うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

明日は台風接近のため午前中のアトリエ・カーグのみです!と、【復讐は許しのアンチテーゼであり、「悪い対象を解放してよいのは、対象が傷つけた罪を告白し、罪滅ぼしをしてからだ」と、患者は主張するのである。】

  

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 明日は、アトリエ・カーグとバンドクラブの日でしたが、台風を考慮して、午前中のアトリエ・カーグだけで、午後からのバンドクラブは中止になりました!機材を乗せましたが、また降ろしました(笑)。結構機材が多いので、嬉しいやら悲しいやら......。

 シフトでは休みでしたが、送迎が増えたので、入浴介助をお二人と、渥美に送迎に行って来ました。少しずつ風が出て来ましたね!空がきれいだったので、自転車で帰宅途中、市役所の駐車場で写真を撮りました。嵐の前の静けさでしょうか?三河湾には、台風時に停泊する船が沢山あります。内海なので、あまり荒れないのでしょうか?波しぶきが凄い日もあり、そんな日は、フロントガラスが直ぐに潮で真っ白になってしまいます。ウォッシャー液が沢山あればいいですが、残り少ないとえらいことになります.....。

 

 人の心は非常に複雑に出来ているように感じますが、縺れた紐を解くように、少しずつ少しずつ解していけば、アンチテーゼがアンチテーゼではなくなるのでしょうか?結局は、人のせいにしたほうが楽なので、防衛がそちらの方に向いて行ってしまうのでしょうか?いじめの原理もそんな感じもしますね....。普通にとか、自然にとかって、本当に何をさして、何と比較して言っているのかも、子どものころから今まで、一度も理解できたことがありません。先日、岐阜の友人が言っていた、自分を赦せるようになったら、少し楽に生きる事が出来た!って、羨ましい感じがしましたが、彼女は普通の家庭(普通って言っているw)で育ったように感じるのは、人を真直ぐに信じる事が出来るのを見ていて、本当に羨ましいなと思っています。自分は幼少期から強風に吹かれ過ぎて(笑)、(なすびの苗等は、小さい時は風に揺られないように、肥料の袋等を掛けて、揺れ過ぎると根から老化ホルモンが出て、上手く成長しないので、風から守っています)早く変に大人になってしまったのでしょうか?たしかに擦れすぎていますが(笑)。今日はスタイナーに戻っています。

 

 

 ~復讐願望はしたがって複雑なもので、良い対象や、患者の良い対象との関係を保とうとする欲求で始まることが多い。

 しかしこどもは「良い対象に裏切られた」と感じると、よい衝動と悪い衝動の間の区別がつかなくなる苦しみを味わう。この状況で患者の原初的な対象に対する愛着は深い分裂によって保たれ、対象は理想化され、対象に対する愛情と忠誠心のためすべての悪いもの迫害者に投影される。  

 自己、良い対象、あるいはその間の対象関係が傷つけられるとき、「復讐を要求しているのは良い対象だ」と思い、患者は「失われた理想的な関係を回復し保持するためには、この要求に応えなければならない」と感じる。分析家がこの見方を支持しないと、分析家は許されざる悪い対象と同一視される。

 復讐は許しのアンチテーゼであり、「悪い対象を解放してよいのは、対象が傷つけた罪を告白し、罪滅ぼしをしてからだ」と、患者は主張するのである。

きれいな朝焼けと、金曜日の散歩と、【しかし私は、よりよい経験をただ提供することを私たちの目的とは決してすべきではないと考えます。】

  

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 昨日は、急な訃報で何も手につかず.......。ただ、裏のお地蔵さんを見つめるだけでした。お地蔵さんは身代りになってくれると言うので、ただただ、身代りになって欲しいとお願いしました。

 今日は早番でしたので早めに出て、ファミマで本を読もうとして家を出たら、きれいな朝焼けでした。落ち込んでいた自分の心に、勇気を与えてくれました。

 

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 金曜日の散歩は、まだまだ暑いので、蔵王山の展望台を利用させて頂いています。

仕事はきちんとさせて頂いていますが、急な訃報には体の芯からは力が出ませんね.....。沢山歩けば少しは元気が出ましたが、少し引きずりそうですね......。

 

 

