うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

やっぱり音楽と、【分析家が投影されたものの不快な性質を受け入れ、理解し、惹き起こされる感情に耐えられると、良い要素が現れるようになる。】

  

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 うまく言葉を操れない自分は、やっぱり音楽に頼ってしまいます。言語以前の世界に自分は生きているのかも知れませんね。自分のアイデンティティは音楽かも知れません。最近は、皆さんのリクエストに応えさせて頂いていますが、自分の中にしっかりとメロディがないと、ギターにのせられないのも、身に染みて感じています。

 

 今日・明日はお休みを頂いていますが、事務仕事が山積していて(笑)、休みどころではありません......。T-Boneを聴きながら、パソコンに向かっています。

 

 下記は、参考になります。支援者も人間なので、受け止められない時もありますが、他の方に一時代わって頂いたり、他の人の意見をもらったりで、なんとか凌げるときもあります。

 ~私が示しているのは、患者と分析家のどちらにとっての問題も、ある部分は[相手の]良さを知ることで生じるということである。

 良さを知ることで愛情と欲望が惹き起こされ、必ず違いに気づくようになるからである。自己と対象の間の違いを知ることで、2人のメンバーのうち良いものを多く持っているものに羨望が生じる。

 良さが少ないほうのメンバーは、欠けているものに気づき、屈辱を受けていると感じさせられ、その結果、自分に利用できる良いものを役立てることができなくなる。

 患者がコンテインされ、理解されたと感じるためには、分析家は、患者が自分に良いものが欠けていると感じると屈辱を感じやすいということ、そして仮に良いものを獲得するとなると、羨望されると感じる傾向があることに気づいている必要がある。

  分析家の患者の持つこの制約を理解することができると、同様の困難によって、分析家も患者に良いものを見出だすことができなくなることがある、ということにも気づきやすくなる。
 患者が悪い要素ばかり強調し、良い面を隠すこともときに起こることがある。

 分析家が投影されたものの不快な性質を受け入れ、理解し、惹き起こされる感情に耐えられると、良い要素が現れるようになる。

 もし投影があまりにも不快で、またもし患者の成長によって分析家自身に羨望が惹き起こされると、分析家自体がつながりを攻撃し、患者を受け入れることができなくなってしまうこともあるのである。

バンドと、市民館祭りと、【受容的で依存的になることへの不安を克服するために利用される基本的な防衛は、分裂、投影同一視、取り入れの組み合わせからなり(Joseph,B.1959)、これらが結合され、複雑な自己愛組織を創りだしていることが多い(Rosenfeld,H.A.1964,1971a)。  】

 

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 今日は、行事がふたつ重なり、小さな法人には(笑)大変でした。休みなのに出て来てくれた職員さんもおられて、本当に感謝しています。

 自分は、さわらび会さんの文化祭にバンドで出させて頂きました。

親御さんや身内の方がおられると、みなさんちょっとお利口さんになってしまうので(笑)、いつもの迫力がなかったですが、それでも、いつもの彼ら彼女らを知らない方々には、驚きだったようで、ステージを降りたら、凄いね!って言われていた方も居られました。いつもはもっと凄いですので、練習を見に来て下さいね!

 

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 親分組は、市民館祭りへ!毎日、頭の中が学祭人間なので(笑)、飛んでいきました.......。賑やかだったようですね。田原は、数か所市民館祭りがあり、病院祭りもあった様ですが、それぞれ賑やかだったと聞きました。

 

 

 オグデンのつもりが、シュターナーでしたね......。見ることと、見られることでしたね!こころの退避も欲しいのですが、価格が自分にはえらいことになっています......。バリントも、一番読みたい本は、凄いことに......。

 オグデンの本を確認しようと、うたたね文庫に行ったら、オグデンの本がなくなっていました。誰かが借りてくれたのでしょうか?そうだったら嬉しいですね!

