ひと事ではない! 水資源問題と、【それゆえ、その間隙を縫うように、気分的、ヒステリックな議論が保守派の人々から主張される。それが退けられずに人々の支持を得るのは、単に流動化への不安さからくる曖昧さのせいだけではない。人々が直観的に精神の安定や教育の条件として、「恒常性」の必要を感じているからだろう。】
賑やかになって来たのは嬉しいですが、こちらではマスクをされている方がいませんでした。
まだまだ安心出来ませんね。
最近、日本は洪水が多いので下記のニュースのことは全く頭に入ってきませんでした。SDGsでは環境問題に真剣に向き合っていますが、どうしても自分の身近な問題が先に浮かんでしまいますね.......。
「水の恵みは、水道の水だけではありません。食べ物とか着ている服とかにも、大量の水の恵みが詰まっているということをまず、理解することが大切です」
トイレや入浴、洗濯などに使う水道水は、多い人で400リットル。
そして、毎日食べる食料の生産には、雨水を含めて2000から3000リットルの水が使用されています。
ネットでこの本の紹介があり、安倍政権を批判しまくりと言っていましたが、具体例として分かりやすいから、樫村先生が固有名詞を上げたんだろうなと、真剣に通読したらそう思いました。フランスと日本は本当にきちんと比較できるのか?比較の対象にお互いがなるのか?は議論が必要かもしれませんね。
※美しい国の危険
社会の流動化がもたらす問題は、このようなフランスでの活発で厚みのある議論に比べて、日本では左翼的・政治的な狭い領域内部で議論されている。存在論的・哲学的な厚みをもって議論されているわけではない。
早くから社会の分裂病化(社会の「恒常性」の欠如と同義である)を理論的に問うてきた社会学者の大澤真幸や、経済厚生的観点を拡大して社会を展望してきた経済学者の金子勝らが、過剰流動性がもたらす危機に警鐘を鳴らし、これによって社会が解体しないような社会設計を考えてきた社会学者のの宮台真司などは、この問題を提起している。が、フランスのように、学者の中でコンセンサスのある主流の議論にはなっていない。
それゆえ、その間隙を縫うように、気分的、ヒステリックな議論が保守派の人々から主張される。それが退けられずに人々の支持を得るのは、単に流動化への不安さからくる曖昧さのせいだけではない。人々が直観的に精神の安定や教育の条件として、「恒常性」の必要を感じているからだろう。〜
夜のうたたねと、新型コロナワクチン開発に貢献もスパイ扱い…カタリン・カリコ氏が放った"毅然とした主張"と、【これに対し精神分析論は、「反復強迫」という現象――人間は快樂を求める動物的回路に閉じておらず、苦痛や外傷をわざわざ繰り返し求めたりする――に着目し、人間を非定型性の観点から捉えている】
今日は2つ会議があり、朝からバタバタ!空を見る暇もなく(笑)、空を見上げたのは、入浴介助が終わってからでした。お月さんがキレイでした!
樫村愛子先生が書かれている、愛知大学の文化論叢の134号と、135号をお願いしたら、今日午前中に来ました。迅速丁寧な対応感謝致します!
本格的な冬に備えて、去年は段ボールでしたが、今年は少し予算が出たので、プラ段になりました!とは言え、端材も使用しています。ファンは自分の作品用にストックしていたものを放出!
自分たちの仕事は、利用者さん達の心と身体を整えさせて頂くことです。
それも、ご本人さんが気付かないように、また、心的外傷にならないように行動変容出来るように、精神分析的な支援方法を構築させて頂いています。
今日はなぜかピックが見当たらず、パンの袋についているやつを使わせて頂きました(笑)。少しジャリジャリいいますが(笑)、使えます(笑)!昨日も今日も音楽三昧でした!
