うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

作品の撮影と、【心も体も入っているか入っていないかということは、先生方にはわかりませんが、死んでいく者にはわかります。】

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 昨日、作品展用の写真を写して頂きました。微妙な色合いは、本職の方も難しく、3カットずつ撮ってくれました。最後に久し振りに良い物みせてもらったと言う言葉に感謝をさせて頂きながら、自分は取り敢えず生まれ故郷で小さいながらも作品展をさせて頂けることにも感謝しています。東京で是非とも展示させて頂きたいギャラリーがあり、なんの肩書も学歴もないですが、ダメもとで(笑)、挑戦してみようと思っています。来年に向けて準備をしていきます。

 

 今日は夜勤ですが、毎日のルーチンで、ファミマでコーヒーを頂きながらの読書で、皆藤章先生の本を半分くらい読ませて頂き、一番印象に残った箇所を皆さんと共有したくてアップさせて頂きました。ホスピスの患者さん達もそうですが、障がいをお持ちの方々もそれに近い感性をお持ちなので、自分達も心身ともに現場に入れているのだろうか?と毎日思いながらの支援させて頂いていますが、皆さん人間なのでお互いに色々あります。でも、本当に大変な時には、身も心も入らないと何も改善されません。それは真摯に現場と向き合っておられる方は、感じておられることだと思われます。

 

心理臨床家のあなたへ ケアをするということ

皆藤 章著

第1部 心理臨床家の感性

第3章 「生きる」からの視線

3くらしからの学び

 ~これに関連して想起されるのは、河合隼雄との対談の中で医師の柏木哲夫が語った話である。

 

 あるホスピスで患者さんから非常に人気のある看護師さんがいた。その看護師さんは病室に入ってきて「おはよう」と言うだけで、何となく患者さんはみな喜ぶという。どうしてだろうと医局で話題になった。医者は誰も答えを見つけられなかった。すると、ある患者さんが主治医に次のように語った。

「先生、ありがとうございました。私はもう二、三日であちらに行きます。しかこんなに親切にしていただいたんで、冥途のお土産にひとつ先生にいいことをおしえてあげましょう。」

「何ですか」

「看護師の〇〇さんは、すごくみんなに人気があるでしょう」「ありますね」

「あれ、先生わかりますか」

「いや、実は医局で話題になったんだけど、わからなかった」

「いや、それはお医者さんにはわかりませんよ。しかし、あの方は患者に人気があります。」

「どういうことですか」

「あの看護師さんは、パッと部屋に入ってきたら身も心も入ってくる。たくさんの看護師さんは体は入ってくるけれども。心は外へ出てる」

「心も体も入っているか入っていないかということは、先生方にはわかりませんが、死んでいく者にはわかります。」

 

 合理化された医療の世界では、その実践においてもっとも重要な、ひとと関わる感性がいつしか削がれてしまった。~

 

 

今日の日中と、子どもを「薬漬け」にする児童養護施設の現実と、ビオンのKとビタミンK

 

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 朝、皆さん移動支援とか送迎について行ったりして、時間があったので、たっくんと一緒にスギ薬局で、アクエリアスと広告に出ていた、洗濯用の洗剤を買いに行きました。戻って来たら、たっくんが自ら一箱運んでくれ、びっくりしました!ありがとうございました!

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 お昼からは、残った方々と、池ノ原にお薄を頂きに行ったり、いのうえっちの提案で、蔵王山の展望台に行きました。低い山でも頂上に行くと、肌寒かったです。台風が高温も連れて来るそうですが、朝晩は涼しいようなので、風邪をひかないように気を付けて下さいね!