 下記は、またまた飛んで、ケースメントの『あやまちから学ぶ』からですが、現場でも非常に大変なことだと思います。うたたねは、遊びだからと言われたことが、ずっと心に残っていて、悔しい思いでなにくそと、頑張って来ました(笑)。まあ、そのおかげでもっともっと勉強してやれ!と思えたのも事実です。ウィニコットは、遊べない状態の人には何をしても効果がないと言っていますが、正しくその通りだと思われます。支援者がそもそも余裕がなく、遊び心も無かったら、利用者さんを笑顔にも出来ませんし、堅苦しい雰囲気が流れるだけですよね?重度の方ほど、その雰囲気を読み取るのが早いので、逆に支援者に余裕があり、遊び心があると、早く安心・安全感を感じて頂く事ができます。余裕のなさは、攻撃的と感じてしまうかもしれませんね!しかし、ダメな事は、毅然とした態度で示すべきだと思います。

 下記にあるように、支援も相互的なものなので、一方的な押し付けも、攻撃されていると感じてしまうのでしょうね。普通に接するのが一番だと思うこの頃です。

 

しかし私は、よりよい経験をただ提供することを私たちの目的とは決してすべきではないと考えます。

 私は、「よい経験」だけで、とくに治療者が意図してそのよい体験を提供しょうとしていたならなおさら、そこから恒久的な変化が生じるとは思いません。よりよいものと後に判明するようなものやもっと深く治療的なものは、もっと相互的なものなのです。

 この相互作用的であることが、私たちがそのプロセスに調律できたりついていけるようになるなら、それ自体の無意識的な知恵や方向性をもっていそうなプロセスのなかに、必然的に治療者と患者の両者を巻き込んでしまうのです。

 それに続く臨床の旅は、常識が教えてくれそうなことや、あるいは患者によかれと私たちが意識的に想像したり選択した事態を超えたところに私たちを導いてくれるのです。

100年後の神様?と、お祭り男?と、【患者は「自分は不当に扱われた犠牲者だ」と感じると、不安や罪悪感から解放される。】

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 大阪の展示に合わせて作っているものがあり、ついでに近くにあったもので遊んでみました(笑)。風力発電の100年後と、神様の100年後(笑)。作っているものは、本気です(笑)。ちょっと大きいですが。

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 お祭りが近くて、それぞれの町内会さんで練習をされているせいか?うたたねもお祭りモードになっていました(笑)。いのうえっちの『ハイサイおじさん』のベルは、よそ見しながらでも大丈夫で、昨日は、自分でベルを持って来ておられましたので、慌ててギターを弾かせて頂きました!一日遅れの更新になってしまっているこの頃です......。

 関東の方でインフルエンザが出たとの事!猛暑の次はパンデミックにならなければいいですね.....。あまりにも暑すぎて、皆さん体力が落ちていると思われるので、ご自愛下さいね!

 

 

 もう少しでスタイナーからの引用が終わりますが、下記は、いじめや虐待・パワハラ等の根本的な要因ではないか?と思いました。ただ単に思っただけではなくて、『エディプス状況における』というところに引っかかりました。時代背景などを鑑みても、自分の周囲を見渡しても、それが良いか悪いかではなく、きちんとエディプス期を越えられる状況が乏しいので、また違う形の期が出て来るのでしょうが、時代が型より薄着の左派のような感じになってきていないか?と、思うのは自分だけでしょうか?自分はどちらでもないし、どちらに肩入れする気もありません。自分の意見を淡々と述べれる機会があればいいだけです。

 

 ネット時代が発達すればするほど、 ある際立った特徴は、権利や正当性の感覚、義務感、そして「大義に貢献している」という感覚である。憎しみに取り憑かれているように見える個人でさえ、復讐を追及するときにはこの感覚を持っている。』感じになって来ていないでしょうか? 表現の自由も、左派ならOKで右派ならNGってアートを少しかじらせて頂いている身には解せませんね........。

 

 診断で、敢て病名をつけるというのは、『 患者は「自分は不当に扱われた犠牲者だ」と感じると、不安や罪悪感から解放される。』からでしょうか?

