オクターブ合わせと、『セサミストリート』50周年、人種問題を超えたマペットたちは子供番組の革命児だったと、【妄想-分裂ポジションを特徴づける存在のありかたにとって基本的なのは、自己と対象の愛に満ちた側面と憎しみに満ちた側面の不連続を移住するために、絶えず歴史が書きなおされることである。】
少し前から気になっていた、335の6弦のオクターブを大分変えていなかった弦交換のついでに合わせました。ブリッジが一番端になっていて無理かな?とも思っていたので、半ばあきらめ半分で、重いっ切って少しブリッジを前に出して合わせなおしたら、なんとか合いました。以前、楽器屋さんにブリッジごと移動させないと無理かもって言われていましたが、何とか生きながらえてよかったです。同じグレードの新しい楽器は今の収入では買えないので、必死でした(笑)。
今日は早番と遅番の中抜けなので、その間にテレキャスターも弦を張り替えました。アコースティックギターはもう何か月張り替えていないのでしょう?手元にも弦がありません。搬出に行ったら大阪で買いたいですね。
いろんな話題を、みなさんと議論しようと、いいネタがあれば保存させていただいていますが、出番がなく削除してしまうのも数知れず.....。
下記も少し前に保存させていただいていたものですが、下記の青字のところに感銘を受けました。大人になっても子供心(遊び心)がなければ、新しいことは生み出せませんし、それより生きていて楽しくないのでは?ないでしょうか?子供や基底欠損水準にある方には、遊びが重要な支援ツールであると思います。自分に子供心がなければそういう方々の支援は困難ではないでしょうか? うたたねの職員さんたちは、皆さんと触れ合っていくうちに、段々と子供心・遊び心を思い出していっています。最初、まじめの塊だった職員さんが段々と良いほうに崩れていくのを見ていると、本当にそう確信できます。
どんなに技術が進歩しても、子供は子供だ。感情面では子供たちは過去50年変わっていないし、今後も変わらないだろう。子供たちは大好きなキャラクターに友達のように語り掛ける。困っている人がいたら助けようとするし、新しい課題に挑戦してスキルを習得する意欲も旺盛で、そして何より笑うのが大好きだ。
将来は今とはまた違った技術的なツールが手に入るかもしれない。だが一番大事なことは、クーニーが50年前に企画に着手したときと変わらない。1つの構想、1つの創造的アイデア、1つの問いが子供たちの生活をより良い方向に変える力になるのだ。
子供たちのことをよく知っていて、理想に燃えている人、実験的な試みに果敢に挑んでより良い番組を作ろうとする人。そんなクリエーターたちが子供番組の新たな時代を切り開くに違いない。
下記はオグデンですが、植物の根も、乾燥と湿潤の繰り返しによって根を深く、広く張っていきます。人間もそうかもしれませんね?
歴史を絶えず書き直せないと、いつまでもその時のままなので、成長や変化が乏しくなってしまいます。あまり考えすぎて、複雑になってしまうと、どこから手をつけてよいのか?わからなくなるので、考えもアートや音楽のように、シンプルな方がわかりやすいし、格好がいいかもです。
~このような不連続性がなければ、乳児は安全に乳を吸うことはできず、死んでしまうかもしれない。
妄想-分裂ポジションを特徴づける存在のありかたにとって基本的なのは、自己と対象の愛に満ちた側面と憎しみに満ちた側面の不連続を移住するために、絶えず歴史が書きなおされることである。
本質的なことは、ただひとつの情緒的平面しか同時には存在しないことである。でなければ対象関係は汚染され、その結果、原始的なこころにとっては耐え難いほどに複雑になってしまうのである。