 

 

 今日は日勤でしたが、昨日人配置が常勤換算上は全く問題がなかったのですが、薄い時間があったので、現場の職員さんのことを思って遅くまでいたので、管理者が早めに上がらせてくれました。作品の写真撮影の準備がありますが、急に時間が出来ても、愚図の自分は、中々動けず(笑)、取り敢えず早めの夕食を摂りながら、ネットのニュースを見ていたら下記がありました。内容は個人的には何とも言えませんが、こちらもコメントの方が、本当に現場を知っておられる方が書いておられるんだろうなと、コメントばかり読ませて頂きました。現場を本当に知っている方の言葉には勝てませんね。 

 下記は、数年前に本から引用させて頂いたものですが、偶然目にする機会があり、ちょうど職員さんとビタミンKについて話をしていた時だったので(笑)、なにかタイムリーさを感じてしまったので、アップし直させて頂きました。復習にもなりました。

 

 〜ビオンの見解では、知の能力を潜在的にもっている心の部分の破壊とともに精神病は生じる。ビオンの古典論文「精神病人格と非精神病人格の識別」(1957)では、次のように正常な機能からの精神病性機能の逸脱を特徴づけている。「精神病人格の非精神病人格との違いは、内的現実や外界現実についての気づきに関連している人格のあらゆる部分の細かな分割とこれらの断片の放出によっているのであり、それゆえ、それらの断片は対象群の中に入り込むかあるいは対象群を飲み込む」。このことは精神生活にとって大惨事である。精神生活は正常には築かれなくなる。現実原則に基づいた思索や、自己の間や対象との間での象徴性コミュニケーションで変わって、快感自我が異常に増大してしまい、憎まれ憎む対象群との具体的な関係様式のような、分割と投影同一化の過度な使用か生じてくる。悲惨にもかき乱され発達しなかったもろい自我において、万能が思索と入れ代わり、全知が経験から学ぶことと入れ代わる。ビオンは精神病者の自分の心への攻撃の悲惨な結末を描いた。精神病者は「自分の対象とか自我を自分では修復できない」と感じる。「これらの引き裂く攻撃の結果、自分自身や他者についての直感的理解の基礎にやがてはなったであろう人格の特性すべてがその始まりから危うくなる」。(p,46)さらには:「患者の空想では、自我の排出された小片はそれが外界対象によって包み込まれようと外界対象を包み込みこもうといずれの場合でも、1つの独立した制御する存在となる。そしてその小片はそれらの機能を働かし続けるが、それはあたかも受けている苦行がただ単にそれらの数を増やし、また小片を放出した精神に対する敵意をかきたてるのに役立っているかのごとくである。その結果、患者は自分自身が奇怪な対象群に取り囲まれているように感じる」(p,47) 精神病者は自分の奇怪な宇宙に閉じ込められ、絶望している。分析の中で精神病患者は、自分自身あるいは、殺人的に懲罰的な対象として体験されている分析家とのふれあいによるひどい恐怖ゆえに集中砲火を始める。目覚めていること、夢見ていること、幻覚していること、知覚していること、空想や現実といった正常でははっきりと異なっている状態についてのもろい把握は、混乱している人を混乱させるし、ときには妄想性転移をもたらす。治療時間を終わっても分析家に侵入し続けることもあろう、投影同一化の持続的な使用によって、精神病者は分析家にKよりもかかわりあいとか行動を引き起こそうとする。ビオンの仮説は、思索を成熟の現れとだけみなしたり自律的な自我機能と見る理論とは異なっている。ビオンによれば、Kは、現実原則のもとに正常に機能している養ってくれる対象との情緒体験から幼児の自我がなんとか手にいれるものである。 しかし、それが成し遂げられたときにおいてさえも、Kは危険にさらされる。意味を剥ぎ取られてしまってマイナスKになってしまうかもしれないのである。マイナスKは、剥ぎ取られた理解であり、誤解だけになってしまう。その原因の主なものは、過度な羨望と不適切な養育にある。過度な羨望は投影の在り方を変える。ビオンは書いている:「……幼児は自分の恐怖感を切り離し、不安にならない乳房への羨望や憎しみとともに乳房に投影する」、そしてさらに“経験から学ぶ”のマイナスKに関した章で、言いようのない恐怖に侵襲されている幼児の心での進行性の剥奪をさらに述べている。母親の側の場合では、投影を受け取ることの失敗がその幼児が彼女を猛烈に攻撃しますます投影するように強いるし、幼児は母親を剥奪してくる人物として体験する。そこで幼児は、「崩れ変性した対象群だけを残し、幼児が受け取るすべての良さを奪う貪欲な膣と化した“乳房”を内在化する。この内的対象は、利用できるあらゆる理解に関してそのホスト/宿主を飢えさせる」〜