 

 現場から離れてしまっている感がありますが、現場でも心しておきたいことですね。

 

第7章 エディプス状況における復讐と鬱憤
 ~まず私は復讐に含まれるいくつかの特徴を考察し、その他の状況で生じる敵意や破壊性と区別できるようにしたい。

  ある際立った特徴は、権利や正当性の感覚、義務感、そして「大義に貢献している」という感覚である。憎しみに取り憑かれているように見える個人でさえ、復讐を追及するときにはこの感覚を持っている。

 

 患者は「自分は不当に扱われた犠牲者だ」と感じると、不安や罪悪感から解放される。

 スピリウスの用語で言えば、患者は〈改俊することがなく〉自分の憎しみをさまざまに正当化する。

 実際、「憎しみこそ自分が荷なうべき義務だ」と感じているようにみなせることも多いのである。
 復讐の追及が、正義の追及に端を発しているのをたどることができることもあるが、しかしそれは飽くことを知らない悪性の破壊性にとって代わられている、と思われる。

ピック入れ?と夜のうたたねと、【小さな赤ん坊を観察すると、微笑んだり泣いたりすることがもたらす効果の強烈さに誰もが強い印象を持たずにはいられない。】

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 ピック入れ?実は、北海道のワイナリーで働いていた時に、農家の友人が、ビニタイ入れです。細いベルトで剪定ばさみのケースと一緒にぶら下げていたので、今のストラップは太くて使えませんが、細いベルトを買えば付けられます。夢中で弾いていたら時々どっかに行ってしまうので、あれば便利ですね!

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 昨日も今日も遅番です。昨日はも音楽で盛り上がりましたが、今日はなにで盛り上がるのでしょうか?就労されておられる方もいるので、食事の時間が少しずれます。

 

 

 現場で、利用者さんの投影をまともに受けて、行動化してしまう支援者が多く感じます。あたかもそれが寄り添って居たり、受容・共感しているかのように........。それはコンテインすることではないと思われます。そこで意識したいのは、ウィニコットのほどよい母親ですね!
 

  小さな赤ん坊を観察すると、微笑んだり泣いたりすることがもたらす効果の強烈さに誰もが強い印象を持たずにはいられない。

 もしくはこれら生得的な能力によってもコンテインする受容的対象を見出だすことができなければ、もっと万能的な方法が動員され、その結果自己愛的なタイプの対象関係が発達する。

 この状態でなお、早期乳幼児期の状況が反復されるのを回避し、コンテインメントの体験を提供するために受容的であり続けるのは、分析家にとって取り組む価値のあることである。(Bion,W.R.1962)

ギターのチューニングと、【つまるところ患者が私たちにもっとも届いてもらいたいところに私たちが届くことによってこそ、その分析体験の患者にとっての価値が決まっていくでしょう。】

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 先日、ギターを弾いていたら、5弦のポジションが上がって行くにつれて、ピッチが下がって行くことに気づき、オクターブを朝、合わせました。最近横着して、クリップチューナーで解放弦だけ合わせることが多かったので反省しています。解放弦と12フレットを押えて合わせるように以前までしていましたので(笑)気をつけます。

 

 今日は遅番なので午前中に用事を済ませています(笑)。ギターの弦を張り替えたり、来年大阪の博物館での展示について用意したり。給与計算したり、頭がついていきません(笑)。

 

 

 下記は、2回目ですが、松木先生を読み終えたら、ケースメント的な感じがして、読み返したくなりました。このシリーズの3冊目ですが、1冊目、2冊目は定価で購入できましたが、2冊目は高価になってしまっています.....。

 利用者さん中心って、なにも利用者さんに迎合したり、寄り添うだけではないとおもいっています。まあ、それは分かり易くて簡単ですが、お互いに成長しませんね......。

 共感しながらも、その方にとって、近い将来どうあるべきか?

例えば、知的や精神に障がいをお持ちで、内科的な病気を持っておられる場合、悪化したり手術が必要になった時に、入院できる病院を探すのに苦労します。なので、そこまでに至らない時に、例えば睡眠障害があるのなら、精神科がある総合病院に通院して総合的に見て頂くということを、言い方は悪いですが、企業的に言えば、戦略を練って紹介状を書いて頂いて受診し通院しておくと、何かあった時にそんなに困らなくても受け入れてくれますし。ご両親が恒例の場合、色んなサービスはありますが、ご自身で通院される場合、ワンストップの方が何かと便利ですね。日々そんなことを考えながらの支援の上に下記の様なこともきちんと考えながら、現場を皆さんやっているので、相談支援だけが何も偉い(笑)わけではないですね(笑)。現場で働く人間が、どんどんスキルアップして、馬鹿にされないようにするのが自分の仕事の一つと生きている間は頑張るつもりです。本当に凄い方は、現場の大変さを理解してくれているのも知って上での発言です。

