、お互いの一致を求める欲求がエロスと呼ばれるものなのです。