うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

利恵さんの誕生日と、帰納的標本展(中根雅弘作品展)の紹介と、【したがって精神分析治療そのものが、このようにエロスを内包している以上、それが転移を一層強化していく動因であるといえるのである。】

 

 

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 今日は利恵さんの誕生日でした!

皆さんなりのお祝いの仕方で、お祝いされていました!それはそれで素敵でした!

ボランティアさんが、先月に引き続きケーキを作って下さって。皆さんおいしそうに食べておられました!

 

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 でも、なんかヤンキーの成人式のようになって来ていました(笑)。



 先日、体を診ていただいた、白柳先生がご自身のブログで、帰納的標本展の紹介をしてくれました。弥生博物館さんのリンクも張り付けて下さっていて、本当に感謝です!彼女の行動力を見習っていかないといけませんね!彼女のブログは勉強になりますので是非見てくださいね!

 

blog.nozomi-seitai-in.moo.jp

 

 またまた、ラッカーからの引用です。 文章だけでは分かったつもりになれますが、いざ、現場で応用するとなると、二の足を踏んでしまうかもしれません。きっと、きちんと理解していないからですね。でも、大きなヒントが書かれているようにも感じます。精神分析が万能で、精神分析だけを勉強しているわけではありませんが、障がいをお持ちの方々の事例検討に自閉症の方が多いように、個人的にはわかりやすいから、どうしても引用が増えてしまいます。転移を強化させるために、分かりやすくするために、本当の生きた時間を少しでも可能な限り作っていくのも、自分たちの大事な仕事だと思っています。簡単なことではありませんが、時間をかけて焦ることなくやるだけです。

 これだけやっても感謝されないとか言われる方がいますが、それがボランティアならいざ知らず、職業として行っているのなら、逆にそれでお金をいただいているので、感謝しないといけないのでは?と、個人的には思います。サリヴァンは、一番結果を残している精神科医は、仕事を糧としてやっている精神科医で、名誉が欲しくてやっている精神科医は結果が出せていないようなことを言っていた(著書ではなかったと思うので)記憶があります。いい加減な記憶かもしれませんが、あながち間違いでもない気もします。

 現場にいると、転移・逆転移のオンパレードですので、そういう意味でも、精神分析的な考えは、必須のように思います。

 

 〜このような愛情によって始動させられたリビドーはひとりでに、まずは分析医へと向けられる。

 つまり、そこでは愛情欲求ではなく、愛する能力がそれによって強化され、分析医に向けられる。

 この過程が治療の基盤をなすようになると、過去の欲求挫折と歪曲がある程度矯正され、神経症の根本的な特徴のひとつである反復強迫も転移を分析することによって放棄され、修正されるようになる。

 しかし、太古的な表象は存在し続けているので、このようにリビドーが始動し、激化していくこと自体が、妄想的不安や抑うつ的不安を増強してしまう。

 たとえば、分析医が誘惑者とみなされたり、分析治療が罠であるとみなされたりする。このようにして乳幼児期の内的対象関係はますます分析医に転移されていく。

 したがって精神分析治療そのものが、このようにエロスを内包している以上、それが転移を一層強化していく動因であるといえるのである。

男の美学(笑)と、ブルーボトルコーヒー京都と、土山SAと、【分析医の一貫した共感と忍耐と解釈とが緊張や不安を和らげるのであり、しかも、それらのすべては分析医の愛情表現としての反応である。

 

 

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 山王商店街にあったものですが、唸ってしまいました。ほんと、こうありたいかも?こうなってしまうのかも?(笑)ですね。

 

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 途中、京都で用事を済ませて、一度は飲みたかったブルーボトルコーヒーに行きました。確かに豆の味が感じることが出来る、美味しさでした。煎りで誤魔化していないのが好きなので、口に合いました。

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 親分は、持ち帰りも注文してました(笑)。写真は土山SAできつねそばを頂きながら写しました。

 

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  また、ラッカーのアップになりましたが、下記は下手なコメントは不要ですね。