 

あやまちから学ぶ
精神分析心理療法での教義を超えて
パトリック・ケースメント
浅野元志・川野由子・日下紀子・永松優一 訳
松木邦裕監訳

日本の皆様へ
 私たち分析家は、ひとたび分析家としての自信を抱き始めると、ときとしてあやまちをおかしたり、患者を誤解してしまいやすくなるようになるようだと私は気づいてきたした。それは、自分は「知っているのだ」と思うようになるからなのです。

 分析家としての私たちの仕事に自信を見出だすまったく異なるなるふたつの方法があります。ひとつの方法は、私たちの仕事への教義的なアプローチを学ぶことです。それは確かさの感覚を与えてくれますし、とても迅速に、力量あるという錯覚を私たちにもたらします。しかし、このあり方が、私たちが間違ってしまっていたり誤解してしまっているときに、患者がしばしば出してくる微妙なサインにオープンでなくしてしまいやすいのです。

 そうなると私たちは、いかなる理論であろうとも知識をもっと与えくれるその理論に備わっている教条的教義から私たちが採った仮説を患者に押しつける臨床スタイルを身に付けていきます。そこでは患者は自分について仮定されているものに服従するようにとのプレッシャーを感じるでしょう。

 

 ~一方、私たちが仕事において発見していくまったく異なる自信があります。それによるなら、私たちは、患者に耳を傾けることを身につけますし、ひとつのセッションの瞬時瞬時に私たちを患者がどのように経験しているかをしばしば伝えてくる無意識のヒントに耳を傾けられるようになります。

 とりわけ、私たちがまちがっていたり誤解しているときにそうできるのです。

 つまるところ患者が私たちにもっとも届いてもらいたいところに私たちが届くことによってこそ、その分析体験の患者にとっての価値が決まっていくでしょう。

 このことゆえに、もっぱら理論や別の臨床体験に基づいて見通しを予期していたときに、しばしば予想していた道筋とはまったくちがった旅に私たちは連れ出されるのです。

夜勤からずっとと、きなこ大豆とギターと、【そしていったん自分の無力さを受け入れれば、私にももっと思慮深くなることができたと思われる。】

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 夜勤入りから、色々とあり(現場ではなく、自分の頭の中でw)、小一時間休憩がてら、身体を伸ばしていたら、あっという間に朝でした(笑)。色々考える事が出来たり、自分の逆転移を感じる事ができたり、岐阜の友人からのメールでも色々考えさせられ、学ばせて頂き勉強になりました!

 帰宅してから、寝ようか?いきなり明けで1日(笑)で、給与計算(笑)。それもちょっと気持ちの切り替えができないなと思って座ろうとしてギターに触ったが最後(笑)、弾いてしまいました.......。お昼をごはんとシラスで頂いていたら、親分から設計士さんが夕方来られるので、お前も出てこいと......。きなこ大豆があったので1袋食ってやりました(笑)。

 夕方近く行ったら、設計士さんが来られました。改修の場所がまだ少し残っているのでその説明だけでしたが、2000年当初からがんを患っておられ、転移して胃・胆のう

・腎臓とこられ、二つ目の腎臓にも転移が見つかったとのこと.......。自分は頭が悪くても、それ以上は進行しないので、親に感謝でしょうか?感謝できるような親ではなかったので(笑)、無理(笑)。まだまだ日中は暑いので、ご自愛くださいね!

 

 患者のこころに接することが難しいときは、本当にどうすることも出来ませんが、下記にあるように、一歩下がってみて、相手だけでなく、自分の様子を見たり・感じたりする必要を感じる時があります。アートや音楽でも同じですね!

 そしていったん自分の無力さを受け入れれば、私にももっと思慮深くなることができたと思われる。そのままでしょうか?

