うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

アレクサンダー・テクニークと、【患者にとって、分析家に向けられた鬱憤を捨てることは、理想の対象をあきらめ、自らの万能感を喪失することに等しい。】

f:id:ka-gu:20190919182801j:plain

 今日は休みを頂き、名古屋までアレクサンダー・テクニークを受けに行って来ました。

 先日、先生に偉そうに(笑)、白柳先生の本を2冊差し上げ(先生が急に全身の痛みで、身体が動かなくなったのを心配してですが)たら、きちんと読んで下さって、もう三回も行って来たと話されて、こちらがびっくりしてしまいました。自分がアレクサンダー・テクニークを教えて頂いているのに(笑)、逆に紹介するなんて、あいつらしい!って言ってたとのことでしたが、白柳先生には、まだ自分の素性を明らかにしていないのですが、きっと、偉そうな雰囲気を出していたのかも知れません(笑)。

 アレクサンダー・テクニークは、予防と、整体等の施術後や、病院で診てもらった後の身体の維持にはとても有効だと、また偉そうに発言してしまいました。だからそう言われるのでしょうか?

 アレクサンダー・テクニークは、もう三年になりました。それ単体でも、血行がよくなりましたが、どうしょうもないときには整体等の施術をして頂き、その維持に利用させて頂くと本当に効きます。今日は、少し見て頂くと両手の平が真っ赤に、パンパンになりました。目の使い方も注意されて、そのようにすると、目の開き方が自分でも分かるくらいにはっきりしました。継続する重要性を改めて感じた1日でした。自分の受診まで時間があったので、栄から名古屋駅まで歩きました。

 豊橋に戻り受診したら、1日が終わりました。

 電車の中で、ケースメントの『あやまちから学ぶ』を読み終えました。ちょうど新しい本が来たので、明日からは新しい本に入ります。

 

 アップはまだシュタイナーです。

 外在化・諦め・万能感の喪失の促し方を、その人に一番合うやり方でできるように考えるのが、自分たちの仕事のようにも思っています。

 出先からのアップなので、写真のサイズ等は、機会があれば直します。

 

 ~そうしてに関わるこころの中の葛藤は〈道徳性morality〉と〈現実性reality〉の葛藤として表現され、そしてまた患者と分析家のあいだの葛藤として外在化される。

  患者にとって、分析家に向けられた鬱憤を捨てることは、理想の対象をあきらめ、自らの万能感を喪失することに等しい。

   しかし分析が経過するうちに患者は自分も不満について徐々に確信をもてなくなり、喪失をめぐる葛藤が意識されるようになり、こうして悼み悲しむことへ向けての変化が現れてくる。