成功をおさめたらおさめたで、いろいろありますね。周囲は気にせず反復あるのみですね。魔法なんてないから。
新型コロナワクチン開発の立役者、カタリン・カリコ氏は約40年間にわたりmRNAワクチンと向き合ってきた。東西冷戦の中で不景気だった母国・ハンガリーでは行き場を失い、渡米しても研究成果はなかなか認められず……。苦難の末にワクチン開発に成功し、授賞式のためハンガリーに帰国した彼女にスパイ疑惑が向けられた――。
下記はなぜ樫村先生が精神分析的に物事を見る必要があるのか?のひとつの回答を示していると思われる文章です。
〜スティグレールの項で、「動物化」に触れた。が、人間は厳密に言えば、本能についても非定型的である。それゆえ、どこまでも食べ続けたりセックスし続けたりするなど、コントロールが利かない。
この意味で、人間を動物として考える議論も、人間を合理的・利己的な観点から考える議論も、一つの文化的範型でしかないものを「本質主義的」に捉える(人間とはもともとそういうものだと考える)過ちを犯している(これに対し精神分析論は、「反復強迫」という現象――人間は快樂を求める動物的回路に閉じておらず、苦痛や外傷をわざわざ繰り返し求めたりする――に着目し、人間を非定型性の観点から捉えてい)。
ヴィルノは、さらに資本主義が生政治的なものとなる(生活のあらゆる領域に浸透する)とき――健康になるためや美しくなるため、あるいは幸福になるための商品などを提供するようになるとき――ハビトゥス(ブルデューの概念で、無意識的な慣習化された行為)」は、「ハビトゥスをもたないハビトゥスや「便宜主義的なもの」になると指摘する。〜
今日と昨日のうたたねと、キャロル・ドウェック: 必ずできる! ― 未来を信じる「脳の力」と【だが、資本主義は、商品を売るためにハビトゥスを恣意的につくり、操作し始める。どんどん商品を売るために、人間をより操作しやすくしようと、何かに固執させないようにする。】
今日も晴天!長い散歩組と短い散歩組に分かれて散歩に行きました。自分は短い散歩組!空がまたまたきれいでした!
今日は小さなアトリエ・カーグの日でした。年賀状用の虎を描かれていた様子!
今日は女子も男子もすろーの湯に行きました!男子は昨日の写真です。
下記は先日、石橋先生に質問をさせて頂いたら、なんとこんな末端の人間に講演会用のパワポ資料を送ってくれ、その中で紹介されていたTED(自分のように英語が苦手な方でTEDに慣れた方は上ので日本語字幕にしてください。面倒くさいならwしたので開いてみてください)で、直ぐに『マインドセット』と『やればできる!』の研究を購入し、今日来たので『マインドセット』を読み始めました!
~『うまくいかないときにこそ、粘り強い頑張りを見せるのが「しなやかマインドセット」の特徴だ。~ には納得ですね。自分には粘り強さしかないので、やりつづけるしかありません。
TED日本語 - キャロル・ドウェック: 必ずできる! ― 未来を信じる「脳の力」 ―
内容
キャロル・ドウェック氏は、「学習や問題解決に使われる脳の処理能力は、開発・育成できる(=成長)」というアイデア、「成長型マインドセット」について研究しています。このトークでは、あなたにとって「解決するにはちょっと難しい問題」に対する、2種類の思考パターンを示してくれます。「解けるほど頭が良くない...」ですか?或は「まだ解けていないだけ!」でしょうか?幅広く影響力を持つこの分野、入門としてもお勧めです。
下記は樫村先生の引用です。流通論の久保先生がマーケティングになんか騙されるな!と、口酸っぱく言われていたのを思い出してしまいました。久保先生も勉強になった先生で感謝しています。
〜もともと非定型的である人間にとって、良心も愛情も一つのハビトゥスでしかない。
社会が良心や愛情のあり方を形成していたとき、ハビトゥスは、安定的に人々に内面化されていた。だが、資本主義は、商品を売るためにハビトゥスを恣意的につくり、操作し始める。どんどん商品を売るために、人間をより操作しやすくしようと、何かに固執させないようにする。
操作可能で、すぐに変更可能なハビトゥスにする、ということは、もっといえば「ハビトゥスをもたないハビトゥス」にするのである。
例えば、環境についてしっかりした考え方をもっていれば、「環境商品」なるものの中身や意味をチェックすることが出来るが、そんなものは邪魔だと、資本は考える。
環境についての規範や価値観と環境商品をセットで消費させ、次々に別の規範や価値観と商品のセットに移らせていく「便宜主義的なハビトゥス」の方が、物を売るには都合がいいのである。
はてなさん10年ですが、うたたねも10年経ちました!と、クリスマスプレゼントが買えないと、【「種別化された本能を欠く―非種別化」とは、人間がそもそも生きる形を定型として与えられていないことを示す。】
今年もキレイな紅葉を見に行くことが出来ませんでしたが、はてなさんだけではなく、うたたねも11月1日で11年目に入りました。法人は14年目!
