やはり、この地域は常春ですね!今年は暖かいのもありますが、毎年この時期でも何かの花が咲いています。
インフルエンザが猛威をふるって来ましたね!皆様お気を付け下さいね。
下記は、ラッカーの続きですが、オグデンが統合の不全の中で、分割はもっとも基本的には体験の組織化様式であるが、防衛機能にも役立つことになる。と、アップさせて頂いたことと、同じことを言っている気がします。
相模原の事件も、転移から受けた衝撃をきちんと、自分の中で整理できなかったんだと思われます。現場の職員はなぜか馬鹿にされたり、下に見られたりしますが、現場の職員こそ、精神分析的な学習をしないといけないし、より高度な技術や知識の蓄積が必要ですし、それなりの仕事をしていると思っています。現場の支援者のいう事をバカにして(笑)聞かない相談支援員がいますが(笑)、笑止ものですね(笑)。本当にこちらは命を預かっているんだぞ!と(笑)、今日もなぜか言いたくなりました。まあ、そういう方ほど、現場を知らないですからね(笑)。転移、逆転移をモロに受けるのは、何を隠そう、現場の人間ですから!!
〜もう一つの逆転移の分け方としては、分析医が患者の自我とイドに同一視すること(すなわち“融和型同一視concordant identification”)に由来する逆転移の部分と、患者の(内的)対象と同一視すること(すなわち“補足型同一視complementary identification”)に由来する部分に分けるやり方もなされてきた(第6章参照)。
特に後者の逆転移は、分析医を転移から受けた衝撃の中に封じ込めてしまい、その悪循環から逃れられないようにしてしまう危険性をはらんでいる。
そのため、ことに陰性逆転移をひき起こしやすい。このような事態を避けるためには、分析医が自分自身に対して距離を保ち、昇華された陽性転移を自由に使えるように分離しておくことができなくてはならない。
そしてこのようなことを可能にしてくれたのは、深い転移と逆転移との間で開花していく全過程がつまびらかにされてきた最近の進歩によるのである。
しかし、これまですでにわたくしは、分析医であれば必然的にこのような表裏に分かれる“二重のかかかわり方double life”をせざるを得ないということや、そのような“健康な分裂”についてや、さらに、自分を二つに分割して、不合理な体験をする自我部分と合理的な観察をする自我部分とに分けざるを得ないという技法上の原則(患者についてもこれと同じことが要請されるのであるが)についてはすでに言及しているので、これ以上は取り上げないことにする。〜