 

  下記は、ビタミンKについてです。

本が来ましたと、「寄り添うだけでは被災地は救えない」原田前大臣が進次郎氏に忠告と、秋ですねと、【また変化することは、常に新しいものへの不安に触れると同時に、古いものを放棄することを伴うため、多くの場合に馴染みのものを捨て去ることこそが、分析作業にとって何よりも困難な部分となるのである。】

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 本が来ました。皆藤先生から読ませて頂いています。ケースメントのあとがきで、松木先生が触れているように、ケースメントは他のそうそうたる分析家の様な華はないが、本当に臨床に則したことを書いているとの事ですが、皆藤先生もまさしくその通りだと感じています。

 

 一昨日ネットのニュースを見ていたら下記がありました。内容はともかく、福祉の現場でも、寄り添うだけでは何も始まりませんね。

 

 

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 金曜日の散歩は、やっと外に行けるようになりました。1時間くらい歩いても汗ばむ事もなく、快適でした。季節も直に感じる事が出来るのが良いですね!

 

 

 アレクサンダー・テクニークや、今して頂いている整体によって、身体がいつもと違う方向に向かっている時、それが良い方向にむかっているにも関わらず、身体と精神が一時アない方向に向いていないと感じる事があります。それは何とも言えない恐怖という、ビオンの言葉にも通じる感じもしますが、それを乗り越えると、少し楽になった身体と精神が、同じ方向を向きながら戻って来ます。身体的にも、精神的にも痛みを感じる事もありますが、何とかやり過ごせた後は、新しい状況が現れて来ます。支援も同じことだと思われます。利用者さんだけが苦しんでいるのは、支援とは言えないのではないでしょうか?同じ痛みを支援者も感じる事ができるからこそ、新しい状況が生まれます。自分のことを棚に上げて、利用者さんばかりに真直ぐな道を求めてはいないでしょうか?

 

 精神分析における変化によりーーふつうの変化によるのと同じようにーー患者は必然的に新しい、未知の、しかもかなり恐ろしい事態にさらされる。

 したがって多くの患者が、たとえ苦痛があろうと馴染みのものにしがみついても驚くに値しない。しかしそれでもなお患者は変化を望み、新しいできごとと新たな成長を渇望し、前進するよう駆り立てられる。その結果、現状に縛りつけようとする保守的な啓吾との葛藤に引き込まれる。

 また変化することは、常に新しいものへの不安に触れると同時に、古いものを放棄することを伴うため、多くの場合に馴染みのものを捨て去ることこそが、分析作業にとって何よりも困難な部分となるのである。

アレクサンダー・テクニークと、【患者にとって、分析家に向けられた鬱憤を捨てることは、理想の対象をあきらめ、自らの万能感を喪失することに等しい。】

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 今日は休みを頂き、名古屋までアレクサンダー・テクニークを受けに行って来ました。

 先日、先生に偉そうに(笑)、白柳先生の本を2冊差し上げ(先生が急に全身の痛みで、身体が動かなくなったのを心配してですが)たら、きちんと読んで下さって、もう三回も行って来たと話されて、こちらがびっくりしてしまいました。自分がアレクサンダー・テクニークを教えて頂いているのに(笑)、逆に紹介するなんて、あいつらしい!って言ってたとのことでしたが、白柳先生には、まだ自分の素性を明らかにしていないのですが、きっと、偉そうな雰囲気を出していたのかも知れません(笑)。

 アレクサンダー・テクニークは、予防と、整体等の施術後や、病院で診てもらった後の身体の維持にはとても有効だと、また偉そうに発言してしまいました。だからそう言われるのでしょうか?