いろいろありましたが、過ぎて見れば早いものですね。今は若い世代に権限委譲しましたが、老害ならないように(笑)現場には以前より入らせて頂いています。
下記は、これからの樫村先生の引用に関わる記事でしたので、張り付けさせて頂きました。コロナ禍が業種によりますが、エッセンシャルワーカーを蹴散らしてしまいましたね。危険を犯してまでやる対価が得られるのか?また、危険を犯してまでやるモチベーションを保てる仕事なのか?それにも増して蔑視されていなかったか?等など、色んな問題が顕著に出たのではないでしょうか?雇用者側がフレキシブルな仕事だけを求めていても、そこに集まる方々はどんな状況にある方々か?真剣に考えて行かなければいけない時代になりました。だから樫村先生の本が読みたくなる、読まなければいけないようになるのですね。
樫村先生からの引用がしばらく続きます。前回の人間は可塑性が高い生き物というのは下記にも書かれています。だから想像したり、創造できたりしますが、それが良い方向だけなら良いですが、時には悪い方向へも行ってしまいます。でも焦ることはなく、失敗から沢山学べるから失敗も成功のうちですね。
蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。ピエール・ブルデューによって用いられた[1]。ウィキペディアより
〜人間は、何のために生きるのかという意味や目的を生得的にもつわけではない。他の動物のように種を増やすなどの本能だけに閉じているわけでもない。ゆえに、その存在が規範や倫理、制度などで社会的に規定されなくなれば、それは一人一人の哲学的問題(存在論的問題)になるだろう。
ヴィルノはこれを、フレキシリビティによって、「人間存在が、あからさまに規定された環境世界をもたない存在として生きなければならない」「人間が種別化された本能を欠く――非種別化という条件に現在、晒される」社会になったと述べる。
人間は可塑性の高い生き物である。例えば、生まれつき言語をもつのではなく、学習によって習得する。「種別化された本能を欠く―非種別化」とは、人間がそもそも生きる形を定型として与えられていないことを示す。〜
昨日のうたたねと、時給2000円でも… アメリカで働き手が足りない事情と、【例えば、移民に対する不安に対し、感情的に管理や追い出し、懲罰を語る政治が「欲動のレベル」の政治で、移民の人権を認め、彼らをとりまく社会問題にどう対処するかを考えるのが、「欲望のレベル」の政治である。】
昨夜は、調理に使うワインがあり、皆さん飲む振りをされて(笑)、楽しまれていましたが、酒屋さんの息子さんがボージョレ・ヌーボーの解禁日を間違え、またまた皆さんで大爆笑!賑やかな夜でした。
それを見ていた女子も楽しそうでした!
今日も送迎時に富士山が見えていました!
