うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、子どもを「薬漬け」にする児童養護施設の現実と、ビオンのKとビタミンK

 

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 朝、皆さん移動支援とか送迎について行ったりして、時間があったので、たっくんと一緒にスギ薬局で、アクエリアスと広告に出ていた、洗濯用の洗剤を買いに行きました。戻って来たら、たっくんが自ら一箱運んでくれ、びっくりしました!ありがとうございました!

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 お昼からは、残った方々と、池ノ原にお薄を頂きに行ったり、いのうえっちの提案で、蔵王山の展望台に行きました。低い山でも頂上に行くと、肌寒かったです。台風が高温も連れて来るそうですが、朝晩は涼しいようなので、風邪をひかないように気を付けて下さいね!

 

 

 今日は日勤でしたが、昨日人配置が常勤換算上は全く問題がなかったのですが、薄い時間があったので、現場の職員さんのことを思って遅くまでいたので、管理者が早めに上がらせてくれました。作品の写真撮影の準備がありますが、急に時間が出来ても、愚図の自分は、中々動けず(笑)、取り敢えず早めの夕食を摂りながら、ネットのニュースを見ていたら下記がありました。内容は個人的には何とも言えませんが、こちらもコメントの方が、本当に現場を知っておられる方が書いておられるんだろうなと、コメントばかり読ませて頂きました。現場を本当に知っている方の言葉には勝てませんね。 

 下記は、数年前に本から引用させて頂いたものですが、偶然目にする機会があり、ちょうど職員さんとビタミンKについて話をしていた時だったので(笑)、なにかタイムリーさを感じてしまったので、アップし直させて頂きました。復習にもなりました。

 

 〜ビオンの見解では、知の能力を潜在的にもっている心の部分の破壊とともに精神病は生じる。ビオンの古典論文「精神病人格と非精神病人格の識別」(1957)では、次のように正常な機能からの精神病性機能の逸脱を特徴づけている。「精神病人格の非精神病人格との違いは、内的現実や外界現実についての気づきに関連している人格のあらゆる部分の細かな分割とこれらの断片の放出によっているのであり、それゆえ、それらの断片は対象群の中に入り込むかあるいは対象群を飲み込む」。このことは精神生活にとって大惨事である。精神生活は正常には築かれなくなる。現実原則に基づいた思索や、自己の間や対象との間での象徴性コミュニケーションで変わって、快感自我が異常に増大してしまい、憎まれ憎む対象群との具体的な関係様式のような、分割と投影同一化の過度な使用か生じてくる。悲惨にもかき乱され発達しなかったもろい自我において、万能が思索と入れ代わり、全知が経験から学ぶことと入れ代わる。ビオンは精神病者の自分の心への攻撃の悲惨な結末を描いた。精神病者は「自分の対象とか自我を自分では修復できない」と感じる。「これらの引き裂く攻撃の結果、自分自身や他者についての直感的理解の基礎にやがてはなったであろう人格の特性すべてがその始まりから危うくなる」。(p,46)さらには:「患者の空想では、自我の排出された小片はそれが外界対象によって包み込まれようと外界対象を包み込みこもうといずれの場合でも、1つの独立した制御する存在となる。そしてその小片はそれらの機能を働かし続けるが、それはあたかも受けている苦行がただ単にそれらの数を増やし、また小片を放出した精神に対する敵意をかきたてるのに役立っているかのごとくである。その結果、患者は自分自身が奇怪な対象群に取り囲まれているように感じる」(p,47) 精神病者は自分の奇怪な宇宙に閉じ込められ、絶望している。分析の中で精神病患者は、自分自身あるいは、殺人的に懲罰的な対象として体験されている分析家とのふれあいによるひどい恐怖ゆえに集中砲火を始める。目覚めていること、夢見ていること、幻覚していること、知覚していること、空想や現実といった正常でははっきりと異なっている状態についてのもろい把握は、混乱している人を混乱させるし、ときには妄想性転移をもたらす。治療時間を終わっても分析家に侵入し続けることもあろう、投影同一化の持続的な使用によって、精神病者は分析家にKよりもかかわりあいとか行動を引き起こそうとする。ビオンの仮説は、思索を成熟の現れとだけみなしたり自律的な自我機能と見る理論とは異なっている。ビオンによれば、Kは、現実原則のもとに正常に機能している養ってくれる対象との情緒体験から幼児の自我がなんとか手にいれるものである。 しかし、それが成し遂げられたときにおいてさえも、Kは危険にさらされる。意味を剥ぎ取られてしまってマイナスKになってしまうかもしれないのである。マイナスKは、剥ぎ取られた理解であり、誤解だけになってしまう。その原因の主なものは、過度な羨望と不適切な養育にある。過度な羨望は投影の在り方を変える。ビオンは書いている:「……幼児は自分の恐怖感を切り離し、不安にならない乳房への羨望や憎しみとともに乳房に投影する」、そしてさらに“経験から学ぶ”のマイナスKに関した章で、言いようのない恐怖に侵襲されている幼児の心での進行性の剥奪をさらに述べている。母親の側の場合では、投影を受け取ることの失敗がその幼児が彼女を猛烈に攻撃しますます投影するように強いるし、幼児は母親を剥奪してくる人物として体験する。そこで幼児は、「崩れ変性した対象群だけを残し、幼児が受け取るすべての良さを奪う貪欲な膣と化した“乳房”を内在化する。この内的対象は、利用できるあらゆる理解に関してそのホスト/宿主を飢えさせる」〜

 

  下記は、ビタミンKについてです。