パソコンの移行が、自宅はまだなのでタブレットからのアップです。写真のサイズがデカ過ぎました。

 

 〜もうひとつ分析治療に固有の要因があり、それが転移の力動性を規程している。これまで、分析治療の原理自体が葛藤的な対象関係を際立たせる働きをすることはすでに述べた。
 そして、その対象関係は乳幼児期に外界との関係で形成されたのであるが、今では精神内界のものとなっている。この点については、精神分析は攻撃性として作用するのであり、被分析者の現在のあり方を攻撃し、潜在している分裂schismsを表在化し、内的な葛藤や分離separationsを転移の中で外的なものに転換する。

 こうして、分析治療が不安、緊張、苦痛そして愛情欲求を生み出す。しかし、精神分析の過程にはもうひとつの側面がある。

 それは、分離しているものを融合し、切断されているものを結合させる作用であり、本質的にはエロスの表現といえるものである。忍耐を必要とする基本規制と、病的な拒絶すなわち自分自身の自我のさまざまな部分に向けられた不合理な攻撃性のすべてを取り払うという精神分析治療の原則は、それ自体がエロスの表現であるともいえる。

 分析医の一貫した共感と忍耐と解釈とが緊張や不安を和らげるのであり、しかも、それらのすべては分析医の愛情表現としての反応である。〜

ディープ大阪ツアーと、のぞみ整体さんと、【この発達段階における乳児の世界は、情緒的に異なった対象によってごちゃごちゃになっている。しかし、それらの対象は、外側の観察者の視点から見れば単一の対象なのである。】

 

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 今日は午前中、少し余裕があり、親分がディープ大阪ツアーなるものを検索していたので、内容を見させて頂いたら、余裕で案内出来るところばかりでしたので、案内するから、ツアー代の5,900円を請求しましたが、ダンマリ決められました。慌ただしく案内してして、お互いの私用に別れました。ツアーになかったところも案内したので、8,000円くらいもらわないと割に合わんですね(笑)。自分の親戚が、あいりん地区で食堂をしていたのを、幼い頃にアル中オヤジに連れて行かれたことがありましたが、記憶というのは、いい加減なもので、もちろんその方もお店も、なくなっていましたが、何処だったかも思い出せませんでした。オヤジがあいつは変わり者だと言っていましたが、自分には分かる気がしました。

 自分はのぞみ整体さんで施術して頂きましたが、ほぼ話してばかりで申し訳ありませんでした。ても、沢山勉強出来ました!左腕の不調は、右手の親指の不調からきているとのことで、その辺りの施術で痛み・張りがなくなりました。ギターのせいでしょうか?親指でルート音をキザミ続けていますので、そのせいかも知れませんね。
後、血液の結果が良くなったことを話したら、ストレスを低減させるホルモンは、中性脂肪を使うという説もあるとのことでした。本当にストレスがある方は痩せているのかも知れませんね……。博物館さんでの展示のチラシとハガキも積極的に配布して下さったとのこと、感謝しかありません。ブログにも出して頂けると……本当に感謝です!白柳先生と、杉山登志郎先生との出会いは、杉山登志夫先生も、神田橋先生の診察の陪席されていて、杉山登志郎先生が身体の不調を神田橋先生に話された場に、白柳先生が居られ、神田橋先生にその場で言われたとのことでした。感動しました!

 

 現場の方も色々あったようですが、管理者・主任さんが中心となって、きちんと対応してくれたとのことで、もうそろそろ自分はお役御免かな?って思いました。今年は本業に専念出来るかな?

