うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

男の美学(笑)と、ブルーボトルコーヒー京都と、土山SAと、【分析医の一貫した共感と忍耐と解釈とが緊張や不安を和らげるのであり、しかも、それらのすべては分析医の愛情表現としての反応である。

 

 

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 山王商店街にあったものですが、唸ってしまいました。ほんと、こうありたいかも?こうなってしまうのかも?(笑)ですね。

 

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 途中、京都で用事を済ませて、一度は飲みたかったブルーボトルコーヒーに行きました。確かに豆の味が感じることが出来る、美味しさでした。煎りで誤魔化していないのが好きなので、口に合いました。

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 親分は、持ち帰りも注文してました(笑)。写真は土山SAできつねそばを頂きながら写しました。

 

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  また、ラッカーのアップになりましたが、下記は下手なコメントは不要ですね。

パソコンの移行が、自宅はまだなのでタブレットからのアップです。写真のサイズがデカ過ぎました。

 

 〜もうひとつ分析治療に固有の要因があり、それが転移の力動性を規程している。これまで、分析治療の原理自体が葛藤的な対象関係を際立たせる働きをすることはすでに述べた。
 そして、その対象関係は乳幼児期に外界との関係で形成されたのであるが、今では精神内界のものとなっている。この点については、精神分析は攻撃性として作用するのであり、被分析者の現在のあり方を攻撃し、潜在している分裂schismsを表在化し、内的な葛藤や分離separationsを転移の中で外的なものに転換する。

 こうして、分析治療が不安、緊張、苦痛そして愛情欲求を生み出す。しかし、精神分析の過程にはもうひとつの側面がある。

 それは、分離しているものを融合し、切断されているものを結合させる作用であり、本質的にはエロスの表現といえるものである。忍耐を必要とする基本規制と、病的な拒絶すなわち自分自身の自我のさまざまな部分に向けられた不合理な攻撃性のすべてを取り払うという精神分析治療の原則は、それ自体がエロスの表現であるともいえる。

 分析医の一貫した共感と忍耐と解釈とが緊張や不安を和らげるのであり、しかも、それらのすべては分析医の愛情表現としての反応である。〜