 アレクサンダー・テクニークは、もう三年になりました。それ単体でも、血行がよくなりましたが、どうしょうもないときには整体等の施術をして頂き、その維持に利用させて頂くと本当に効きます。今日は、少し見て頂くと両手の平が真っ赤に、パンパンになりました。目の使い方も注意されて、そのようにすると、目の開き方が自分でも分かるくらいにはっきりしました。継続する重要性を改めて感じた1日でした。自分の受診まで時間があったので、栄から名古屋駅まで歩きました。

 豊橋に戻り受診したら、1日が終わりました。

 電車の中で、ケースメントの『あやまちから学ぶ』を読み終えました。ちょうど新しい本が来たので、明日からは新しい本に入ります。

 

 アップはまだシュタイナーです。

 外在化・諦め・万能感の喪失の促し方を、その人に一番合うやり方でできるように考えるのが、自分たちの仕事のようにも思っています。

 出先からのアップなので、写真のサイズ等は、機会があれば直します。

 

 ~そうしてに関わるこころの中の葛藤は〈道徳性morality〉と〈現実性reality〉の葛藤として表現され、そしてまた患者と分析家のあいだの葛藤として外在化される。

  患者にとって、分析家に向けられた鬱憤を捨てることは、理想の対象をあきらめ、自らの万能感を喪失することに等しい。

   しかし分析が経過するうちに患者は自分も不満について徐々に確信をもてなくなり、喪失をめぐる葛藤が意識されるようになり、こうして悼み悲しむことへ向けての変化が現れてくる。

作品作りと、「ロックとは、音楽においても人生においても、先人のやり方に倣うのではなく、自分の道を切り開くことを言う」と、【ひとは対象が永続し、自らは死なないと空想して現実から自分を守り、こうして現実を否認し、あるいは受け入れるのを先延ばししようとする。】

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 親分のアドバイスを受け、網を張ってみました。直ぐに判断すると良い結果が生まれないので、2~3日おいてまたみてみようと思っています。

 

 昨日、ネットで上がっていた物ですが、下記の言葉が身に沁みました!見せかけだけのロッカーは、直ぐに恥じるべきでは?周囲は、人様の真似をして喜んでいる奴ばかり(笑)。いきがって(笑)、人のいう事を聞いたらアカンって言う輩がいますが、それを言っている輩のことも聞きたくないって思う自分はへそ曲がりでしょうか?(笑)。

 

「ロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)」入りを果たしたギャングスタ・ラップのパイオニアN.W.A.」の元メンバー、アイス・キューブIce Cube)は、「ロックンロールは精神そのものを指す」と話す。

「ロックとは、音楽においても人生においても、先人のやり方に倣うのではなく、自分の道を切り開くことを言う」 (c)AFP/Maggy DONALDSON



 

 時が解決してくれることもありますが、逆にそれを恐れて精神病的な防衛に走ってしまうこともあるのですね。現実をつけつけられるのは、誰しも辛いことですね.......。

 

 

 

第8章 悼み悲しむこととメランコリーとの葛藤

 おそらくひとがみな向き合うことが難しい〈人生の事実〉の、その最も中心には〈時と移ろいthe passage of time〉*がある。この〈時の移ろい〉こそが、対象が失われ、究極的には死は避けられない、という現実を突きつけるからである。

 ひとは対象が永続し、自らは死なないと空想して現実から自分を守り、こうして現実を否認し、あるいは受け入れるのを先延ばししようとする。この万能的な解決法は、自己愛的なタイプの〈病理的組織化〉によって提供されるが、これにより〈時の移ろい〉という現実は否認される。

 かのようにして、喪失に直面し、〈悼み悲しむことmourning,悲哀、喪が悲しみ〉に関わる苦痛な感情すべてに向き合わなければならない、という事態は回避されてしまう。~

田原の祭りと、ショートさん用のランドリーバッグ用のシルクスクリーンの原図と、【もしこの方向への動きがあまりにも苦痛で、情緒的な負担が大きいと感じると、患者は万能的な世界の保護の中に戻ろうとするであろう。】

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 土日は、田原祭りで道路が一時通行止めになるので、移動が大変でした。

地元の方々は思い入れがあるのでしょうが、よそ者はよけに疎外感を感じてしまう日でもあります。昨日は休みでしたが、調子の悪い方の支援をさせて頂いていたので、前日に引き続き現場に入らせて頂きました。みなさんの手厚い看護と支援のおかげで大事には至らず、感謝しています。

 

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 親分が、ショートステイさんのランドリーバッグを、女性職員さん達からの提案で購入し、スルクスクリーン用の原図を作っていました。30枚くらい作ります。インクがあったでしょうか?