 

 耐える事が難しい......。だけど、ハードルを低くして、回数は多くなりますが、時間はかかりますが、耐えやすいようにして、ワークスルーできるようにするのも、自分たちの仕事のように感じています。簡単ではない事も、真剣に現場で向き合っておられる方々には理解できると思われますが、難しいこそやりがいがあると思います。

下記に出て来る、ジョセフ先生も、ローゼンフェルド先生も読ませて頂きましたが、初学者にも分かり易いように記述されていたので、勉強になりました。


 ~受容的で依存的になることへの不安を克服するために利用される基本的な防衛は、分裂、投影同一視、取り入れの組み合わせからなり(Joseph,B.1959)、これらが結合され、複雑な自己愛組織を創りだしていることが多い(Rosenfeld,H.A.1964,1971a)。  

 この組織により患者は分離と違いを否認することができ、したがって羨望を避けることができる。もし対象の良さが理想化され、かつ所有されればもはや羨望を感じるものはない。

 なぜならば、すべての良いものは患者によって所有され、コントロールされていると感じるからである。

 私は、このような自己愛組織がある種の〈隠れ家〉、あるいは〈こころの退避所〉を提供すると論じた(Steiner,J.1933)。

 ここでは自己と対象は融合し、その多くは一方が他方を内部に包み込んでしまい、そのために十分距離がとれず各々をきちんと見渡すことができない。

 この組織は対象関係に含まれる現実に対し防衛として働く。なぜならこの現実は分離した対象からなり、それぞれが個々の性質を持っているからである。

 もし自己愛組織が崩壊すると、分離することは安全な場所から突然、残酷に追放されると感じる体験となる。

 しかしもし患者が進歩し、自発的にこころの退避所から外に出ようとし始めるなら、その結果として生じる分離は突然でも残酷でもなくなるが、やはり耐えることは難しい。

 いずれの場合でも対象をよりはっきりと観察することができるようになる。もし患者が対象の良さに依存していることが明らかになると、羨望が再び現れるようになることもありうる。

朝からミルリトン!と、お地蔵さんと、銅鐸と、【それによって、彼は、受け取るより与える位置に立つことができるのである。】

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 昨夜、まりちゃんが、明日の朝はケーキがあるよ!って言っていたのを、仕事をしながら聞いていたので、5時に冷蔵庫を開けたら、ケーキが2つあり、6時まで待って、まりちゃんに聞き直したら、なんと、ミルリトンの方でした!、自分は夕食も朝食も自分持ちなので、頂きませんでしたが(笑)、朝からいい香りが食堂に流れていました。

 ショートの方も3名おられ、ラッキーでしたね!でも、カロリーが高そうだったので、心配です.....。もう一つのコンビニで売ってそうなケーキは誰の物?職員さん達もカロリー大丈夫でしょうか?(笑)

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 玄関の飾りを変えてみました。お地蔵さんは身代りになってくれるとのことで、良いニュースがあまりないので、悪いことが起こっても、お地蔵さんに助けて頂こうと、お地蔵さん登場です。皆さんの健康をお祈りさせて頂きました。今年も後2ヶ月となり、来年度に向けての書類が来てましたね.......。まずは給与計算ですが.......。

 

 

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 大阪の博物館さんから、ワークショップで使う、シルクスクリーンの絵が送られてきました!中々見ごたえがありますね!原図を作って、焼いてみます!

 

 

  5月くらいに読ませて頂いたオグデンの引用なので、文脈が怪しくなっていますが(笑)、そんな人間の習性を利用することも可能かもしれませんね。誰でも優位に立てるのなら優位に立ちたいし、負けて勝つということも支援する上では、有効かもしれません。

  ~反復強迫を繰り返す患者は、良いものの受け取り手となることに耐えることができない。なぜなら、彼はそれを屈辱ととらえるからである。

 患者は、わりに同一視を通じて良さを所有しようとする。それによって、彼は、受け取るより与える位置に立つことができるのである。

いつものうたたねと、【フロイトは、このような状況で、患者は〈経験から学ぶ〉ことができないように見えることに注目している。】

 

 

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 今日も、笑顔で一日が終われたこと、皆様に感謝しています。

何もないと言うことは、どんなに素敵なことでしょうか。ただただ、みなさんの笑顔を見たいがために仕事をさせて頂いているのかも知れません。単なる自己満足にならないように!