 



  下記はオグデンに戻りましたが、ラッカーの続きのようでもありますね。

人様の心の中なんて、よほど経験と勉強しないと解かるはずもないし、仕事じゃないと、しんどいので、覗きたくないですね。第三者として見させて頂いたら、下記のように見えますね。

 

 ~対象が動かされたときの対象のこの物理的不連続は、妄想-分裂状態での異なった感情的「ポジション」における自己と対象の情緒的不連続と類似している。

 この発達段階における乳児の世界は、情緒的に異なった対象によってごちゃごちゃになっている。しかし、それらの対象は、外側の観察者の視点から見れば単一の対象なのである。

搬入・展示と、山海料理・仁志乃さんと、【換言すれば、通常では、分析が治療的に作用するのは、分析医が行動しないから、つまり患者のもつ悪循環にまきこまれないからであるといえる。】

 

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 朝に大阪に向かい、時間を適当に(笑)潰しながら、夕方搬入・展示をさせて頂きました。いざ作品を並べると、もう少し作品を持って来たら良かったと後悔しています。初めて人前に出させて頂いたのもあり、3mある路肩は、近くでしか見ていなかっので、拡げて遠くから見ると、もっとアクが強くても大丈夫だな、と反省もできました。次は東京で出来たらと、色々動き始めました。

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 まだ打ち上げには早いですが、安宿に行く途中にある、小6と中1が同じクラスだった、西野君のお店、11月には30周年になる!山海料理・仁志乃さんに予約入れたら、フグが美味しいとのことで、てっちりを頂いて来ました。本当に美味しかったです!

 普段のひと月分の食費になりましたが(笑)。

 屋上に上がる階段で、2人でコックリさんしていたのをなぜか?思い出しました(笑)。上野芝中学校が、池上彰の番組で取り上げられていたとのことで、なんでって聞いたら、超マンモス校だったからでした。自分の学年は19クラスあり、その下は、20クラス超えてましたからね(笑)。運動会は学年毎、修学旅行は、半分ずつでした(笑)。

 

 

 下記はまだラッカーの続きです。相模原が中々頭から抜けません……。

 行動化されやすい支援者もいます。それが本当の正義と勘違いしてしまうのでしょうか?自己満足を追い求めているのでしょうか?判断が難しいですが、行動化し易い支援者は、他の支援者からも行動化させられています。ご家族にも、友達にも行動化させられています。それで幸せなら、その方にとっては良いことかも知れませんが、いざ、仕事となると自分の幸せだけを考えるだけではいけませんが……。

 

逆転移
 ~換言すれば、通常では、分析が治療的に作用するのは、分析医が行動しないから、つまり患者のもつ悪循環にまきこまれないからであるといえる。

 ところが、場合によっては、まさにこの原則をたてにとって、自分の目的のために防衛機制として利用し、分析医の解釈を無力化してしまう患者がいるのである。

 このような患者は、行動化する患者以上に、“働きかけられること”を求めていると思われる役割の中に“入りこむ”ことになるわけであるが、それは、ーーその際その行為によって不安に陥らず(あるいはほとんどこと陥るなく)、しかもその時、2人の間で何が行なわれているかを分析していればーーその特有の悪循環を断ち切る方法として利用できることも少なくない。
 その時の分析医の行為自体が、すでに最初の解釈として行われた行為であるともいえる。というのは、根本的にはその行為が解釈であり、ただ、行為という形態を借りたにすぎないからである。
 しかし、このような分析医の側の行為は、それがなくても歩けるようになるまでの間、しばしばみられるように全く歩かないでいるよりは、松葉杖を借りてでも歩く方がよいのである。

 他方、逆転移に溺れてそのようなことをすれば何らかの危険性が生じてくるのは当然のことであり、このような実験を試みることは、すでに転移と逆転移の取り扱いに充
分な経験を積んでいる分析医に対してのみ勧められるものであろう。

暫くはゆっくりと、「できる人」「できない人」の二極化が激しい職場の末路と、【ところで、分析医を“不安や怒りからは自由な”良い対象として、自我や超自我に取り入れるということが、治療上、根本的なことといえるほど重要であることは、これまで繰り返し強調されてきた(Heimann,1956とStrachey,1934らによる)。】

 

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  日中の事業所でインフルが蔓延したとの事で、暫くはお休みします。

水曜日まではみなさん何もなければ、木曜日から出勤です。外出できなくても、みなさん楽しそうでしたので良かったです。自分はPCの入れ替えで(入れ替えはプロの方ですが)セキュリィティソフトを購入して入れたり、会議のレジメを作ったりで何か(笑)バタバタしていました。今日はしっかりした職員さんばかりでしたので、安心して現場を任せる事ができました。

