今日の日中と、「液体のり」放射線治療でも期待の星 がん細胞ほぼ消失 と、【それは、妄想-分裂ポジションと抑うつポジションとが過程であって静的な実態ではないということである。】
今日のお昼は、多数決で(笑)マックになり、近くのマックに早めに行きました。
午後からは、人員配置が厚くて自分はあまり出番がなく、隅っこで(笑)働いていました。
今日も一日、何事もなく終えようとしています。皆様に感謝です!
昨日から、向かいのちゃんぽん店に、ヤギがいました!一時歩道に出ていましたが、苦情が来たのか?まあ、怖い方は歩道の真ん中にヤギさんがいたら歩けませんよね(笑)。
今日の夕方のニュースでもやっていましたが、下記は本当に効果があるのならいいですね!何よりも、薬代が安くなりそうなのが一番です!
「液体のり」放射線治療でも期待の星 がん細胞ほぼ消失 https://newspass.jp/a/heg9w
がん細胞に薬剤を取り込ませておき、中性子をあててがん細胞を壊す放射線治療で、薬剤に液体のりの主成分を混ぜると治療効果が大幅に高まることを東京工業大のチームが発見し、23日発表した。薬剤が理科の実験でつくったスライムのようになり、がん細胞にとどまりやすくなるらしい。マウスの実験では大腸がんがほぼ消失したという。
この放射線治療は、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)。国内10カ所弱の施設で臨床試験が進んでいる。ホウ素化合物の薬剤を注射してがん細胞に取り込ませておき、外から中性子を照射して破壊する。正常な細胞へのダメージが少ないことから、次世代の放射線治療として期待されている。
しかし、ホウ素化合物ががん細胞から流出しやすいのが課題だった。チームは、ホウ素化合物に液体のりの成分であるポリビニルアルコール(PVA)を混ぜると、スライムをつくるのと同じ原理で分子が長くなることを応用。がん細胞が薬剤を取り込みやすい形にした。
その結果、がん細胞の中に入るホウ素化合物の量は約3倍に。とどまり続ける時間も長くなるのが確認できた。大腸がんのマウスで試したところ、がん細胞がほとんど増えなくなり、「根治に近いレベルを実現」できたという。
東工大の野本貴大助教は「PVAを混ぜるだけなので製造しやすく、実用性は高い。人の臨床応用につなげたい」と話している。
この成果は米科学誌サイエンス・アドバンシズに発表された。(合田禄)
同じ方が白血病のほうも、先日挙げておられています。
市販「液体のり」、白血病治療の救世主に? 専門家驚嘆
https://www.asahi.com/articles/ASM5X6HTMM5XULBJ01H.html
下記は、昨日から少し突っ込んでいますし、丁寧に説明がなされていると思われます。やはり、植物の根みたいですね!一つひとつ苦難を乗り越えてこそ、成長があるのではないでしょうか?自分達は、それを心的外傷にならない程度に、少しずつ少しずつ提供させて頂くのが仕事です。
抑うつポジションへの移行
~ふたつの様式ないしポジションのあいだの移行は、量子的な跳躍の性質を帯びている。このときに、なお心にとめておくべきことがある。
それは、妄想-分裂ポジションと抑うつポジションとが過程であって静的な実態ではないということである。
それゆえ、「抑うつポジションの達成」について語るのは誤解を招く。
より正確だと思われるのは、ある程度抑うつポジションの様式で機能し始めた、という言い方である。
そこでは、この様式が人生の経過をとおして連続的な発達を遂げ、この様式での作動が同時に起きている妄想-分裂ポジションの様式での作動をつねに前提としている、というのでが念頭にある。~
今日と昨日の支援と、matohu 日本の眼 展と、【 クラインが明らかにすることができたのは……思いやりと罪悪感を感じる能力がどのような達成なのか、ということである。】
今日のお昼は、はま寿司に行きました!みなさんお寿司が大好きですね!