人間には可塑性があるのだから、下記の記事はそうなのかもしれませんね........。福祉職はコロナ以前から時給を上げても支援者は集まりません。
仕事の質や環境の改善を
アメリカの雇用に詳しい専門家は、こうした人たちは、仮に感染拡大が再び深刻になっても、失業するおそれが低い仕事に就きたいと考えているため、単に時給を上げただけでは人手不足の問題は解決しないと指摘しています。
小此木先生の書き方と比べたらきついように感じますが、樫村先生の本は全ていい得ていると、個人的には感じてしまいます。
仏哲学者スティグレールは、ニ〇〇六年、仏大統領選挙直前に出版した『民主主義に敵対するテレクラシー』で、フランスの政治状況を批判した。
当時、最も有力だとされた二人の大統領候補、社会党のロワイヤルも国民運動連合のサルコジも、「欲望のレベル」ではなく「欲動のレベル」で政治を語っていると指摘したのである。
例えば、移民に対する不安に対し、感情的に管理や追い出し、懲罰を語る政治が「欲動のレベル」の政治で、移民の人権を認め、彼らをとりまく社会問題にどう対処するかを考えるのが、「欲望のレベル」の政治である。
すなわち、「欲動のレベル」とは、後述する「動物化のレベル」のことで、生理的欲求や快樂によってのみ行動することである。
また、「欲望のレベル」とは、欲望が基本的に「他者を欲望する」ことであるように、人との関係やそれを媒介する言語によって社会を語り、行為することである。~
SDGsは企業PRに使われ、真の環境問題や貧困の解決策にならない【山口周×斎藤幸平】と、【人間の創造性は、市場原理主義をはみ出すような、他者や世界への憧れという人間固有の欲望に基づいている。また、死すべき存在である自分を、他者の支えによりながら見つめ、記述し、共有していく、無意識的なものに照準した文化に基づいている。】
しつこいですが(笑)、空が今日もキレイでしたね!ひこうき雲が増えた気が今日もしましたが、調べてみます。去年の今頃は財務評価論で航空業界の評価をやっていました。リーマンショック時と比較しましたが、航空業界はそれ以上の打撃ですね。劣後ローンとかの問題ではなくなった気もします。プラットフォーム事業や地方創生とか謳うなら、農家ではなくて農協に社員を派遣するように政府が促すようなアクションをなぜ行わないのか?農協は金融ばかりに目が眩んで、農林中央金庫に鉄槌を下ろされたのにこりませんね。日本の全体最適はバラマキだけては解消されないし、安心して働け、安定した収入がある社会システムを構築しないと何も変わりません。
ケインズの言うところの金利生活者の死を迎えなければいけないのか?
ネオリベラリズムの暴走を止めなければいけないのか?
下記の記事を見ていて、いろいろ思い出しました。
気候変動も地球の歴史(宇宙の歴史)も頭に入れて考える必要もありませんかね?
斎藤幸平氏(以下、斎藤): SDGsが目標として設定されたことで、持続可能性や貧困の問題、社会における公正さ、地球の環境問題について「みんなで考えていこうよ」という考え方が普及した。企業も対策を求められるようになった。これらは一歩前進かもしれません。
しかしその一方で、SDGsが、この危機の瞬間に必要なものになっているのかというとまったくなっていない。なぜなら17のゴール・169もの項目があり、どんな企業でもそのいくつかについて「うちはやってます」と簡単に言えて、儲けのための企業PRに利用できる構造になっているからです。
本来向き合うべきはビジネスモデル
例えば、最近だとマクドナルドが「フィレオフィッシュは天然のアラスカ産スケソウダラを使っているからSDGsだ」と言い、ユニクロも「うちのウルトラライトダウンはリサイクルしているからSDGsだ」と主張し、くら寿司も天然の魚を使うということで似たようなこと言い始めた。何でもかんでもSDGsに当てはめてしまっている。
でも、フィレオフィッシュがSDGsにかなっていたら無限に食べていいのか。ユニクロでじゃんじゃん服を買っていいのか。違いますよね。本来向き合わなければならないのは、こうした企業のビジネスモデルそのものです。今のファストフードやファストファッションのシステムこそが、地球環境を破壊している原因です。じゃんじゃん作って、すぐ捨てる。大量生産・大量消費・大量廃棄の問題こそが、解決しなければならないことです。
ところが、SDGsで満足してしまえば、環境破壊を必ず伴う資本主義システムを長続きさせることになっている。際限なく利潤を追求する資本主義のもとでは、環境危機を乗り越えられないという問題の本質から人々の目をそらさせる結果になるのです。
樫村愛子先生の引用に入ります。小此木先生もそうですが、樫村先生のはもう少し時代は近いですが、現在にあてはめても全く問題ないですね。樫村先生の本はこれが4冊目でしたが、1番新しい本と比べても一貫性を感じました。精神分析、特にラカンが根底にあるからぶれないのでしょうか?個人的にはラカンは難解ですが、樫村先生の本を読ませて頂いて、少し理解出来るようになりました。
簡単にマクドナルド化と言ってしまいますが、この本を読んでいると、その深さに気付いてしまいます。