 

 オグデンをこうして読み返してみると、やっぱり凄いんだと、今更ながら思いました。フロイトの凄さを際立たせてもいます。変化に対する抵抗は、障がいの有無関係なくあります。自分たちもそうです。単純なところから言えば、ごみ袋の有料化、そして値上げでゴミを減らそうと思いますが、そのうち慣れてしまって(笑)、今まで通りになってしまっています。ただ、変化する時には凄く抵抗を感じてしまいます。支援では逆にそれを利用して、心的外傷にならない程度(ご本人さんに無理のないように)少しずつ変化をして頂きながら、慣れて頂くのが、自分たちのやり方です。

 下記は、ポール・トゥルニエ強い人・弱い人の本を思い出しました。

弱い人は、悪い道とは分かっていても、そちらの方に行ってしまうと言うようなことが書かれていました。20歳くらいに読んだ本なのでいい加減な記憶ですが(笑)、良い本でした。その時はヨルダン社から出ていましたが。

 結局はそれをきちんと乗り越えないと、ワークスルーしないと何も変わらないどころか、もっと悪い方向に行ってしまうのですね.......。

 安心安全感をどうして伝えるかが、先ず一番最初にしないといけないことですが、一人ひとり違うので難しいですが、逆にやりがいを感じています。直ぐに答えが出ない時の方が多いですが、お互い人間なので時間がかかってもいつかは答えが出てきます。

 

 ~しかしフロイトは、次第に反復強迫は〈変化に対する抵抗〉をも示していることに気づくようになった。

 彼は、抵抗の分析が分析家の中心的な仕事であるとして考えるようになる。そしてその後フロイトは、〈変化に対する抵抗〉がある種の患者においては特に強固なものである、と確信するようになった。

 これらの患者は、不幸や苦痛をもたらすしかない結末を追い求め、意味もなくそれに固執するように見える。フロイトは、このような状況で、患者は〈経験から学ぶ〉ことができないように見えることに注目している。

 実際彼らはあたかも「悪質な運命が、あるいは何か『悪魔的な』力にとり憑かれている」かのように行動するのである(1920,p.21)。

ストレッチと、ハロウィンの飾りと、禁書扱いされていたサリヴァンの自伝的教科書 と、【乳児が尽きることのない、常に存在している乳房を求めるのは、決して食物を求めたり、リビドー的な願望だけに由来するのではない。】

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 昨夜の夜勤者が、夕食後ストレッチをしてくれたようですが、写真を写してくれた職員さんは、何の御儀式ですか?って聞かれたそうです(笑)。でも、輪になっているのを写真だけで見させて頂いている分には、そう見えてしまいますね(笑)。

 

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 近くのコンビニのハロウィンの飾りが半端なかったので、一度は入りたいと思っていましたが、今日行くことが出来ました。中に入ったら、もっと半端なかったです......。

 

 

 

 Amazonからの宣伝のメールに、サリヴァンの新書が出ていたので、サリヴァン違いかな?って、開いて見たら、H.S.サリヴァンの本でした。唯一の自著とのことですが、禁書だなんて凄い扱い方ですね......。サリヴァンはコマーシャルに踊らされるのが嫌いだったはずなので(多分....)、生きていたら怒っているのではないでしょうか?訳者が中井久夫先生でないのが残念ですが......。精神医学の本の売り上げが15位と言うのも驚きでした。このブログでは、これを見て購入されても、こちらにはマージンが入らないので(笑)、安心して覗いて下さいね!

 個人的には、もう少し時間が経ってからサリヴァンに戻ってみたいと思っていたので、もう少ししてから、購入するかしないか?考えます。

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精神病理学私記 単行本 – 2019/10/18

H・S・サリヴァン (著), 阿部大樹 (翻訳), 須貝秀平 (翻訳)

 

商品の説明

内容紹介

サリヴァン自身の性指向とアルコール耽溺を参照軸としつつ、 スキゾフレニア、パラノイア、そして同性愛を語る大著。 著者の死後も長く禁書扱いされながら、アメリカ精神医学に決定的な影響を与えた。 自ら設計した精神病棟との「訣別講演」からの二章を含む、生前唯一の著作。 詳細な訳注と、サリヴァンの生涯をまとめた「サリヴァン小史」を付録する。

出版社からのコメント

禁書扱いされていたサリヴァンの自伝的教科書 【目次】 イントロダクション 第1章 生物体とその環境は合わさって一つのものである 第2章 人格の発生と発展 第3章 生きることの困難 第4章 困難の年代記ーー乳児期と幼児期 第5章 児童期ーー就学と社会化 第6章 前青春期ーーギャングとチャム 第7章 男性青春期と同性愛 第8章 女性の青春期に関する断章 第9章 睡眠、夢、スキゾフレニア 第10章 人格および情況のタイプ論 第11章 いかに探索面接を進めるか 第12章 人類の福祉に向けて 訳者あとがきーーサリヴァン小史

 