 

 下記はまだシュタイナーからですが、非常に大切なことが書かれています。

しつこいですが、自分たちの仕事は(やり方は)、心的外傷にならない(個人差があるのでその方をきちんと見た上で)程度の負荷をかけさせて頂きながらワークスルすると言う事だと思っていますので、下記は本当に参考になります。お互いがちょとしんどいな、と思うところを上手く乗り越える事ができないと、お互いに成長しません。それが上手くいかなかったときの結末が最後に書かれていますが、失敗してもまた、やり直せばいいと思える心の余裕も必要ですね。

 

 ~この状況に直面すると、個人のこころは絶望でいっぱいになり、深い抑うつへと引き込まれる。もし現実に向きあい成長を勧めていくためには、この抑うつを乗り越えていかなければない。

 このような精神的な苦痛に耐えることを可能にするものが何なのか、私たちはよくわかってはいない。しかし、患者が鬱憤に根ざした〈こころの退避〉が示す行き詰まりのかわりに別の道を見出だそうとするにつれ、転移関係の中にジレンマが生じるようになる。

 もし患者が〈こころの退避所〉から抜け出し、現在の心的現実に向き合おうとするならば、空想の中で、「自分は良い対象に対し復讐行為を通じて攻撃し、破壊してきて、そのため自分も対象も荒廃するがままになってきた」ということに気づかざるを得なくなる。

 それも自分の世界を再建し、償い修復をし、そして許しを求める作業に向き合う前段階に、まず気づかなければならないのである。

 もしこの方向への動きがあまりにも苦痛で、情緒的な負担が大きいと感じると、患者は万能的な世界の保護の中に戻ろうとするであろう。

 そうして「理想の対象を所有してコントロールしている」という状況を再び作り上げ、自分の復讐心に満ちた憎しみを偽装するのである。

昨日の散歩と、一昨日の夜勤と、【 自分が死にかけていると感じたとき赤ちゃんは、母親のなかにその死にかけているという恐れを引き起こすことができる。健全な母親は、その恐れを受け取って、治療的に対応できる。】

 

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 昨日は、としちゃんと10km歩きましたが、あっという間に達成して、二人とも物足りない感じでした。涼しくなってきたので、午後からはお天気の心配もなくなったので、滝頭公園に行きました。

 

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 ボール遊びが、催眠術になったり....。

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 音楽に合わせて鳴らしていたベルが、お笑い用になっていたり(笑)。皆さんゲラゲラ笑って一日が終わりました。

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 お風呂も、皆さんの楽しみの一つで、仲良くなるツールの一つでもあります。

急に寒くなったので、皆様ご自愛下さる様、お願い致します!

 

 下記は、今読ませて頂いているケースメント先生の『あやまちから学ぶ』からの引用ですが、ビオンの言いようのない恐怖を引用していた部分です。現場でもこれは大事なことだと思われます。転移を分かり易く戻すという行為の大事さを的確に述べているようにも感じます。それは、赤ちゃんということから、言語的ではなく、非言語的なか戻し方だと思われますし、状況が許せば、どちらでも良いとも思われます。

 まずは、不安や痛みなど、本当のことを遠慮なく伝える事ができるような環境を作らせて頂くのが、まず最初にしなければいけない事だと思っています。

 

  自分が死にかけていると感じたとき赤ちゃんは、母親のなかにその死にかけているという恐れを引き起こすことができる。健全な母親は、その恐れを受け取って、治療的に対応できる。

 すなわち、その恐れを持っていた赤ちゃんのパーソナリティ部分を再び、ただし自分が耐えられる形で受け取っていると赤ん坊に感じさせるようなやり方でーーその恐れは赤ちゃんのパーソナリティによって取り扱えると感じさせるようなやり方でーー対応できるということである。

