うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

きれいな空と、古典×現代2020―時空を超える日本のアートと、【この時、分析医が“抑圧から解放される”ことによってはじめて、患者が抑圧し閉鎖してしまっている生き生きした考えや温かい感情を、分析医の方から補給してあげる道が開かれる。】

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 今日は早番でしたが、送迎が上手くいかず、手遅れになる前に自分が動きましたので、何事もなく済みました。普段送迎をしていない者が送迎になっていると、自分もそうですが(笑)、忘れてしまう事があり、皆さんに迷惑をおかけしてしまいます。

 早番に入る前に、ルーチンで(笑)ファミマで本を読んでから入ろうと出たら、空がきれかったので、思わず写していました。今日は日本だけでなく、世界的に大きな出来事があり、個人的に落ち着かなかったですが、支援に入ると集中して嫌なニュースを忘れる事ができました。

 

 下記は、ジャパンデザインネットさんからの物です。

葛飾北斎《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》 江戸時代・19世紀 和泉市久保惣記念美術館 と、偶然にも昨日書かせて頂いた、あこがれの自分の故郷にある美術館の名前が出ていました。好きなアーティストさんも出品しているので、時間があれば見に行きたいです。

 

 下記は、またラッカーの『転移と逆転移』に戻りますが、理由は今日、相模原の痛ましい事件の裁判があったからです。3回はこの辺りをアップさせて頂きます。

 相模原の事件までに至らずとも、事件にならない事は、沢山あります。それは障がい者施設だけのものではないので、やはり学校教育の場で、くだらない、偏見に満ちた道徳よりも、精神分析的な人間の内面に迫ることが出来るような教育が必要なのではないでしょうか?せめて転移と逆転移の仕組み等を知識として知るだけでも、いじめは少なくなりそうな気もします。人間同士が向き合えば、転移は必ず起こるというのなら、逆転移もあると言う事なので、自分の中で、自分をきちんと整理できるような教育(記述だけでは簡単ですが)が本当に必要だと思われます。自分自身が何かからリリースされていないのに、向き合う方々を何かからリリースできるでしょうか?辛いこと、大変なことを乗り越えてもいないのに、人様の苦労が分かるのでしょうか?アカデミックなことだけでは、何も解決しません。投影を受けたり、投影をしたり、それが上手く自分で処理が出来る能力がなければ、自ずと他人のせいにして、だれだれがあんなことをしたからこうなったとか、あいつは悪い奴だとか、自分の能力がないのを人様のせいにするしかなくなりますね.......。福祉職には、本当にそのような教育が必要なのでは?と精神分析関係の本を読みだしてから、特にそう思うようになりました。精神分析が万能だとは思っていませんが、考えることの軸にはなりますし、軸がなければぶれまくるだけだし、学習・教育の必要性を感じます。

2.精神分析技法の古典と現代
逆転移
 〜逆転移の研究では、その中に含まれる多彩な側面がさまざまに分けられ、考えられてきた。すでに述べたように、逆転移には二つの側面がある。

 たとえば、ここにひとつの症例をあげてみよう。

 この患者は、分析医に対して情緒的に閉鎖的であった。そのことに対して逆転移を起こした分析医は、欲求挫折を味わうと同時に、その挫折体験から、患者のその時の転移の中にある対象関係について、次のような解釈を得るに至った。
 すなわち、患者の冷たさは、確かに、分析医の意欲に“水をさす”ものである。

 この場合、患者の情緒の閉鎖によって(このような閉鎖に対して分析医が本来もっている態度もあいまって)、分析医が金縛りにされるという悪循環からどのようにしたら解放されるかがわからない限り、分析医の解釈までも、いきおい冷たくならざるをえなくなる。

 この時、分析医が“抑圧から解放される”ことによってはじめて、患者が抑圧し閉鎖してしまっている生き生きした考えや温かい感情を、分析医の方から補給してあげる道が開かれる。

 このように、先に述べた逆転移の二つの側面というのは、一方に顕在しているただ今現在の転移に対する逆転移反応があり、他方には潜在してうごめいていて、抑圧されたり閉鎖されてしまっているような転移に対する逆転移反応があるということである。