 

  下記は、どこでも問題になる事ですね!難しいですが、時間がかかりますが、人を自前で育てることが一番大事な気がします。それと助け合う精神ですね。誰でも自分が助けてもらったら、また違う形で人を助けようと思うのではないでしょうか?甘いと言われそうですが、自分も若い時に沢山助けられ、育てて頂いたので、今は自分が出来る範囲でしか勿論無理ですが、育てたいと思いますし、お助けさせて頂けるのなら、そうさせて頂きたいと思っています。まだまだ非力ですが.......。

 

 やはり頭の中から、相模原が抜けなくて、ラッカーの逆転移を続けてアップさせて頂きました。利用者さん⇔支援者だけでなく、支援者⇔支援者の転移⇔逆転移もあるので、人間関係は難しくなりますね......。でも、下記辺りを真剣に学習すれば相模原の事件までに至らない小さなことでも(その小さなことが難しいのですが....)、何かしら解決策が見えてくる気がします。心と耳を澄ませていないと見えないかも知れませんが......。

 

 これまで述べてきた線に沿って考えていくと、逆転移を自覚することの重要性は、それによって患者の転移の中にみられる対象関係の中核的葛藤を知ることができるということばかりでなく、患者の内界と外界でくり広げられる内的対象の反応の仕方をも知ることができるということにもあることを強調しておかねばならない。

 ことに、患者がやがて取り入れていくものではあるが、その時点ではまだ分析医に置き換えられているイマーゴへの患者の反応の仕方について知ることができるということは重要なことである。

 ところで、分析医を“不安や怒りからは自由な”良い対象として、自我や超自我に取り入れるということが、治療上、根本的なことといえるほど重要であることは、これまで繰り返し強調されてきた(Heimann,1956とStrachey,1934らによる)。

 しかし、患者がこのような取り入れを行なうようになるには、その前に、分析医がいつでも自分の逆転移を認識し、統制し活用して、転移を理解し、自分の陰性および性愛的逆転移を克服していかねばならない。

 このことが重要である理由は、そのような逆転移は分析医が自分自身と患者から転移された対象とを一致したものとして同一視している限りーー部分的には同一視するべきことであるがーー患者の陰性および性愛的転移に対して、自然な反応として必然的に起こってくるものだからである。
 逆転移への関心が大きくなるにつれ、患者が自分の内的対象や外的対象に対してどの読むかかわり方をしているかということについてはもちろん、逆にそのような対象が患者に対してどのようなかかわり方をしているかということについても、わたくしたちの理解は深まっていく。

 こうした理解が得られるにつれ、分析医が患者の内的現実にかかわり、それとコミニュケーションをはかる程度も広がり積極的になってきている。

うたたね茶会と、やまゆり園後継施設の運営見直しと、【これと同じく、陽性逆転移の基本的役割は、患者の無意識(つまりは分析医自身の無意識)に目を向け、逆転移抵抗を克服するために必要なエネルギーを供給することにある。】

 

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 周囲でインフルエンザが猛威をふるっているので、今日はみなさんうたたねで過ごしました。うたたね茶会を開き、みなさん話をされていました。

 

 下記は、先程ネットで見たニュースです。コメントは控えますが、こちらもヤフコメが、現実を語ってくれています。本当に重度の方の行き先がなくなりますね。度が過ぎた対応は勿論ダメですが、あんな大きな事件があったのに、一部の現場を知らない相談支援員の様なことを平気で言ってしまっている気もします。偉そうに言うなら、全ての形態の施設で最低1年間ずつ働いてみてからモノ申せば良いような気がします。このまま左の方々が言いたくれを言うならば、職員が集まらず、施設自体がなくなって行くのではないでしょうか?勿論、過剰な拘束や暴力などを認めているわけではありません。