登録情報

  フロイトやクラインが、オワコン扱いされていますが、参考になることだらけでは?と思っています。個人的に支援方法は、支援させて頂く方それぞれ違うので、その人の数だけあるし、同じ方でも変化があれば、その変化を感じ取って支援方法を構築し直さなければいけないし、その時には、オワコン扱いされている理論の方が、より応用しやすいと思います。現代のものは、決めつけが強すぎて、簡単にその理論や概念から多角的なパースペクティブを生み出しにくいと思われるからです。全部を否定しているわけではありませんので、誤解なきよう。

 

  ブリトンは、「不満を向けられた内在化された対象像は、悪い対象ではなく、むしろ、良い対象が悪くふるまっていると見なされる」と指摘している(2003)。分析状況ではあるが、鬱憤も希望も分析家に投影され、希望を満たして鬱憤を晴らすようプレッシャーをかけられる。
 この葛藤では、闘争は現実性と道徳性のあいだに生じる。なぜなら患者が正当な解決法と考えるものは、現実的な解決法と見られるものと葛藤を起こすからである。

 中心となる問題は、理想的な対象と、それが生み出す理想的な自己が失われる、ということではあるけど、理想的な対象が、不快な感情、とくに迫害感、失敗感、屈辱感、罪悪感などをすべて取り去ってくれることを強く求めるのは、乳房に対する相反の関係をなす重要に要素である。

 クラインは次のように記している(1957)。

 

 乳児が尽きることのない、常に存在している乳房を求めるのは、決して食物を求めたり、リビドー的な願望だけに由来するのではない。なぜなら、最も早期の段階においてさえ、母親の変わらない愛情の証しを求めるのは、根本的には不安に根ざしている。

 生と死の欲動の闘争と、それにより自己と対象が、破壊的衝動によって無と化してしまう恐れは、日常の母親に対する最初の関係をなす根本要因である。

 なぜならば、乳児の願望が意味するのは、乳房によって、そしてやがて母親によって、これらの破壊的衝動と迫害的不安の苦痛をとり除いてもらわなければならない、ということだからである。(Klein1957,pp.179-180)

火の鳥?と、MATERIAL DESIGN EXHIBITION 2019 [STRETCH]と、【「何かを受け入れ、何を否認するか」】

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 夜勤明け、たくちゃんのインフルエンザ予防接種に付き添って、帰宅前にファミマで本を読んでいたら、うとうとしてしまっていました(笑)。今日は10ページで読むのを止めたので、読み終える事が出来ませんでした。明日、自分の受診待ちで、読み終える決心を(笑)しました。

 先程、個別面談を終えた職員さんから、火の鳥の様な形の雲が送られてきました!

 

 ぼけた頭でネットサーフィンし終ってメールのチェックをしていたら、ジャパンデザインネットさんからのメルマガに下記がありました。京都時代の先輩が、工業デザインを本当はやりたかったっていってたのを、ふと思い出しました。面白そうで、見に行きたいと思いましたが、会期がこれまた多忙な時期でまたまた諦めてしまいました.....。

MATERIAL DESIGN EXHIBITION 2019 [STRETCH]

 

 いきなり、オグデンに戻り、何の脈絡も感じさせずに、下記をアップするので、何が言いたいのか?分かりにくい気もします(笑)が、何となく言いたいことが分かるような気もしたので(笑)、アップさせて頂きました。

 妄想分裂ポジションを超えて「抑うつポジション」に進むのには、抑うつ的な不安を乗り越えられねばならないので、喪失感を受け入れるだけのキャパシティが必要で、それを獲得するには、乳幼児期における母子の関係が重要視されるというのは、クライン派の概念ではなかったでしょうか?エディバルな問題を抱えている方が、障がいをお持ちの方々に多いというのは、そこに何かしら理由があったのでしょうか?

