うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

うたたね茶会と、やまゆり園後継施設の運営見直しと、【これと同じく、陽性逆転移の基本的役割は、患者の無意識(つまりは分析医自身の無意識)に目を向け、逆転移抵抗を克服するために必要なエネルギーを供給することにある。】

 

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 周囲でインフルエンザが猛威をふるっているので、今日はみなさんうたたねで過ごしました。うたたね茶会を開き、みなさん話をされていました。

 

 下記は、先程ネットで見たニュースです。コメントは控えますが、こちらもヤフコメが、現実を語ってくれています。本当に重度の方の行き先がなくなりますね。度が過ぎた対応は勿論ダメですが、あんな大きな事件があったのに、一部の現場を知らない相談支援員の様なことを平気で言ってしまっている気もします。偉そうに言うなら、全ての形態の施設で最低1年間ずつ働いてみてからモノ申せば良いような気がします。このまま左の方々が言いたくれを言うならば、職員が集まらず、施設自体がなくなって行くのではないでしょうか?勿論、過剰な拘束や暴力などを認めているわけではありません。

 多くの利用者さんを一気に集めてそれなりに人員配置したら、確かに給与はあがるでしょうが、自分たちが小舎制を選ばせて頂いたのは、きちんと重度の方を見させて頂きたいからです。時間はかかりますが、きちんとした支援と勉強をしていたら、多動で食事もじっとできなかった方が、今や外食に皆さんと出掛けることが出来たり、一人で入眠できなかった方が、できるようになったり、睡眠時に無呼吸だけではなく、激しいいびきをされる方が、体位変換と気道確保で、朝まで熟睡できるようになったりできています。エディプスの壁を越えられていなかった方が、毅然とした態度でダメなことはダメと言う事で、こちらも時間がかかります(心的外傷にならない程度の毅然なので)が、少しずつ越えられるようになられています。伝統産業が先細りになって来たときに、京都市伝統産業課の方が、新家内工業にしないとやれなくなると言われていたように、小さな規模で手厚くすれば(勿論、きちんとした指導者が居ての前提ですが)、先に述べたようなことも本当に可能です。トヨタカイゼンを、皆さんは忘れてしまったのでしょうか?誰があれがこれが悪いのではなく、障がいをお持ちの方々の環境が、お金を産む道具になってしまっているのも現実です。お金がなければ何もできないのも、重々知ってもいます。教材も事例検討も自閉症の方の物が多くて、自閉症の方は、嵌まればきちんと嵌まって問題なく生活できる方が多いですが、それ以外の方の方が難しさを感じています。でも、間違ってはいけないのが、同じ人間なのでどこかで通じ合う事ができるはずですし、そうさせて頂いています。時間がかかることが認められない時代に、エビデンスという、一部だけの結果で判断されてしまう時代に、クラインマンは臨床人類学を使って立ち向かって行っているのだと思っています。

 

 相模原の裁判が始まったので、3回はそれに関連するようなアップをと記したように、今回も逆転移を取り上げさせて頂きました。(ラッカーの『転移と逆転移』からです)

 上でたらたらと(笑)述べた偉そうな(笑)ことは、結局、陽性転移を出して頂くには、松木先生がまず、逆転移から転移というように、こちらからエネルギーを供給していくしかないのかとも思っています、それはお笑いだったり、ペーソスだっったり、日常で起こる様々なことをお笑いにして意味づけしたりすれば、分かりやすかったりします。勿論、その方にあった形で行うのは言うまでもありませんが。それも時間がかからなかったり、案外かかったりで、簡単なことではありませんが、頭を使うのは面白くないでしょうか?自分は逆に誰でも見れる方には興味が湧きません(仕事はきちんとさせて頂いています)。それも結局、日々の関係づくりの成せる業ですが。


逆転移
 ~精神分析過程で陽性転移が果たす基本的役割は、患者が治療で協同作業をしていくためのエネルギーと、無意識に目を向けて抵抗を克服していくためのエネルギーを供給することにある。

 これと同じく、陽性逆転移の基本的役割は、患者の無意識(つまりは分析医自身の無意識)に目を向け、逆転移抵抗を克服するために必要なエネルギーを供給することにある。

 分析治療中に、患者が分析医に対してみせる忠誠心の起源は愛にあるのであり、陽性転移が維持されている場合にのみ、分析医に耳を傾ける(Freud,1917)のと同じで、分析医の場合も患者を理解する態度の起源は愛にあり、陽性逆転移が維持されている時のみ、患者のイドおよび自我とを同一視することができるのである。