午後からは、インフルエンザがまだ治まらないようなので、ドライブでトンネルに行きました!こちらも皆さん大好きです。少しだけお化けごこっしたら、入浴時間が近づいてきたので、戻りました。
夜も賑やかな様子(笑)。職員さんが、送ってくれました。
昨日の散歩は親分担当で、気温が高いので、もう菜の花が満開だった様子。2月のカーグには、画題に使えないかも?ですね.......。
下記は、先日ジャパンデザインネットさんからのメルマガに出ていたものです。日程が許せば、見に行きたいです。ポスターも素敵ですね!と少し前に保存していたので、読み返したら、終わっていました......。残念でした......。
matohu 日本の眼 展
https://www.spiral.co.jp/topics/spiral-garden/matohu |
下記はオグデンの続きですが、見事に言い当てていると思いませんか?
個人的には、フロイトとクラインは天才だと思っています。今日はこれだけのアップで十分ですね。思いやりと罪悪感を感じる能力、抑うつポジションですね!自分は保育園児に家族で生駒遊園地に行ったときに、露店でブリキのおもちゃを売っていたおじいさんを、やくざが殴る蹴る、おもちゃを踏み潰すのを見て、世の中の非情・無常を感じて、それが抑うつポジションの入り口だった気が今でもしています。その数年後に自死した母親に対して、なんだか分からないのですが、悪いことをしたのではないか?と思い、謝りたくなった気持ちを鮮明に覚えています。またそれは違うのかもしれませんが、精神分析関係の本を読めば読むほど、そう思えて仕方がありません。
4,抑うつポジションと歴史的主体の誕生
クラインが明らかにすることができたのは……思いやりと罪悪感を感じる能力がどのような達成なのか、ということである。……私の意見では、これこそがクラインのもっとも重要な貢献である。それは、フロイトのエディプスコンプレックスの概念と匹敵するものだと思う。
ーードナルド・ウィニコット
オクターブ合わせと、『セサミストリート』50周年、人種問題を超えたマペットたちは子供番組の革命児だったと、【妄想-分裂ポジションを特徴づける存在のありかたにとって基本的なのは、自己と対象の愛に満ちた側面と憎しみに満ちた側面の不連続を移住するために、絶えず歴史が書きなおされることである。】
少し前から気になっていた、335の6弦のオクターブを大分変えていなかった弦交換のついでに合わせました。ブリッジが一番端になっていて無理かな?とも思っていたので、半ばあきらめ半分で、重いっ切って少しブリッジを前に出して合わせなおしたら、なんとか合いました。以前、楽器屋さんにブリッジごと移動させないと無理かもって言われていましたが、何とか生きながらえてよかったです。同じグレードの新しい楽器は今の収入では買えないので、必死でした(笑)。
今日は早番と遅番の中抜けなので、その間にテレキャスターも弦を張り替えました。アコースティックギターはもう何か月張り替えていないのでしょう?手元にも弦がありません。搬出に行ったら大阪で買いたいですね。
いろんな話題を、みなさんと議論しようと、いいネタがあれば保存させていただいていますが、出番がなく削除してしまうのも数知れず.....。
下記も少し前に保存させていただいていたものですが、下記の青字のところに感銘を受けました。大人になっても子供心(遊び心)がなければ、新しいことは生み出せませんし、それより生きていて楽しくないのでは?ないでしょうか?子供や基底欠損水準にある方には、遊びが重要な支援ツールであると思います。自分に子供心がなければそういう方々の支援は困難ではないでしょうか? うたたねの職員さんたちは、皆さんと触れ合っていくうちに、段々と子供心・遊び心を思い出していっています。最初、まじめの塊だった職員さんが段々と良いほうに崩れていくのを見ていると、本当にそう確信できます。
どんなに技術が進歩しても、子供は子供だ。感情面では子供たちは過去50年変わっていないし、今後も変わらないだろう。子供たちは大好きなキャラクターに友達のように語り掛ける。困っている人がいたら助けようとするし、新しい課題に挑戦してスキルを習得する意欲も旺盛で、そして何より笑うのが大好きだ。
将来は今とはまた違った技術的なツールが手に入るかもしれない。だが一番大事なことは、クーニーが50年前に企画に着手したときと変わらない。1つの構想、1つの創造的アイデア、1つの問いが子供たちの生活をより良い方向に変える力になるのだ。
子供たちのことをよく知っていて、理想に燃えている人、実験的な試みに果敢に挑んでより良い番組を作ろうとする人。そんなクリエーターたちが子供番組の新たな時代を切り開くに違いない。
下記はオグデンですが、植物の根も、乾燥と湿潤の繰り返しによって根を深く、広く張っていきます。人間もそうかもしれませんね?