 支援が難しい方を引き受ける際には、まず自分の無能さを感じる事ができなければ(自己否定できなければ)、おそらく相手のせいにしてしまって、あいつは悪い奴だ的に、スティグマを捺してしまいそうですね.......。

 

 

全般的考察
 ~患者のこころに接することが難しいときに、過剰な能動性を示さずむしろ不毛さを感じていると、いったん身を引いて、彼のおかれた状況に対し以前より受動的になれたこともある。

 そしていったん自分の無力さを受け入れれば、私にももっと思慮深くなることができたと思われる。

あだっちゃんの送別会と、平均年齢30歳のIT企業に入社した還暦の大工。「1カ月お試し」のつもりが一瞬でなじんだ理由と、今日のうたたねと、【これにより患者は、私が彼の情緒を前よりも受け入れ、彼の新しい「ことば」を評価している、と感じられるようになっていった。】

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 昨夜、あだっちゃんの送別会があったようです。みなさん少しずつ成長されて、いいお顔になってこられています。一日中施設で椅子に座っていた方が(あだっちゃんではありませんが)、バンドクラブでは一番躍動感があったり、とてつもない潜在能力が出る時があり、それを出せるような環境を設定していかせて頂くのが、自分たちの仕事でもあります。卒業はほんとは寂しいですが、彼ら、彼女らにとってはハレの日!頑張って応援させて頂きます。また疲れたら、いつでも遊びに来てくださいね!

 

 先日下記の記事が、ヤフーのニュースで出ていました。まさしく?うたたねもそんなところか?でももっと平均年齢が高い(笑)。

 自分はアートと音楽を中々諦めれず、周囲は年齢で諦めてやめていってしまいますが、継母の推しもあり(笑)、細々と両方とも続けさせていただいています。年齢の壁を破るのは、案外、頭が柔らかい、若い人たちかも知れませんね!

 7pey等見ていても、若いIT技術者たちは、何であれくらいのセキュリティーレベルで堂々とやるのか?と言っていましたが、本当にそうなってしまっています。うたたねも老害という語をキーワードにする時が多くなっていますが、老害という言葉は、漢字通りではなくて、頭が時代についていけなくて、こ昔取った杵柄で凝り固まってしまっている方たちを指している言葉だと、自分は認知しています。年を重ねられても時代について行っているだけではなく、先に進まれている方々もおられるわけで、数字だけが先走るのはおかしいですね。

 自分が京都にいた時には、京都市伝統産業課さんが、伝統工芸の技術の(デザインではなく)アーカイヴを作ろうとの提案があり、フィレンッエで作品展をさせて頂きましたが、若い何代目という方々は、まさしく若いのに老害というような方もおられました。皆さん環境が違うので、その時点での技術や考え方で判断がフェアに出来ればいいですね。公募展に年齢制限なんて、それこそ表現の自由を阻害されている気もします。若くても良いものはいいし、年を重ねていても、ダメなものはダメ。案外ITがどんどん進化していくと、年齢なんか関係がなくなるかもしれませんね!と小さく(笑)つぶやいておきます。

 

 

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 今日もうたたねは、賑やかですが、昼間に沢山活動された方々は、沢山食べられて早く眠られましたが、同じように活動されても元気な方々もおられます!いつものようにライブハウス状態になっていました!最近の流行は『ハイサイ・おじさん』です!今一番みなさんのノリがいいです!年齢層もおじいさんとお孫さん的な開きの中に、沢山のご利用者さんがおられるので、情報の交流が盛んですね!自分はもちろんおじいさんサイドです(笑)。

 

 

 

  支援も、相互関係があってこそなので、支援者がしんどい時には、おそらく利用者さん達もしんどいのでは?と思えるくらいの余裕がなければ、本当の支援はできませんし、それを双方共がワークスルーできた、した時にこそ、変容が起きるのではないでしょうか?自分だけがしんどいって思っていませんか?と、他人様に言っている振りをして、実は(笑)自分に言っていたりして(笑)。

 

第6章 分析セッションにおける無力感と権力の行使
 ~この情緒の変化は、私のほうの能動性が減ったことに助けられたことによる、と私は考えている。
  これにより患者は、私が彼の情緒を前よりも受け入れ、彼の新しい「ことば」を評価している、と感じられるようになっていった。

  そして前より抑うつ的な気分に導かれ、失うことと悲しむことに耐えうることができるようになり、万能感が少し、新しい、より現実的な成長を遂げられる可能性が増したのである。

何の作品?と、今日の散歩と、マディ・ウォーターズと、【抑うつ的な気分に触れている状態が妨げられやすいのは、分析家と患者が、互いに入れ替わって感情を投影しあうためであったと思われる。】

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 鯉のぼりの様な?でないような?以前、アトリエ・カーグで作って、豊橋商工組合さんの田原支店さんで飾らせて頂いた物を、大家さんである木工所さんでわっかをふたつ作ってもらって、親分が縫っていました。中々迫力がありますね!