なぜ伝統や文化が求められるのか
樫村愛子著
はじめに
〜なぜ、市場原理主義が貧しい形式的合理主義・マクドナルド的な再帰性に陥るかのを、人間の成長原理や、人間が他者や社会と関わる構造に遡って検討する。
人間の創造性は、市場原理主義をはみ出すような、他者や世界への憧れという人間固有の欲望に基づいている。また、死すべき存在である自分を、他者の支えによりながら見つめ、記述し、共有していく、無意識的なものに照準した文化に基づいている。
また、人間にとって「再帰性」そのものが、本書のもう一つのキーワードである「恒常性」という、他者や社会をベースにした原理に依拠していることを確認する。人間が新しいことに挑戦するためには、他者や世界への信頼が不可欠なのである。
さらに、言葉や知性の最も生産的な機能である、新しく自由な結合作用そのものが、人が持つ固有性や多様性の蓄積と、他者との交流によっていることを確認する。~
キレイな空と、換気扇?と、マルクスに才能とケア労働を搾取された”父の娘”の壮絶な最後【毒家族に生まれて】
今日は日勤でしたが、人員配置が完璧でしたので、本格的な冬に備えて、今年も窓を開けなくても換気出来るように、今回はダンボールではなく(笑)、プラ段にバージョンアップ!と言っても端材ですが。
朝も昼も夕方も空がキレイでした!送迎時に富士山も見えましたです
ネットのニュースをいつも通り見ていたら下記の映画の紹介がありました。マルクスの研究ノートが見直されている昨今、マルクスに関連する映画なら、普段映画にあまり興味がない自分もみたいなと、思いました。
裕福な社会主義者
カール・マルクスはプロイセン王国トリエル(現在のドイツ・トリーア)で1818年5月5日、ユダヤ系の上告裁判所付き弁護士の父ハインリッヒの一家に生まれた。あのロスチャイルド家にも繋がる家系のかなり裕福なユダヤ人家庭。親戚には銀行家のベンジャミン・フレデリック・フィリップス(エレクトロニクスメーカー、フィリップスの創業者の父)がいた。豊かな子ども時代を、フランス哲学を学び、ラシーヌの作品などから影響を受けながら過ごした。
18歳で婚約。妻は姉の親友で幼馴染のイエニー・フォン・ヴェストファーレン。彼女は貴族の出身で、義理の兄は内務大臣を務めた。長男を亡くした一家にとって大切な次男。彼は大切に育てられ、父、母、妻、そして姉の4人に助けられて一生を送った、典型的な“お坊ちゃん”だった。
そのため、基本的に経済的にも精神的にも依存が激しく、“自分の尻を自分で拭えない”人物であったことは否定しようがない
小此木先生からの引用は、今回で一度やめて、次回から樫村愛子先生からの引用になります。個人的にエディプス・コンプレックスが現場でも非常に問題になっていると感じるのに、皆さんはあまり関心がないのか?イマジネーションが湧かないのか?不思議でならなかったので、少し長めに引用させて頂きました。
子どもの中の社会(超自我) 次の問題として、フロイトはエディプス・コンプレックスを抑圧することと並行して、心のなかに超自我(super-ego)が形成されるといっています。 フロイトの図式でいうと、父親なり、母親なりが、道徳、倫理などの社会的な規範を身につけていて、その原理で子どもに教育をする。その教育を通して、子どもの心に内在化した、社会規範や道徳のことを超自我と呼ぶのです。とくに、超自我がもっとも端的な形でつくり上げられるのは、異性の親に対する近親姦的な愛着と同性の親に対する憎しみに対してです。〜
サービス経済化と非正規増加と、【実際の男性の発達には、陽性のエディプス・コンプレックスの極端なかたちから陰性のエディプス・コンプレックスの極端!かたちまでの間に、いろいろな程度の組み合わせがあるわけです。】
毎日空がキレイで沢山写してしまったのを整理していたら、フォト画面のスクショが最近のマイブーム(笑)。
下記は自分の流通論の最終レポートにも引用させて頂いたもので、コロナ禍以前のものですが、コロナ禍が加速させてしまいましたね。
非正規雇用については、2000年代初めの規制緩和が原因だとする論調もネット上では散見されるが、背景にはサービス経済化の動きがあることは、何故か、あまり議論されない。
以前、私が「地方創生に必要な産業政策 〜状況分析編」で行った整理は以下となる。
- GDPは製造業の動きに大きく左右される。
- サービス業では、不動産や専門科学技術・業務支援が堅調だが、最も存在感をあげているのは保健衛生(医療福祉)。
- その他の金融や宿泊・飲食は、生産額が低下している。
- 雇用面では、保健衛生や宿泊・飲食、金融保険が生産額推移以上の雇用者を取り込んでいる。
端的に言えば、サービス経済化の中にあるにも関わらず、「単体での変化量が大きいため」に製造業がGDPに与える影響は無視し得ない状況の中で、景気に関係無く保健衛生の規模が拡大し、総体としてサービス経済化が進んでいるという状況です。
同じことばかり書いている気もしますが、下記は改めてフロイトの凄さを感じました。最先端の脳科学者がフロイトの心理学的草案に注目するわけですね!