歴史を絶えず書き直せないと、いつまでもその時のままなので、成長や変化が乏しくなってしまいます。あまり考えすぎて、複雑になってしまうと、どこから手をつけてよいのか?わからなくなるので、考えもアートや音楽のように、シンプルな方がわかりやすいし、格好がいいかもです。
~このような不連続性がなければ、乳児は安全に乳を吸うことはできず、死んでしまうかもしれない。
妄想-分裂ポジションを特徴づける存在のありかたにとって基本的なのは、自己と対象の愛に満ちた側面と憎しみに満ちた側面の不連続を移住するために、絶えず歴史が書きなおされることである。
本質的なことは、ただひとつの情緒的平面しか同時には存在しないことである。でなければ対象関係は汚染され、その結果、原始的なこころにとっては耐え難いほどに複雑になってしまうのである。
ボブログⅢと、「欠損なき人間」はいない!「金継ぐ」方法と、【“迫害者との同一視”は、自殺の際にも認められる。その場合の自殺は、迫害者の“冷笑”との同一視であり、迫害者の意向を汲みとり、その迫害者の求めることを自ら実行する。】
Bob Log III - "Look At That" - Sun King King's Reserve Session Live at Sun King Brewery
先日、時々行かせていただいている、コーヒーが本当においしい『曇煎』さんに行ってスマトラ・マンデリンを飲んでいたら、エライ強引なギターが(笑)、BGMとして(笑)鳴っていました。あまりにもステキなので、ご店主の豊橋のRJこと、銀次郎さんに聞いたら、上記の方とのことでした。動画を見てまたまたぶっ飛んでしまいました!ワンマンバンドでした! CDを買おうかな? 10年くらい前の動画が多かったですが。
下記も先日見つけたものです。途中から、個人的には論点がずれてきている気もしましたが、金継ぎしたい器があり、最後まで読ませて頂きました。少ないヤフコメでしたが、織部の件は納得出来ます(笑)。世界的にはシンメトリーなデザインが昔から主流ですが、日本は昔から間を大切にしてきた文化があり、奇数や左右が違ったり、お茶席ても織部で統一しない等、それぞれの道具にきちんと存在を持たせる文化があるので、歌舞伎者(変わり者)上等!ですね。少なくとも、自分はそう思って生きています(笑)。長い物に巻かれて、ロッカーヅラするな!と、今日も口から泡吹いています(笑)。
毎日のように、相模原事件の 裁判の報道がされていますが、関係者から逆転移という言葉を聞いたことが、個人的にはありません。少なくとも施設中に、特に長と言われる方には、そのシステムの学習は必須のように思うのは、自分だけでしょうか?
中々、ラッカーの転移と逆転移から離れることができません……。
〜分析医の中に不安を誘発するような患者の態度振舞いに共通する因子は、“迫害者との同一視”というメカニズムであると考えられる。
この同一視によって、迫害者からの解放感と征服感が体験される。したがって、このことがこの同一視というメカニズムを躁的防衛機制のひとつとみなす理由となるであろう。
このメカニズムは、ある種の抑うつ状態などのように、先述した攻撃的振舞い態度とは正反対の場合にも現われる。というのは、躁的な振舞いは、投影された対象に対しても、取り入れられた対象に対しても向けられるのであり、外へも内へも向かうものだからである。
“迫害者との同一視”は、自殺の際にも認められる。その場合の自殺は、迫害者の“冷笑”との同一視であり、迫害者の意向を汲みとり、その迫害者の求めることを自ら実行する。したがって、この“冷笑”は自殺の躁的側面なのである。
患者の“迫害者との同一視”は、彼を躁的饗宴の犠牲にしようとするサディスティックな対象から身を守るためであり、この防衛は分析医を“躁的性向”をもつ対象に仕立てあげ、その迫害者を自我に取り入れるかたちで行われる。
あるいは、自分の自我を躁的傾向をもつ対象とみなし、それを迫害者として超自我に取り入れるかたちで行われる。〜
体温計の電池と、プリンターのインクが高すぎる問題と、 つまり、患者は対象破壊を再体験しないですむように、また、対象を自分の攻撃性から守るために、攻撃性を自分自身に向け換えるのである。】