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 自分は6時からの早番でしたが、11時過ぎに、自分が生まれた和泉市の博物館の学芸員さんと、帰納的標本展についての打合せがあり、11時にはねさせて頂きました。周囲の方々がフォローしてくれました。本当にありがとうございます!

 日程は決まりましたが(来年ですが)、後はお互いにその場に合った展示方法や作品を選択したり、はがき・チラシは博物館さんが持って下さるとの事で、嬉しかったです!やっぱり地元は動きやすいですね!逆にその学芸員さんは、愛知県出身の方でした。豊橋にも幼少期に住まれたことがあるとのことで、お互いに縁を感じました。

 

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 まったく関係ないのですが(笑)、時間があったので喘息の薬がなくなりそうなのを思い出し、薬をもらいに行ったら、自転車のタイヤの空気が抜けていて、慌てて自転車屋さんに駆け込んだら、ムシゴムが劣化しているとのことで、後輪はやってって(笑)、前はやるからって(笑)、ムシゴム代だけでいいやろ!と思っていたら400円!って.......。ムシゴムは100円で2つ3つ買えるやんか!!と怒りながらも、真っ黒になった手を油汚れ専用の砂が入ったような洗剤を指さされて、きれいに洗って慌てて病院に入ったら、既に予約の順番は過ぎていて(笑)、ちょっと嫌な顔され(予約電話のガイダンスに、予約時間より15分前に来てくださいが増えていましたが......)ながら直ぐに喘息の検査......。自転車で熱い中全速力で走ってきたので、そんなん、ええ結果になるわけないやんか(笑)と思いながら、吸って、吐いて、思いっきり吸って、次に思いっきりフー!って言われても、ぜいぜいしている時にする物だから(笑)、勿論結果も悪く、検査した後喘息になりました(笑)。

 で、マディ・ウォーターズですが(笑)、先日、ゲロ吐いてしまって救急車で運ばれて、汚れた様でしたが、親分が2回洗ってくれきれいになりましたが(セカンドストリートで女性ものの中にあって500円でしたw)恐らく、マディの価値を知らない方が値付けと展示をしたのでしょうが?勝負Tシャツ(笑)にしていますが、それが綺麗になったのと、自分の心身が少し元気になったのとで、一気に曲が(詞とともに)出来上がりました。何年振りでしょうか?MTRが壊れなかったら(笑)生まれなかったのでしょうか?『マディ・ウォーターズを着て』っていう曲です(笑)(笑)。

 でもちょっと気に入っています。

マディ・ウォーターズを着て 空を ミアゲタラ アメが2 っ3っ 頬に ナガレタ

 キット ソレハ 涙..........》サブいぼ物ですね(笑)。ついでに『傘がない』と『ロジー』を3年前くらいに組み合わせた物も歌ってみました。本当はソングライターになりたかったのですが、誰かのバックで下手なギターを弾く事しかできず(笑)、ギターも全然うまくなれないし(笑)、誰か歌って頂ける方はいないでしょうか?おられたら、うたたねっとから(もう回復したでしょうか?)申し込んでください(笑)。まだ、うたた所属です。む雀師匠(岡君)も、先日、西野君の料理屋で西野君が電話してくれた時に、米朝事務所をきちんと通してくれな!って言ってましたので。闇営業は出来ませんので(笑)、宜しくお願い致します。募集はマジです!まずは聴かないとですね!ネットにあげようとはしているのですが中々上手くいっていないのが現状です。

  

 

   下記は、良く読み込まないと自分は理解できませんでしたが、現場でも大事な事のように思えますし、参考にもなりますね。精神分析も支援も、大事にしなくてはいけないのは、お互いを思う(陽性ばかりではなく)こころだと思います。真剣にやっていれば、失敗でも許してくれ、それがまた成功につながりますが、真剣でないと、それが簡単に相手に伝わってしまいます。転移・逆転移というのは分析家から見た関係性だと思われるので、松木先生は逆転移からと言われるのは、佐々木正美先生の自分を相手に合せるほうが、相手を自分に合せる方が簡単だからに繋がる事だと思いました。