 多くの利用者さんを一気に集めてそれなりに人員配置したら、確かに給与はあがるでしょうが、自分たちが小舎制を選ばせて頂いたのは、きちんと重度の方を見させて頂きたいからです。時間はかかりますが、きちんとした支援と勉強をしていたら、多動で食事もじっとできなかった方が、今や外食に皆さんと出掛けることが出来たり、一人で入眠できなかった方が、できるようになったり、睡眠時に無呼吸だけではなく、激しいいびきをされる方が、体位変換と気道確保で、朝まで熟睡できるようになったりできています。エディプスの壁を越えられていなかった方が、毅然とした態度でダメなことはダメと言う事で、こちらも時間がかかります(心的外傷にならない程度の毅然なので)が、少しずつ越えられるようになられています。伝統産業が先細りになって来たときに、京都市伝統産業課の方が、新家内工業にしないとやれなくなると言われていたように、小さな規模で手厚くすれば(勿論、きちんとした指導者が居ての前提ですが)、先に述べたようなことも本当に可能です。トヨタカイゼンを、皆さんは忘れてしまったのでしょうか?誰があれがこれが悪いのではなく、障がいをお持ちの方々の環境が、お金を産む道具になってしまっているのも現実です。お金がなければ何もできないのも、重々知ってもいます。教材も事例検討も自閉症の方の物が多くて、自閉症の方は、嵌まればきちんと嵌まって問題なく生活できる方が多いですが、それ以外の方の方が難しさを感じています。でも、間違ってはいけないのが、同じ人間なのでどこかで通じ合う事ができるはずですし、そうさせて頂いています。時間がかかることが認められない時代に、エビデンスという、一部だけの結果で判断されてしまう時代に、クラインマンは臨床人類学を使って立ち向かって行っているのだと思っています。

 

 相模原の裁判が始まったので、3回はそれに関連するようなアップをと記したように、今回も逆転移を取り上げさせて頂きました。(ラッカーの『転移と逆転移』からです)

 上でたらたらと(笑)述べた偉そうな(笑)ことは、結局、陽性転移を出して頂くには、松木先生がまず、逆転移から転移というように、こちらからエネルギーを供給していくしかないのかとも思っています、それはお笑いだったり、ペーソスだっったり、日常で起こる様々なことをお笑いにして意味づけしたりすれば、分かりやすかったりします。勿論、その方にあった形で行うのは言うまでもありませんが。それも時間がかからなかったり、案外かかったりで、簡単なことではありませんが、頭を使うのは面白くないでしょうか?自分は逆に誰でも見れる方には興味が湧きません(仕事はきちんとさせて頂いています)。それも結局、日々の関係づくりの成せる業ですが。


逆転移
 ~精神分析過程で陽性転移が果たす基本的役割は、患者が治療で協同作業をしていくためのエネルギーと、無意識に目を向けて抵抗を克服していくためのエネルギーを供給することにある。

 これと同じく、陽性逆転移の基本的役割は、患者の無意識(つまりは分析医自身の無意識)に目を向け、逆転移抵抗を克服するために必要なエネルギーを供給することにある。

 分析治療中に、患者が分析医に対してみせる忠誠心の起源は愛にあるのであり、陽性転移が維持されている場合にのみ、分析医に耳を傾ける(Freud,1917)のと同じで、分析医の場合も患者を理解する態度の起源は愛にあり、陽性逆転移が維持されている時のみ、患者のイドおよび自我とを同一視することができるのである。

常春と、【もう一つの逆転移の分け方としては、分析医が患者の自我とイドに同一視すること(すなわち“融和型同一視concordant identification”)に由来する逆転移の部分と、患者の(内的)対象と同一視すること(すなわち“補足型同一視complementary identification”)に由来する部分に分けるやり方もなされてきた(第6章参照)。】

 

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 やはり、この地域は常春ですね!今年は暖かいのもありますが、毎年この時期でも何かの花が咲いています。

 インフルエンザが猛威をふるって来ましたね!皆様お気を付け下さいね。

 