毎日測らせていただいているので、体温計の電池が3つもまとめてなくなり、慌てて近くの電気屋さんに行きましたが、小さいものは在庫がなく、互換性のあるものをタブレットで調べたら、店員さんがタブレットを覗きに来て(笑)、これが大丈夫とのことでしたが、中々高価でびっくりしました......。ギターのクリップチューナーの大きさのほうが安くつきますね......。補聴器用のものは、0.1V少ないので同じ形でも誤差が出てしまうとのこと。微妙なんですね!とりあえず互換性のあるものを購入してきました。2つは使えるようになり、3つで測れるので良かったです。今朝は60秒計が1つだけで苦労しました。まあ、そんなに大変ではありませんが、親分が明けなので(笑)、間違いがないように、老婆心ながら置いてきました。
下記は先日見ていた記事ですが、プリンターもそうですが、こちらにも出ている、電気シェーバーの替え刃も価格が高すぎて、重度行動障害をお持ちの方のシェーバーは、安いものを購入せざるを得ません。どこかのメーカーさん、資源を有効に使うことも考えて、男気を出した商売をしていただけませんかね.......。安心して重度の方にも使える安い替え刃をお願いいたします!安価なものは、それなりの剃り味になってしまいますので! ヤフコメは、なぜか、福祉の現場のように馬鹿にされがちですが(笑)、中々核心をついた意見も時にはあったり、ご時世を映してくれているので、自分には参考になっています。
逆転移の大切さを、この6章では事細かに記述してくれています。何度も読み返しているので、中々6章から出ることができていませんが、この本の核心部分でもあるように感じています。読み飛ばすだけなら(笑)、12月中に読み終えていましたが、本当に理解に近いところまで(まあ、現在の自分の理解なので浅いですがw)、読めればと思っていますので、ゆっくり構えています(笑)。
問題行動は二次的な障害・人為的な障害だと、佐々木正美先生が口酸っぱく言われていましたが、本当にその言葉の意味を理解するまで、この5年間で精神分析関係だけで約100冊読ませていただきましたが、やっと入り口が見えたのかな?と思う程度です.....。本当に奥深く探求しようと思えば、楽な仕事なんてありませんね.......。
6.逆転移の意味とその活用法
Ⅵ
〜分析者が抑うつ不安を伴って反応するような転移状況は、ほとんどの場合、患者が欲求挫折(あるいは欲求挫折に直面する危機)やそれによって惹起される攻撃性をつのらせながら、しかも自分自身にそれを向けてしまうような状況である。
ここで取り扱っている状況はある水準からみれば、患者が復讐を予期してその恐ろしい妄想から身を守ろうとして、自分で自分自身に復讐したり、分析医に転移している内的対象から加えられると思い込んでいる恐ろしい攻撃を自分自身に向けたりする状況である。
しかも患者はその攻撃がその後もさらに激しく続けられるのではないかと恐れているのである。
このような患者の心的現実psychosocial realityからみれば、患者を攻撃しているのは分析医であるともいえる。
そしてこの心的現実に対応して分析医の抑うつ不安が惹起される。
言い換えれば、逆転移としての分析医の抑うつ不安は、ことに患者の“マゾヒスティックな防衛”に対する反応としてーーこれは同時に、復讐(“マゾヒスティックな復讐”)でもある。ーーまた、この復讐が継続するという危機に対する反応として起こってくる。
このことを別な水準でみれば、患者がその攻撃性を自分自身に向け換えたとすれば、それは、患者自身に抑うつ不安が生じているためと考えられる。
つまり、患者は対象破壊を再体験しないですむように、また、対象を自分の攻撃性から守るために、攻撃性を自分自身に向け換えるのである。〜
今日も1日と、「最高の知性」と目される男が読む世界情勢と、【面白く生きようとすると、自分と違う生き方をしている人に興味が湧いてきます。そこから学んでみたくなります。】
今日も何事もなく1日が終わったこと、皆様に感謝しています。
笑顔で皆さん終われたことも、重ねて感謝しています。
いのうえっちが真剣な面持ちで新聞を見ていたので、何か大きなニュースでもあるの?って聞いてみたら、新聞を破っていただけでした(笑)。皆さんそれで笑顔で居室に行かれました。まだまだ室温管理が難しい時期が続きますね。
下記は、先日見つけた記事ですが、最高の知性って……書かれていることは、ともかく、ヤフコメが皆さんの代弁を、いつも通りしてくれていました。印刷が産業として始まった時期と、ネットが始まった時期との対比は、そうかも知れませんね。
今日も羽生先生の本からの引用です。老害だなんて一括にされますが、それなりに歳を重ねられても、こんなに柔軟で、近い将来を見据えておられる方もいます。結局、年齢は関係ないですね、生き方、考え方には!