 

考察
  ~抑うつ的な気分に触れている状態が妨げられやすいのは、分析家と患者が、互いに入れ替わって感情を投影しあうためであったと思われる。

 それぞれがこどもを長く放っておく親に同一化すると、罪悪感を相手に投影し、放っておかれるこどもに同一化すると、恥と屈辱感を投影するのである。

 私はこの行き詰まりから抜け出す方策を見出だせないことが多く、自分の心の中の人物像に、自分に抱えたジレンマを理解してもらうことが必要である、と自覚した。

今日も暑かったですね!と、鉄工島フェス 2019と、【迫害的な筋書きにおかれて暴君的父親に向かっていた憎しみは、いまや両親双方に向けるられるようになり、とくにふたりの関係そのものに向けられる。】

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  通院を電車にしたので、駅まで歩いての生きかえりだけで、シャツがびっしょり.......。

朝晩は大分楽になりましたが、日中はまだまだ大変ですね!夜間の室温設定が難しい時期になりました。川が干上がりそうでしたし、大きなトンボが(こちらは事故か寿命でしょうか?)道端で死んでいたり......。

 

 

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  15年物の(笑)MTRを自分で直そうと思って明けたら.......。無理でした。

20年物の方は、3年間ほうちしていましたが、まだ現役です。自作の曲が約60曲はいっていて、どこにも保存していなかったので(笑)、また作ったらええやんか!と開き直りました。でも詞が中々書けない.......。

 

 大阪に行っていたりで、皆様に急なシフト変更して頂き本当に申し訳ありません....。

明日から平常通り出れることになりました。

 

 昨日に引き続き、ジャパン・デザインネットさんからです。

こちらも面白そうですね!こういうところで、カーグのメンバーの作品が飾られたら良いですね!

 

 

 鉄工島フェス 2019

 

 

 下記が、エディバル状態から出ると言うことでしょうか?どうしても定型的な発達論を前にしてしまうと、ステレオタイプ(それが必要な時もありますが)になってしまい、きちんとした支援が出来なくなりますが、特に基底欠損水準におられる方々は、実年齢の方を意識したほうが良いのは当たり前でしょうか?その実年齢も怪しい時はどうすれば良いのでしょうか?

 

 

 迫害的な筋書きにおかれて暴君的父親に向かっていた憎しみは、いまや両親双方に向けるられるようになり、とくにふたりの関係そのものに向けられる。

 羨望と嫉妬が、正当だと思われている二人に毒素を加え、こどもの憎しみを強化し、自分の破壊性は良いと思われるものすべてに対する攻撃と感じられる。

渥美半島の先っぽにある物と、白柳先生のブログと、【ここで逆説的であるのは、抑うつ的な解決は、患者が親への同一化に訴える解決にたよらずに、親の権威に反抗できる強さを見出だすことができるようになったときに可能になる、ということである。】

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 生まれ故郷にはきちんとした美術館がないので、博物館で(立派な建物ですが)の展示になりますが、その会議が本日博物館で行われるようです。作品展と言っても、ミニギャラリーなので、そんなたいそうな物ではありませんが、学芸員さんが、自分とは逆で、出身が愛知県とのことで、苗字も最初に働かさせて頂いていた施設で一番支援させて頂いた方と同じなので、益々縁を感じました。作品の整理をしていたら渥美半島の先っぽの方にある農業倉庫の扉や、錆びて朽ち果てようとしている、ロードローラーの物が出て来ました。ガラホにしたので(笑)写りがより悪くなっています(笑)。

 博物館に繋げて下さったのは、西教寺の浅井住職のおかげですので、決まり次第直ぐに報告に行きたいと思っています。

 

 

 毎月1回2時間施術を受けに行っている、白柳先生がまた本を出されるようです。現場で本当に悪戦苦闘されて居られる方々の言葉には、本当に重みがありますが、世間一般の方々には、電話だけで耳触りの良い言葉を、さも自分に同一化しているかのように話す輩の方が支持率が高いのは看過できませんが、看過される方の方が多いのも事実ですね..........。口やパソコンだけなら誰でもネットで少し調べただけで、さも(笑)、しつこい(笑)、全て把握している様な事を言ったり、書いたりするのは小学生でもできますよね?(笑)