 下記は、ラッカーの続きですが、オグデンが統合の不全の中で、分割はもっとも基本的には体験の組織化様式であるが、防衛機能にも役立つことになる。と、アップさせて頂いたことと、同じことを言っている気がします。

 相模原の事件も、転移から受けた衝撃をきちんと、自分の中で整理できなかったんだと思われます。現場の職員はなぜか馬鹿にされたり、下に見られたりしますが、現場の職員こそ、精神分析的な学習をしないといけないし、より高度な技術や知識の蓄積が必要ですし、それなりの仕事をしていると思っています。現場の支援者のいう事をバカにして(笑)聞かない相談支援員がいますが(笑)、笑止ものですね(笑)。本当にこちらは命を預かっているんだぞ!と(笑)、今日もなぜか言いたくなりました。まあ、そういう方ほど、現場を知らないですからね(笑)。転移、逆転移をモロに受けるのは、何を隠そう、現場の人間ですから!!

 

 

  もう一つの逆転移の分け方としては、分析医が患者の自我とイドに同一視すること(すなわち“融和型同一視concordant  identification”)に由来する逆転移の部分と、患者の(内的)対象と同一視すること(すなわち“補足型同一視complementary  identification”)に由来する部分に分けるやり方もなされてきた(第6章参照)。

  特に後者の逆転移は、分析医を転移から受けた衝撃の中に封じ込めてしまい、その悪循環から逃れられないようにしてしまう危険性をはらんでいる。
  そのため、ことに陰性逆転移をひき起こしやすい。このような事態を避けるためには、分析医が自分自身に対して距離を保ち、昇華された陽性転移を自由に使えるように分離しておくことができなくてはならない。

  そしてこのようなことを可能にしてくれたのは、深い転移と逆転移との間で開花していく全過程がつまびらかにされてきた最近の進歩によるのである。

  しかし、これまですでにわたくしは、分析医であれば必然的にこのような表裏に分かれる“二重のかかかわり方double  life”をせざるを得ないということや、そのような“健康な分裂”についてや、さらに、自分を二つに分割して、不合理な体験をする自我部分と合理的な観察をする自我部分とに分けざるを得ないという技法上の原則(患者についてもこれと同じことが要請されるのであるが)についてはすでに言及しているので、これ以上は取り上げないことにする。〜

きれいな空と、古典×現代2020―時空を超える日本のアートと、【この時、分析医が“抑圧から解放される”ことによってはじめて、患者が抑圧し閉鎖してしまっている生き生きした考えや温かい感情を、分析医の方から補給してあげる道が開かれる。】

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 今日は早番でしたが、送迎が上手くいかず、手遅れになる前に自分が動きましたので、何事もなく済みました。普段送迎をしていない者が送迎になっていると、自分もそうですが(笑)、忘れてしまう事があり、皆さんに迷惑をおかけしてしまいます。

 早番に入る前に、ルーチンで(笑)ファミマで本を読んでから入ろうと出たら、空がきれかったので、思わず写していました。今日は日本だけでなく、世界的に大きな出来事があり、個人的に落ち着かなかったですが、支援に入ると集中して嫌なニュースを忘れる事ができました。

 

 下記は、ジャパンデザインネットさんからの物です。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》 江戸時代・19世紀 和泉市久保惣記念美術館 と、偶然にも昨日書かせて頂いた、あこがれの自分の故郷にある美術館の名前が出ていました。好きなアーティストさんも出品しているので、時間があれば見に行きたいです。

 