〜分析的思考より総合的直感、抽象的なものより具体的なもの、論理より意匠を大切にする生き方を思い出してみるのも悪くないのではないか。正邪を言いつのっていては争いになる、そうではなく、次に進むための形を用意する。それぞれが正義を主張すると、ぶつかってしまう。
面白く生きようとすると、自分と違う生き方をしている人に興味が湧いてきます。そこから学んでみたくなります。
型の文化は古いばかりではありません。型があるから、思いが通い合う。茶の湯では、亭主、正客等、予め役割が決まっているから、深い時間が流れ、存分に「今」を楽しめるように思います。
歌舞伎の型を活かすためには、どれだけの稽古が必要か。けれど、とりあえず、三歳の役者も型に助けられて大舞台で拍手喝采を浴びることが出来るのです。型をきわめた役者は、八十歳を超えてなお初々しい少女となって観衆の前に現れます。〜
今日と昨日の日中と、【これからの技術は、機械システムであるより、経済や社会を含みこんだ生命システムのようなものへと変わってゆくのではないか。】
今日は、やっと日中の事業所さんのインフルエンザが下火になったので、皆さん出勤できました!日中はone on oneで、ゆっくり、暖かいうたたねのリビングで、音楽で過ごさせていただきました。
そういえば、昨日はたくちゃんが、お手伝いをされていました。
おっちゃんのギターの弾き方の癖をうまく掴んでおられる方もおられ、びっくりしました!が、おっちゃんは自己流なので、マネしないほうがいいかも?です。
みかんを2箱頂いたので、昨日は皆さんと一緒にいただきました。毎日食べないと、暖冬なので腐りそうですね......。
今回も、親分の恩師である羽生先生の本からの引用です。こんなに洞察力のある先生から親分は、何も得ることなく京都から去ったと思うと、なんともったいないことをしたのか?と、痛切に思います。
岡倉天心先生は、しつこいですが(笑)、生活そのものがアート(技)だと言っていました。生活の大部分を支えているのが女性だと思うと、女性のほうが、アート感覚に満ちていても不思議はないですね!
〜男性が組織を作って、設計図を描いて大量生産をする、それが近代でした。
人間は部品が一つ欠けると動かなくってしまう機械とは違います。右手が使えないときは、左手で何とか家事をこなす、大事な人を亡くしても、心に生きて助けてくれる、そう信じ今日をまわす。そんなふうに考える。それは、血管を柔らかにしておくこと同様に肝要なこと。
現代のITもAIも男の生産システム。と書いて、生活の言葉だけでなく機械の言語にも長けた女性の多い事実に気づきます。
これからの技術は、機械システムであるより、経済や社会を含みこんだ生命システムのようなものへと変わってゆくのではないか。
身体のなかに月の廻り、天体の動きを取り込み頭上と足下の天と地を感じ取っている女性のリズムに感応するような。
制度が要求してきたジェンダー以外、女と男にそんなに違いがあるわけではない。
男女を分ける線は溶解しつつあると思う一方で、どんどん自然から離れてゆく技術環境のなかで、自然である女性の体が悲鳴を上げているようです。〜
今日の日中と、文様記・歴史に私を織り込む遊び 羽生 清著
外食も中止していたので、今日は池之原におっちゃん組は行きました。改めてあけましておめでとうございますと、松の内が終わっても言いたくなる床の間でした。まっつんは、凄くなじんでおられました!
ゆっくり過ごさせていただきました!
本は、親分の恩師の羽生先生の本です。年初に送ってくださっていましたが、きれいなままテーブルにあったので、今日、出勤前にファミマでコーヒーを頂きながら読ませていただきました。題名の割に鋭く突っ込まれておられる個所があり、特に『芸術や文化は交流在ってこそ展開してゆく分野です。』には、頷いてしまっていました。できれば、明日もこの続きをアップさせていただきたいと思っています。
一番最後の行は、先生がはじめにで一番強調されたかったことではないでしょうか?