 自分は、京都時代のツケ(無理)が祟り(笑)、首と肩のコリが異常にひどくて、墓場まで持って行かないといけない覚悟でしたが、アレクサンダー・テクニーク(もう4年目に入りました)でこれは何とかなるのでは?と思えるようになり、神田橋先生の本から(実際には白柳先生が主の本)、白柳先生を知って、異常な張りを少しずつほぐしていってもらいながら、アレクサンダー・テクニークでそれを維持するというのが、今の自分にはベストです。先日、八塚先生が、アメリカでのパーキンソンのリハビリのひとつとしてのアクティビティに、アレクサンダーが使われている事例があると、京都で学会の発表会に参加されてきたと、個々にも書かせて頂いた記憶があります。自分のやっている事は、今の時流とは反対の事が多いですが、山下達郎さんが言われたように、結局は、アコースティックが生き残るのではないでしょうか?それは楽器の事だけではなくてですが。


 以下は、上にあるホームページの中のブログの一つです。勉強になるブログなので是非、お読みください。

 のぞみ整体院日記

 
座談会してきました
 先日、3人のお師匠さん方の末席を汚して、念願の座談会をしてきました。
 お集まりくださったのは精神科医神田橋條治先生と杉山登志郎先生と高宜良先生。錚々たる名医の方々に混じってなんでアンタが居るのだ、とお叱りを受けそうですが、『神田橋條治の精神科診察室』を作ったとき同様、大本の言い出しっぺが私ですので、今回もまた〈言い出しっぺ特権〉です。

 丸一日、話し続け・聞き続けで頭はへとへとにくたびれて、こんなてんこ盛りな座談会をあなた、うまくまとめられるのと皆さんにハラハラ心配されて(当然だ……)、もちろん私自身も大いに心配しつつテープ起こし・原稿作りに取り組んだわけですが、今日、めでたく皆さま方から〈よくがんばりました〉のお返事をちょうだいすることができました‼
 細部の詰めにはもう少し作業が必要ですが、原稿の構成が変更不要となれば、峠は越えたも同然です。いや~…、本当によかったです。肩の力が抜けました。

 この原稿が本になるのは来年の夏以降です。
 実際にお目にかけられるのは少し先になりますが、ゴールまでの作業を精一杯がんばりたいと思います。どうぞよろしく、ご期待ください!
 
 
 
 
  下記はまだスタイナーです。しつこいですが、現場ではやはりエディバルナ問題が沢山あるので、この辺りは少し集中させて頂きたいと思っています。
 中井久夫先生が何かに書かれていた、『医者が立派過ぎると、患者さんの存在がなくなる』という言葉が、下記を読ませて頂いてふと感じました。ウィニコットが言うように、簡単に子どもに主導権を渡してはいけないけれども、期待を全く失わせてもいけないというのは、そういう事なのか?とも思いました。

 

  ~ここで逆説的であるのは、抑うつ的な解決は、患者が親への同一化に訴える解決にたよらずに、親の権威に反抗できる強さを見出だすことができるようになったときに可能になる、ということである。

 親との同一化への誘惑に抗することができるようになると、こどもは大人と比較して自分が卑小であることに気づき、また排除されているという感覚を持ち、これに関わる不安に直面せざるを得ない。

 ここでこどもが得るのは現実との接触であり、これは苦痛であるが成長には決定的に重要である。苦痛であるのは、自分のおかれている状況はより憎しみと復讐願望が生まれているが、これが両親双方に向けられていることに気づかざるを得ないからである。

 母の日々は自分自身の権利に基づいて行動しているのであり、もはや原始的群族の所有物として奪い合うものとなっているわけでもなく、乳児的なエディプス的勝利の筋書きの共犯者でもない。

 母親は〈良さ〉と同時にフラストレーションの根源とみなされる。両方の性の乳児にとって、母親は、愛と憎しみの混合した苦痛な状態を惹き起こし、これが抑うつポジションを特徴づける。

 こどもの苦痛は、「裏切られた」という感覚に結びつくことが多いが、現実であれ、空想であれ、とくに母親がこどもの近親姦願望に共謀していた時期の後に生ずる。母親かま大人であり、父親と大人の関係にある、ということにこどもが気づくと、こどもに深い絶望感が生じる可能性がある。