〜実際の男性の発達には、陽性のエディプス・コンプレックスの極端なかたちから陰性のエディプス・コンプレックスの極端!かたちまでの間に、いろいろな程度の組み合わせがあるわけです。 男らしさ女らしさについても、心理的にはもともと人間はすべて両性具有的な存在なので、ある程度男性的で、ある程度女性的であるというのが普通ですね。
いまの図式でいうと、ある部分では極端な陽性のエディプス・コンプレックスで、父親との同一化をもっているし、ある部分では陰性はエディプス・コンプレックスのようなかたちの母親との同一化と父親との同性愛的な関係をもっている。だからそれぞれの心のなかには男性同一化もあれば女性同一化もあるのです。
雑草もキレイ!と、今日のうたたねと、声を上げた私が悪いのか ~止むことのないネット上での中傷~と、【ところが陰性にエディプス・コンプレックスでは、父親であるおどかしに負けて、むしろ息子が男であることを放棄し女になってしまう。それが陰性のエディプス・コンプレックスの特徴です。】
花を写していたら、フォトの画面がきれかったので、スクショしました(笑)。
午前中は散歩がてら、近くのお寺にお参りに行きました。早くコロナが収束しますように!
今日も快晴!
下記はSNSで自分の意見が瞬く間に世界中を駆け回ってしまう現在。個人個人が成熟した人間にならなければ、SNSは武器になりかねない恐ろしさを孕んでいますね。
多様性が言われる中、一番多様性を認めないのが、多様性を強く主張している方々なのではないのか?と思ってしまうくらいです。強度行動障がいをお持ちの方などの受け皿がなくならないのか?このままの風潮が続くと、子育てすら難しくなりそうですね。
大勢の人が利用する電車内で相次いで起きている切りつけ事件。ことし8月には、小田急線で10人が重軽傷を負う事件がありました。
逮捕された30代の容疑者は「幸せそうな人を見ると殺したくなった」などと供述し、「自分も被害に遭っていたかもしれない」と、電車に乗るのが怖くなったという人も多くいます。
事件のあと、被害者と同年代の大学生などが再発防止を訴えて声を上げ始めましたが、こうした人に対してネット上で「お前が刺されればよかったのに」「売名行為だろう」などといった書き込みが相次いでいます。
止むことのないひぼう中傷や、匿名での攻撃。いま、何が起きているのか、当事者の声を取材しました。(社会部・警視庁担当記者 岡崎瑶)
下記も昨日のNHKでやっていた、ジェンダー・サイエンスの続きみたいですね。
〜陽性のエディプス・コンプレックスの場合、最後は敗北するにしても、父親に対してライバル意識で立ち向かっていきます。そこに大きな意味があります。ここでは、息子は父親に同一化して、心のなかでは母親を愛し続ける。すなわち父親のものを奪うというのは、逆にいえば、父親になり代わるとか父親。座を占めるという意味があるわけです。だから陽性のエディプス・コンプレックスでは父親と争っていながら、父親になりかわってしまおうとする父親同一化が起こることになります。 たとえば、ある男がその父親である王様を殺して自分が王様になってしまう。すると前の父親と同じになってしまうわけです。そこで初めて王様の后である母親を奪える。そうした衝動が陽性のエディプス・コンプレックスにはとても強い。 ところが陰性にエディプス・コンプレックスでは、父親であるおどかしに負けて、むしろ息子が男であることを放棄し女になってしまう。それが陰性のエディプス・コンプレックスの特徴です。 この場合、男として母親を父親と張り合う闘争心も母親に対する異性愛も失われ、むしろ母親に同一化して、母(女)のように父親に愛されたいという態度が優位になってしまう。するとエディプス的な衝動を放棄して、むしろ自分から女になって父親との同性愛的なよい関係だけ求めることになる。そこでは本来のエディプス的な衝動が消えてしまうことになります。〜