文様記歴史に私を織り込む遊び
羽生 清著
はじめに
〜現在孫世代の学生たちと話していると、四十年あまりの時の流れを実感します。本年度大学院の講義受講生は十六名中十四名が留学生。留学生に日本美意識の源流について語ることが私にできるのか。考えながら、これは、講義準備というより、人生百年時代の生存戦略であるように思えてきました。異文化理解は、いつの世にも必要だったわけですが、とりわけ、これからの時代、多彩な価値観に対して開かれていることがサバイバルの条件となってゆくのではないか、と。
芸術や文化は交流在ってこそ展開してゆく分野です。
違うから面白い。異なるから知りたくなる。そんな場か増えている今、首脳外交とは別な若者たちの相互信頼が深まっているように思うのです。
「反日教育から学んだのは、善良な市民を極悪非道にする戦争」と、話してくれた中国女子留学生もいました。国家による歴史認識とは違う、一人ひとりの出会いが作る国と国とのか関わり。
国籍の違いよりも、男女の違いの方が大きいと今更ながら思いました。〜
結局、余裕と、のぞみ整体院さんのブログと、【まさに、陽性転移が分析作業にとって不可欠であるように、分析医が患者を理解し、解釈するために陽性逆転移を血の滲む思いでもち続け、それを開花させることが分析作業にとって基本的に重要なことになる。】
余裕がある職員と、ない職員がいて(笑)、ない職員さん同士での支援はバタバタしているだけに見えます(笑)。経験年数とかは全く関係なく、もともとの気性でしょうね。やはり地頭の大事さが、何かあったときには必要になってきます。地頭はつけれないものでしたでしょうか?知っておられる方は、ご教授願います。利用者さんたちは、余裕のある職員が大好きですよ!当たり前のことですが........。
http://blog.nozomi-seitai-in.moo.jp/?eid=242 ⇒こちらがダイレクトに入れるURLです!
のぞみ整体さんの、白柳先生がもう見に行ってくださっていました!頂いたコメントは、本当のことです。もう少し持っていけば良かったと思うのと、先生が言われるように、もっともっと作らなければいけませんね......。
下記は、まだ相模原の事件が抜けないので 、もう少し逆転移について学習しようと思いましたし、上記にあるように、余裕がない職員を見ていると、相模原の事件は他人事ではないように感じたからです。あのような痛ましい事件にはならずとも、近いようなことは、どこの施設でも、そう感じとるか取らないかだけで常にあります。それは、転移・逆転移の学習をすることによって、大分軽減されそうにも思えるのですが、アカデミックに言わないと、皆さん馬鹿にして(笑)取り合わないくせに(笑)、アカデミックに言ってしまうと、今度は避けられる(笑)。結局は、どうしたいのでしょうか?福祉の道に入ってからずっとそんな思いで過ごしています。
ラッカーでさえ下記のように記述しています。凡人の自分には、もっともっと努力しなければいけないぞ!って言われている感じが強烈にしました.......。
血の滲む思い.......。まだまだですね.......。ただ、自分にはしつこさ(笑)、良いように言えば、粘り強さがありますので、何とか頑張ってみようと思います。
~まさに、陽性転移が分析作業にとって不可欠であるように、分析医が患者を理解し、解釈するために陽性逆転移を血の滲む思いでもち続け、それを開花させることが分析作業にとって基本的に重要なことになる。
このようなやり方をしてはじめて、分析状況を分析作業を行えるような真に好ましい雰囲気 climateに育てることができる。
分析医の患者に対するかかわり合いはリビドー的結びつきであり、一連の情緒的な体験である。そこでは、分析医の願望や欲求挫折や不安は、それがどれほど些細なものであっても、患者にとっては現実のものなのである。
そして、逆転移の一部は患者の転移と歩調を共にしてたえず揺れ動いており、それだけに治療の成否の大部分は、“逆転移神経症”を乗り越えて陽性転移を維持し続ける分析医の能力にかかっているといえる。
あるいは、自分自身の灰の中から必ずよみがえる不死鳥のように、繰り返し繰り返し傷つけられる逆転移神経症からいかに分析医が自由になれるかということにかかっているといえるであろう。〜
今年の目標と、アンダーフォーカスとプレゼンスとオーバーフォーカスと、アンディ・ウォーホール・キョウトと、【 防衛が分析されることによって、患者はもし分析されなかったならば遭遇しなかったはずの数々の体験をしていく。】
写真は、先日アレクサンダー・テクニークの会場にあったものです。いつも素敵な言葉と絵があります。そう言えば、今年の目標を考えていませんでした(笑)。何にしましょうか? 毎年ながら、もっとギターが上手く弾けるようになりたい!とか、銀座の資生堂ギャラリーで個展をやりたいとか、ですかね? 福祉は現在のメインの仕事なので、頑張るのは当たり前ですが、その中での目標は、今年中には不可能ですが、小羊学園さんみたいな施設を作りたい!です。目標は大きいほど良いと言われますので(笑)、そうしておいてくださいね!!
