うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今年の目標と、アンダーフォーカスとプレゼンスとオーバーフォーカスと、アンディ・ウォーホール・キョウトと、【 防衛が分析されることによって、患者はもし分析されなかったならば遭遇しなかったはずの数々の体験をしていく。】

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 写真は、先日アレクサンダー・テクニークの会場にあったものです。いつも素敵な言葉と絵があります。そう言えば、今年の目標を考えていませんでした(笑)。何にしましょうか? 毎年ながら、もっとギターが上手く弾けるようになりたい!とか、銀座の資生堂ギャラリーで個展をやりたいとか、ですかね? 福祉は現在のメインの仕事なので、頑張るのは当たり前ですが、その中での目標は、今年中には不可能ですが、小羊学園さんみたいな施設を作りたい!です。目標は大きいほど良いと言われますので(笑)、そうしておいてくださいね!! 

 

 アンダーフォーカスとプレゼンスとオーバーフォーカスは、アレキサンダー・テクニーク時に毎回くらい耳にしていましたが、今回初めて耳の中に入りました。今までは、技術の習得にオーバーフォーカスしていて、目の前を通り過ぎていただけだったんだと、初めて気づきました。

 アンダーフォーカスは、集中しなさすぎで、オーバーフォーカスは、集中しすぎた状態で、プレゼンスというのは、自分の存在をきちんと認識できている状態とのことでした。何かをしながらもきちんとプレゼンスを忘れずにいたいのですが、中々思うようには行きませんね.......。

 白柳先生に左腕の不調を訴えて、体全体を診ていただいたら、右手の親指の不調を指摘され、施術でだいぶ楽になりました。そのことを八塚先生に話したら、原因になにかしら心当たりはありませんか?とのことで、よくよく考えましたが、ギターしか思い当たる節がなく、その旨伝えました。終わり間際になり、自分の右手の形を見たら、なんと、ゲイトマス・ブラウン大先生がギターを弾く時の右手の形になっていました。大御所が長く健在であり続けるには、自然な体の使い方を会得されているんだなと、改めて感心させられました。

 

 

 下記は、ジャパンデザインネットさんからの中にあった記事です。京セラ美術館なるもものができるのですね!

 リンクを開いてみたら、立派なサイトができていました。

 

www.japandesign.ne.jp

 

 下記はまた、ラッカーの引用になってしまいました。

以前、北山修先生の本の中で、深津先生が本当の自己というのは、偽りの自己をはがせば出てくるのか?と投げかけていた記憶がよみがえりましたが、北山先生の答えは、そんな簡単なことではないようなものであったような覚えがありますが、またまたいい加減な記憶なので気にしないでくださいね(笑)。

 結局、お互い人間なので、転移・逆転移や投影同一視などは、お互いが育った環境や歴史がしっかりとこびりついていて、簡単にはお互いはがせないし、神田橋先生が言われる、折り合いをつけることの重要性を、下記には直接ではありませんが、書かれている気がしました。

 宗達の絵画、特に水墨画は、胡粉を厚く塗って、墨を奥まで浸透させて、深みが出せるように計算されています。宗達は俗に影を描く画家だと称されてもいますが、豊かな筆運びの中にも奥深さがあるのはそのためでもあります。人間も色々ある人ほど深いところにまで、気を配らないと何も改善できないのでは?と思っています。

 わざわざ表に出さなくてもよいものまで出してしまう怖さもありますが、それを心的外傷にならない程度に少しずつ少しずつ引き出して、お互いに肯定していければ、事態は時間がかかりますが打開できると思われます。

 

 この転移の激しさに加えて、その深さもまた、分析的な転移の特徴をなしている。
  防衛が分析されることによって、患者はもし分析されなかったならば遭遇しなかったはずの数々の体験をしていく。

  たとえば、さかねじをくわすというやり方で防衛する傾向のある被分析者は、解釈が功を奏することによって、徐々にその背景にあった妄想メカニズムすなわち分析医を迫害的な超自我にしたてあげていたことに気づいていく。

   この種の超自我は、被分析者を責め立てるが、それはかつて彼自身が分析医も含めて他の人たちを責めた事柄について、今度は自分自身が責め立てられるのである。

  こうして次々に、この新しい状況がさらに奥にある転移を防衛するためのものであることが明らかにされていく。