星状神経節ブロック注射と、きれいな空と、バオバブの大地の悲鳴が聞こえますか?と、【まず男性らしさ、女性らしさの問題。エディプス・伊藤の過程には、フロイト流に言うと、陽性のエディプス・コンプレックスと陰性のエディプス・コンプレックスがある。】
2日に浜松市にある、ペインクリニックに行きました。
肩を医師が触ると、硬さに驚いていました。まあ、京都時代からむちゃな仕事のやり方をしていたので、無理もありません。医師と看護師さんが大変な仕事されて来たんですねと、リップサービスしてくれましたが、ガキの頃から身内にもそんな言葉を言われたことがなかったので(笑)、こちらがびっくりしました(笑)。
肩に3本注射してから、星状神経節にブロック注射!肩はそうでもなかったですが、星状神経節は非常に痛かったです!3回やってみて改善されなかったら違うやり方を考えるとのこと。ストレッチはマメにしていて体は柔らかいと思ってましたが、首と肩だけは違うのですね!
本当に毎日毎日空がキレイ!
地球の歴史を見てみると、地球全体が凍結したことが、分かっているだけで3回はあるとのこと。右・左だけに偏るのもそうですが、気候変動には自然の変化も頭に入れて考える必要もありそうですね。人工的なものだけではなく。
相次ぐバオバブの死
アメリカや南アフリカなどの科学者でつくるグループは、2018年に発表した報告書で、バオバブの枯れ死が相次いでいることを指摘しています。
グループでは2005年から17年にかけて、樹齢の古いものや、サイズの大きいものに絞って、アフリカ全土で60本以上のバオバブを調査しました。
するとこの12年間のうちに、最も古い13本のうち9本が、また、最も大きい6本のうち5本が、完全に倒れてしまったり、幹の一部が崩れてしまったりしたことが分かりました。
しかも、枯れ死したバオバブは、南アフリカやザンビア、ボツワナといったアフリカ南部の国々に集中しています。
報告書では、さらなる調査を続ける必要はあるとした上で、相次ぐ枯れ死の原因として、「アフリカ南部での気候変動が関係している可能性がある」としています。
昨夜、NHKでジェンダー・サイエンスなるものをやっていましたね。男性性・女性性というのは、男性にも女性にもあると言っていたのは、精神分析家でしたでしょうか?フロイトの心理学的草案が最先端の脳科学で見直されているのも頷ける気がしました。色んな環境やその体験によって脳に情報が集約・統合されて、その方の考え方が作り上げられるのでしょうか?それならいつまでも変化し続けるわけですね。
男らしさ、女らしさ まず男性らしさ、女性らしさの問題。エディプス・伊藤の過程には、フロイト流に言うと、陽性のエディプス・コンプレックスと陰性のエディプス・コンプレックスがある。
陽性のエディプス・コンプレックスは、異性の親に愛着が強く起こると、同性の親が、その異性の親を回ってライバル関係になるというものです。たとえば、男の子の場合、好きな母親となるべく二人でいたいとか、母親を独占していたいという気持ちが強くなると、父親が邪魔になり、父親を追い払ったり、なるべく父親にはいないでほしいと願ったりする。それが陽性のエディプス・コンプレックスです。 陰性のエディプス・コンプレックスは、父親が息子の母親への愛着をおどすとか、息子を排除したりする、というような迫害息子が父親から受けて、負けてしっぽをまいて逃げてしまう場合です。〜