アンダーフォーカスとプレゼンスとオーバーフォーカスは、アレキサンダー・テクニーク時に毎回くらい耳にしていましたが、今回初めて耳の中に入りました。今までは、技術の習得にオーバーフォーカスしていて、目の前を通り過ぎていただけだったんだと、初めて気づきました。
アンダーフォーカスは、集中しなさすぎで、オーバーフォーカスは、集中しすぎた状態で、プレゼンスというのは、自分の存在をきちんと認識できている状態とのことでした。何かをしながらもきちんとプレゼンスを忘れずにいたいのですが、中々思うようには行きませんね.......。
白柳先生に左腕の不調を訴えて、体全体を診ていただいたら、右手の親指の不調を指摘され、施術でだいぶ楽になりました。そのことを八塚先生に話したら、原因になにかしら心当たりはありませんか?とのことで、よくよく考えましたが、ギターしか思い当たる節がなく、その旨伝えました。終わり間際になり、自分の右手の形を見たら、なんと、ゲイトマス・ブラウン大先生がギターを弾く時の右手の形になっていました。大御所が長く健在であり続けるには、自然な体の使い方を会得されているんだなと、改めて感心させられました。
下記は、ジャパンデザインネットさんからの中にあった記事です。京セラ美術館なるもものができるのですね!
リンクを開いてみたら、立派なサイトができていました。
下記はまた、ラッカーの引用になってしまいました。
以前、北山修先生の本の中で、深津先生が本当の自己というのは、偽りの自己をはがせば出てくるのか?と投げかけていた記憶がよみがえりましたが、北山先生の答えは、そんな簡単なことではないようなものであったような覚えがありますが、またまたいい加減な記憶なので気にしないでくださいね(笑)。
結局、お互い人間なので、転移・逆転移や投影同一視などは、お互いが育った環境や歴史がしっかりとこびりついていて、簡単にはお互いはがせないし、神田橋先生が言われる、折り合いをつけることの重要性を、下記には直接ではありませんが、書かれている気がしました。
宗達の絵画、特に水墨画は、胡粉を厚く塗って、墨を奥まで浸透させて、深みが出せるように計算されています。宗達は俗に影を描く画家だと称されてもいますが、豊かな筆運びの中にも奥深さがあるのはそのためでもあります。人間も色々ある人ほど深いところにまで、気を配らないと何も改善できないのでは?と思っています。
わざわざ表に出さなくてもよいものまで出してしまう怖さもありますが、それを心的外傷にならない程度に少しずつ少しずつ引き出して、お互いに肯定していければ、事態は時間がかかりますが打開できると思われます。
〜この転移の激しさに加えて、その深さもまた、分析的な転移の特徴をなしている。
防衛が分析されることによって、患者はもし分析されなかったならば遭遇しなかったはずの数々の体験をしていく。
たとえば、さかねじをくわすというやり方で防衛する傾向のある被分析者は、解釈が功を奏することによって、徐々にその背景にあった妄想メカニズムすなわち分析医を迫害的な超自我にしたてあげていたことに気づいていく。
この種の超自我は、被分析者を責め立てるが、それはかつて彼自身が分析医も含めて他の人たちを責めた事柄について、今度は自分自身が責め立てられるのである。
こうして次々に、この新しい状況がさらに奥にある転移を防衛するためのものであることが明らかにされていく。〜