昨日の散歩と、一昨日の夜勤と、【 自分が死にかけていると感じたとき赤ちゃんは、母親のなかにその死にかけているという恐れを引き起こすことができる。健全な母親は、その恐れを受け取って、治療的に対応できる。】
昨日は、としちゃんと10km歩きましたが、あっという間に達成して、二人とも物足りない感じでした。涼しくなってきたので、午後からはお天気の心配もなくなったので、滝頭公園に行きました。
ボール遊びが、催眠術になったり....。
音楽に合わせて鳴らしていたベルが、お笑い用になっていたり(笑)。皆さんゲラゲラ笑って一日が終わりました。
お風呂も、皆さんの楽しみの一つで、仲良くなるツールの一つでもあります。
急に寒くなったので、皆様ご自愛下さる様、お願い致します!
下記は、今読ませて頂いているケースメント先生の『あやまちから学ぶ』からの引用ですが、ビオンの言いようのない恐怖を引用していた部分です。現場でもこれは大事なことだと思われます。転移を分かり易く戻すという行為の大事さを的確に述べているようにも感じます。それは、赤ちゃんということから、言語的ではなく、非言語的なか戻し方だと思われますし、状況が許せば、どちらでも良いとも思われます。
まずは、不安や痛みなど、本当のことを遠慮なく伝える事ができるような環境を作らせて頂くのが、まず最初にしなければいけない事だと思っています。
自分が死にかけていると感じたとき赤ちゃんは、母親のなかにその死にかけているという恐れを引き起こすことができる。健全な母親は、その恐れを受け取って、治療的に対応できる。
すなわち、その恐れを持っていた赤ちゃんのパーソナリティ部分を再び、ただし自分が耐えられる形で受け取っていると赤ん坊に感じさせるようなやり方でーーその恐れは赤ちゃんのパーソナリティによって取り扱えると感じさせるようなやり方でーー対応できるということである。
母親がこの投影に耐えられない場合、赤ちゃんは投影同一化をより強く、より頻繁に続けることを余儀なくされる。(Bion,1967:114-115)
もし母親がその投影を受け取らないのなら、赤ちゃんは「自分が、死にかけている感じ」のもつ、「死にかけている」という意味が剥ぎ取られていると感じる。
したがって赤ちゃんは、耐えられる形になった「死にかけているという恐れ」ではなく、言いようのない恐怖をとり入れる。(Bion,1967:116)