 

 母親がこの投影に耐えられない場合、赤ちゃんは投影同一化をより強く、より頻繁に続けることを余儀なくされる。(Bion,1967:114-115)

 

 もし母親がその投影を受け取らないのなら、赤ちゃんは「自分が、死にかけている感じ」のもつ、「死にかけている」という意味が剥ぎ取られていると感じる。

 したがって赤ちゃんは、耐えられる形になった「死にかけているという恐れ」ではなく、言いようのない恐怖をとり入れる。(Bion,1967:116)

 

 

 

免許更新の講習と、作品と、早くもインフルエンザによる学級閉鎖が相次ぐ エアコン設置の影響の可能性もと、【患者が、〈現実のなさ〉が支配しているこころの退避所から抜け出すことができると、外的現実と心的現実の双方と接触するようになる。】

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 今日は夜勤なので、午前中に免許の更新の講習に白谷に行って来ました。

ゴールドになったことがない.........。

 

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 作品つくりに、大家さんが参加してくれ、今日中に出来るから一回見に来てくれと、連絡があったので、見に行って来ました。面白い作品になりそうなので、楽しみです!大きくて全体が撮れませんでrした。考えたら、白谷の海岸に流れ着いたものでした。
 

 またまた、一日遅れのアップになってしまいました....。

 

 今日も夜勤明けでしたが、用事を済ませて帰宅しました。

 下記は昨日ネットで見ていた物です。今年のインフルエンザはどんな流行り方をするのでしょうか?何型ってどこにも書いていませんね?どのニュースにも書かれていなかったので自分で探すしかないのでしょうか?調べてみます。

 


  下記を成し遂げるには、ワークスルーするしかないですね。しつこいですが(笑)、心的外傷にならいない程度に行いながら、ゆっくり、ゆっくりワークスルーするしかないですね。魔法なんてありませんから!

 

 患者が、〈現実のなさ〉が支配しているこころの退避所から抜け出すことができると、外的現実と心的現実の双方と接触するようになる。

 患者が空想の持つ心的な現実性を信じることができるなら、空想の中で起きていることにも真剣に取り組むことができるであろう。

 しばらくの間これらの空想は、実際に起きたこととして体験され、そして夢や空想が〔外的〕現実において実際に起きたことではない、と知って安心したあとでも、なんらかの気づきがのこる。その結果として、患者は自分の願望の現実性について確信を得られるようになる。

 抑うつ的な感情が破壊的内容を含む夢に引き続くこともあり、そうして患者は、「自分の憎しみの結果として自分の世界全体が破壊され」という主観的な思い込みを真剣に受けとめるようになるかもしれない。

 たとえ復讐が空想の中で逐行されたとしても、その空想は結果を伴うもので、現実の世界の対象関係に影響を与える。

 個人は、私たちが〈抑うつポジション〉として考察しているものと向き合わなければならない。とくにそれは愛する対象の喪失に直面した状況で生じる。

 すなわちそれは「自我がよいのは内在化された対象と十分同一化したときであり、同時に、それでも自分には内在化された迫害的な対象とエスに抗して良い対象を守り、保持することができない、ということに気づくのである」(Klein,M.1935,p.118)。

女子会に忍び寄る影(笑)と、EXIT兼近の逮捕歴報道に、貧困家庭で育った私が感じた“負の連鎖”と、【逆説的であるが、この解決法の可能性が生まれるのは、患者が強さを獲得し、両親の権威に反抗し、復讐願望を空想の中で、あるいは現実の関係、とくに転移の中で穏健なかたちで実際の行動にうつすことができるようになったときである。】

 

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 昨日は、夜勤でした。夜勤の休憩時間にアップする予定が、またまた1日遅れ(笑)。昨夜もいつものうたたねの夜でした。音楽などで楽しんだ後、女子が話を楽しんでいるその時に!ふとランタンを持った怪しい影が(笑)、照明を落とし、お化け屋敷になってしまいました(笑)。みなさんなれたもんで、軽いブーイングでスルーされていました(笑)。

 

 

 今朝、帰宅したら下記のコラムがネットに上がっていました。吉川ばんびさんのものですが、自分も貧困家庭の出なんで、なんとも言えない気持ちになりました。

 EXIT兼近の逮捕歴報道に、貧困家庭で育った私が感じた“負の連鎖”

9/10(火) 8:52配信   <文/吉川ばんび>

日刊SPA!