 下記は、またラッカーの『転移と逆転移』に戻りますが、理由は今日、相模原の痛ましい事件の裁判があったからです。3回はこの辺りをアップさせて頂きます。

 相模原の事件までに至らずとも、事件にならない事は、沢山あります。それは障がい者施設だけのものではないので、やはり学校教育の場で、くだらない、偏見に満ちた道徳よりも、精神分析的な人間の内面に迫ることが出来るような教育が必要なのではないでしょうか?せめて転移と逆転移の仕組み等を知識として知るだけでも、いじめは少なくなりそうな気もします。人間同士が向き合えば、転移は必ず起こるというのなら、逆転移もあると言う事なので、自分の中で、自分をきちんと整理できるような教育(記述だけでは簡単ですが)が本当に必要だと思われます。自分自身が何かからリリースされていないのに、向き合う方々を何かからリリースできるでしょうか?辛いこと、大変なことを乗り越えてもいないのに、人様の苦労が分かるのでしょうか?アカデミックなことだけでは、何も解決しません。投影を受けたり、投影をしたり、それが上手く自分で処理が出来る能力がなければ、自ずと他人のせいにして、だれだれがあんなことをしたからこうなったとか、あいつは悪い奴だとか、自分の能力がないのを人様のせいにするしかなくなりますね.......。福祉職には、本当にそのような教育が必要なのでは?と精神分析関係の本を読みだしてから、特にそう思うようになりました。精神分析が万能だとは思っていませんが、考えることの軸にはなりますし、軸がなければぶれまくるだけだし、学習・教育の必要性を感じます。

2.精神分析技法の古典と現代
逆転移
 〜逆転移の研究では、その中に含まれる多彩な側面がさまざまに分けられ、考えられてきた。すでに述べたように、逆転移には二つの側面がある。

 たとえば、ここにひとつの症例をあげてみよう。

 この患者は、分析医に対して情緒的に閉鎖的であった。そのことに対して逆転移を起こした分析医は、欲求挫折を味わうと同時に、その挫折体験から、患者のその時の転移の中にある対象関係について、次のような解釈を得るに至った。
 すなわち、患者の冷たさは、確かに、分析医の意欲に“水をさす”ものである。

 この場合、患者の情緒の閉鎖によって(このような閉鎖に対して分析医が本来もっている態度もあいまって)、分析医が金縛りにされるという悪循環からどのようにしたら解放されるかがわからない限り、分析医の解釈までも、いきおい冷たくならざるをえなくなる。

 この時、分析医が“抑圧から解放される”ことによってはじめて、患者が抑圧し閉鎖してしまっている生き生きした考えや温かい感情を、分析医の方から補給してあげる道が開かれる。

 このように、先に述べた逆転移の二つの側面というのは、一方に顕在しているただ今現在の転移に対する逆転移反応があり、他方には潜在してうごめいていて、抑圧されたり閉鎖されてしまっているような転移に対する逆転移反応があるということである。

 

 

 

チラシとはがきが来ましたと、子年に猫と、【境界例患者が治療者に失望して怒りを感じると、いま真実を発見した、と感じる。】

 

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 やっと、チラシとはがきが送られてきました。親分が、地元の博物館さんと図書館に持って行ってくれ、置かせて頂きました。簡単に置かせて頂けたとの事で、感謝です!

 和泉市久保惣記念美術館さんにも送って頂けるそうなので、本当に置いて頂けるのなら、置いて頂いたところの写真を写したいな!と、完全にミーハーです(笑)。

まだまだそんな立派な所では展示させて頂けませんが、いつかはと夢見て頑張ります。

 

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 写真は、先日掛川で見たねこさんです。肥満ですね.......。子年にねこさんの写真と言うのも、不謹慎でしょうか(笑)。今日も賑やかに、何事もなく一日を終えた事、皆様に感謝です!

 

 下記はオグデンですが、何も境界例の方だけではない気もします。

信用は作るのは大変ですが、壊すのは簡単ですね。例えば、入浴介助をさせて頂いていても、忙しい日は、順番に洗わせて頂き、浴槽に使って頂いている間に、次の方を洗わせて頂いたり、拭かせて頂いたりするのを、例えば嫌そうにしていたら、お湯に浸かっておられる方は、自分が支援されている時よりも、冷静に見ておられるので、雑だったり、乱暴だったり、いい加減だったりしていたら、自分もそうされていると思われます。もっとアカデミックに言わないと、聞いてもらえないのでしょうか?でも、実際の現場では、そういう小さいことの繰り返しの中に大事なことが含まれています。木村敏先生が京大病院に入った時に、教授から君は何をしたいんだ?と言われた時に、精神病理学だと言ったら、教授にそんなものはない、あるのは臨床だけだみたいなことを言われたと、木村先生の本に書かれていましたが、福祉の現場もまさしくその通りだと思います。

