うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

はてなさん10年ですが、うたたねも10年経ちました!と、クリスマスプレゼントが買えないと、【「種別化された本能を欠く―非種別化」とは、人間がそもそも生きる形を定型として与えられていないことを示す。】

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 今年もキレイな紅葉を見に行くことが出来ませんでしたが、はてなさんだけではなく、うたたねも11月1日で11年目に入りました。法人は14年目!
いろいろありましたが、過ぎて見れば早いものですね。今は若い世代に権限委譲しましたが、老害ならないように(笑)現場には以前より入らせて頂いています。

 

 下記は、これからの樫村先生の引用に関わる記事でしたので、張り付けさせて頂きました。コロナ禍が業種によりますが、エッセンシャルワーカーを蹴散らしてしまいましたね。危険を犯してまでやる対価が得られるのか?また、危険を犯してまでやるモチベーションを保てる仕事なのか?それにも増して蔑視されていなかったか?等など、色んな問題が顕著に出たのではないでしょうか?雇用者側がフレキシブルな仕事だけを求めていても、そこに集まる方々はどんな状況にある方々か?真剣に考えて行かなければいけない時代になりました。だから樫村先生の本が読みたくなる、読まなければいけないようになるのですね。


 樫村先生からの引用がしばらく続きます。前回の人間は可塑性が高い生き物というのは下記にも書かれています。だから想像したり、創造できたりしますが、それが良い方向だけなら良いですが、時には悪い方向へも行ってしまいます。でも焦ることはなく、失敗から沢山学べるから失敗も成功のうちですね。

ハビトゥス

蓄積されていくが、個人にそれと自覚されない知覚・思考・行為を生み出す性向。ピエール・ブルデューによって用いられた[1]ウィキペディアより

 

ハビトゥスをもたないハビトゥス――ヴィルノ

 〜間は、何のために生きるのかという意味や目的を生得的にもつわけではない。他の動物のように種を増やすなどの本能だけに閉じているわけでもない。ゆえに、その存在が規範や倫理、制度などで社会的に規定されなくなれば、それは一人一人の哲学的問題(存在論的問題)になるだろう。

 ィルノはこれを、フレキシリビティによって、「人間存在が、あからさまに規定された環境世界をもたない存在として生きなければならない」「人間が種別化された本能を欠く――非種別化という条件に現在、晒される」社会になったと述べる。

 間は可塑性の高い生き物である。例えば、生まれつき言語をもつのではなく、学習によって習得する。「種別化された本能を欠く―非種別化」とは、人間がそもそも生きる形を定型として与えられていないことを示す。〜