 

 

 

 確かにこころの退避所が必要な時がありますが、もう大丈夫と確信を得た時には、そこから出る準備に入って行かないといけませんが、支援者の方がその状況が嬉しいのか?中々出るような支援に入ることができませんね......。その方の少し前を見て、いつも支援をさせて頂かないと、自分だけが、自分しか支援できないという、わけの分からない支援で自己満足して終わってしまいます。それは一番やってはいけないことだと思っています。ただ、そのタイミングを計れるのも、毎日きちんとその方を見させて頂いていないと出来ない事ですが。エディプスをきちんと通過することは、本当は実の親の仕事だと思われますが、その機会が得られなかった方々には、心的外傷にならないように、その方に合った方法で通過して頂くしかないとも思っています。それが出来て初めて、退避所からでれるのですね。



 ~しかし同時にこの種の解消法とは異なるもう一つのシナリオが存在すると思われる。このシナリオもまたよく見られもので、これにより患者が〈退避所〉から外に出ることができるならば、成長と発達をもたらすであろう。

 これをエディプス葛藤の抑うつ的解決法と呼ぶことができるであろうが、この方法においても患者は重要な問題と格闘しなければならなくなる。

 逆説的であるが、この解決法の可能性が生まれるのは、患者が強さを獲得し、両親の権威に反抗し、復讐願望を空想の中で、あるいは現実の関係、とくに転移の中で穏健なかたちで実際の行動にうつすことができるようになったときである。

 これが可能になるためには、患者は〈こころの退避所〉から外に出て対象への感情に向き合わなければならない。こうしてこの感情は空想を通じても行動上でも明らかになってくるなったのである。

アトリエ・カーグと、【不当さに対する不満のもうひとつの特徴は著しい不公平感で、自分にふさわしいと思うとおりに対象が行動しないときに感じられる。】

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 ゆうこさんは、先々月の続きの鳥を描かれていました。鮮やかですね!

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 おかもっちゃんは、ウミガメをおかもちゃん色に染めていました!

 

 

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 こばちゃんは、葉鶏頭と多肉植物を描かれていましたが、完成でしょうか?まだかも知れません。

 

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  ゆうちゃんは、鳥のバッジを描かれていましたが、こちらもまだ完成ではないのでしょうか?

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 まっつんは楽しそうに、いつものキャラクターを描かれていました!

まだまだ沢山作品が出来ていましたが、ギャラリーの方に追加しておきますね!

 

 

 バンドがなかったので、少し余裕が出来、早めのアップです。

 

 下記はスターンです。著しい不公平感!これは自分では中々気づくことができず、無意識の裡に、自分が一番気に入っている利用者さんの横に座っていたり、他の方よりも手厚い支援をしていたりしていることがあります。酷く精神を病まれていなくても、障がいをお持ちの方々は、ある面、依存しなければ出来ない事があるので、その辺には特に敏感な方が多いです。自分のことが一番分からないのが人間ですので、支援者がお互いにおかしいと思われることは、きちんとした議論をすべきだと思います。

  しかし、毅然とした態度をとらないといけない時には、きちんと毅然とした態度を示さないと、お互いいつになっても成長はあり得ませんので、一番気をつけたいところでもありますね。きちんとエディプスを乗り越えさせてあげないと、いけません。

 

 不当さに対する不満のもうひとつの特徴は著しい不公平感で、自分にふさわしいと思うとおりに対象が行動しないときに感じられる。

 このタイプの失望に苦しむ典型がエディプス状況である。エディプス状況でこどもは新しい現実に導かれ、深刻なショックを体験し傷つき、不正、裏切りの感覚を深刻に味わう。