 

  ~境界例患者が治療者に失望して怒りを感じると、いま真実を発見した、と感じる。

  治療者はあてにならない。それは最初からわかっているべきだったのだ。

 これまで患者に治療が信頼に足ることの証拠と見えていたもが、いまは欺きの行為、仮面、明白になったことの隠蔽と見える。

  真実はいま現れ、患者はこれからは自分をだましたり、また油断してだまされることはない。歴史は瞬間的に書きなおされる。

今日の日中と、いつもの生活にと、気道確保しながら入眠と、 妄想-分裂ポジションでは、ふたつ以上の情緒的な平面を視界に入れられる、心理学的に特別な場所は存在しない。】

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 今日の日中は、午前中は屋外で体を動かされたようです。

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 午後からは、日差しが沢山入るうたたねで、音楽やボールや風船で遊びました!

 

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 夕食後は、白熱した風船バレーになっていました!

今日から帰省されていた方全員揃い、賑やかさが復活しています!

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 まりちゃんとたくちゃんの漫才も復活し(笑)、赤ちゃんいるの?とか(笑)、皆さんを楽しませてくれました。

 皆さん、体重や皮膚の状態に問題がある方も居られましたが、元気に戻って来られたので、良かったです。まだまだインフルエンザ等、気をつけなければいけない事もありますので、気を引き締めて支援をさせて頂こうと、みんなで話し合いました。ここでは精神分析関係の記述が多いですが、精神分析や、心理学ばかり学習しているわけではなくて、一番学習させて頂いているのは、健康についてです。

 今日は、気道確保の研修会みたいになり、睡眠時に、呼吸が苦しそうな方がおられたので、側臥位にしながら入眠できるようにする方法を伝えろ!と、親分から指示されたので(笑)、遅番さんと夜勤さんに最初と、気道確保した状態で入眠された状態を見て頂きました。突然死とかありますが、呼吸の状態に原因がある時が多い気もしています。 睡眠時に無呼吸は勿論ですが、苦しそうな呼吸になってしまう方々には、入眠してから10分~20分までの間の、一番眠りが深い時、吸う時に少しずつクッションや枕等を、敷布団の下に入れて、その方が一番呼吸が楽になった状態にしてから、その場を離れるようにして、定期的に巡回させて頂いています。人によって違いますが、右側臥位の方が楽な方が多いですね。無呼吸で覚醒してしまって、苦しさのあまりに、騒ぎ出される方も居られましたが、そういう方は肥満の方が多く、取り敢えず減量あるのみで(それが一番難しいですが)、自分で側臥位になれるように、側臥位にさせて頂き、その気持ちよさを知って頂くと(時間がかかるので、粘り強くないと出来ませんが)、自然とご自身でなられた方もおられます。

 

 下記はオグデンですが、今読ませて頂いているラッカーの中で、融和的同一視と補足的同一視というのが出ていましたが、自分たちが狙うのは、おそらく補足的同一視だと思われます。しかし、妄想ー分裂ポジションの時には、融和型同一視でないと解決する方向に持って行けない気がしました。抑うつポジションに近づければ、補足的同一視の方に行けば良いのでは?とも感じましたが、文字だけでは、簡単に思ってしまいますね.......。

 

 このこころの状態において、分割はのちに発達するものとはきわめて異なった、特徴的な性質の体験(存在のありかた)を生成する。

  分割という心的操作は、「中間的なもののない」こころの状態を創り出す。

 平面はふたつの面をもち、ふたつの面しかない。

  観察者は同時に両側をみることはできない。(この状態は、体験の異なった感情互いに他の面と関係して存立するような状況とは対照的である。)

  妄想-分裂ポジションでは、ふたつ以上の情緒的な平面を視界に入れられる、心理学的に特別な場所は存在しない。