 でも、障がいの有無関係なしに、ネットやテレビのニュースで、現代ではエディバルな問題を抱えていて、大きな事件を起こしてしまうことが多くなっているようにも感じられます。

 人生の中でも、行く度か、進むか?戻るか?という選択をしないといけない時が多々あるので、幼少期にきちんとエディバルな問題を解決しておかねばなりませんが、この時代、誰にそんな余裕があるのでしょうか・とも思ってしまう自分がいたりもします.......。

 しかし、(笑)そのような環境を、施設の中で作って行くのも、自分たちの仕事のようにも感じてしまいます。きちんと壁(低くても)を越えられるような環境を。

 

  ~この状況で、患者が「何かを受け入れ、何を否認するか」で苦悩するのは一般的に見られることである。何かを受け入れることは、小さなあきらめと小さな悲しみを伴い、他方何かを否認するということは、喪失を否認する早期の防衛メカニズムを再び利用するとともに、具象的な内的対象に依存する方向に後戻りすることを伴っている。

今日も一日無事に終わりましたと、【これらの再定義は、日常的な臨床を、ミクロとマクロという遠近法を使用して眺め直すことを要請するものと言える。】

 

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 今日も楽しく一日が過ぎたこと、皆様に感謝しています。

 

 今日は、全職員とご家族の方々で新城の施設見学がありましたが、詳細はまだ自分には届いていないので、詳細が届き次第、アップさせて頂きますね。

 今日は夜勤と、料理当番!でした。予告通り(笑)(食材は前もって女性職員さんが買ってくれていました)すき焼きを作りました!11人前だったので大きな鍋でも足りず、二つ鍋を使いました。お肉は、固くならないように、食事の間際に火を通しました。生卵を使えないことをすっかり忘れていて、生卵で食べていい味付けにしてしまい(笑)、慌てて薄めましたが、美味しくはなかったでしょうが(笑)、不味くもなかったようでした。まずは一安心(笑)。腹痛を訴える方も、今は出ていません(笑)。写真を撮っておけばよかったと(笑)、後悔しています。

 

 自分では1冊目のクラインマンからの引用はこれで最後です。本当に勉強にもなり、考えさせられた本でした。現在の「病いの語り」も、後1章になり、今月中に読み終わりそうです。読書とギターは意地でも毎日続けています(笑)。

 

 ~クラインマンや中井の試みは、ある文化はそれぞれ「治療文化」=「ヘルスケア・システム」を有し、その下位文化として精神医学的治療文化があるとするもので、文字通り精神医学の再定義・再構築である。

 患いや治療や癒しは、専門職にすればその日常を構成する自明のものであるように見える。しかしそれは、より大きな社会的・文化的文脈に依存し、基礎づけられていて、そのなかで活動するわれわれは通常その存在に気づかないまま過ごしている。

 そしてその背後には、手当てされ、是認=受容された病いや治療を大きく定義づけ、作動させているものがあるということなのである。

 これらの再定義は、日常的な臨床を、ミクロとマクロという遠近法を使用して眺め直すことを要請するものと言える。

秋の空と、国保保険料、上限引き上げへ=高所得者の負担増-厚労省と、【「……何を病気とし誰を病人とし、何を以て治療とし治癒とし、治療者ー患者関係とはどういうものであるか。患者に対して周囲の一般人はどういう態度をとれば是とされ、どういう態度をとれば非とされるか。……】

 

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すっかり、秋らしくなりましたね!空が毎日きれいです!大きなアンテナの足場が、ほぼアンテナを覆いました。

 

 明日は、職員一同、施設見学で出張なので、自分は留守を守らせて頂き、料理も作らせて頂きます。こまごましたものは面倒なので(笑)、すき焼きにしました!夜勤なので、早めに入ってすき焼きを作ります!

 

  帰宅して、ネットのニュースを見ていたり、テレビのニュースを見ていたら、下記や介護保険のことをやっていましたが、何のために消費税を上げたのか?いつもなんやかんやと上げてから、追い打ちをかけるようなことをしていないでしょうか?なんかだまされたような気分になるのは、自分だけでしょうか?くだらない美術展に何億円もつかうのなら、医療や福祉に使って下さいね!

 

 

 

 クラインマンの続きですが、ここにきて、自分を臨床心理学の本に向き合わせてくれた、中井久夫先生に出会うなんて、縁って不思議ですね!それもクラインマンと中井先生の言っていることが似ていると来たら、なんか1周回ってきたような感じにもなりました。

 お金を払ってでも受けたい支援と言うのは、下記のようなことも当然のように頭の中になければいけないとも思いました。

 

「ヘルスケア・システム」とは「治療文化」のことであるーー中井久夫『治療文化論』への架橋

  ~一方、中井の「治療文化」は、以下のように定義されるものである。


 「三つの症候群〔普遍ー文化依存ー個人症候群〕とそれにかかわる治療的アプローチと、それらを荷う人間的因子すなわち(広義の)患者と(広義の)治療者をはじめとする関与者とこれらをすべて包含する一つの下位文化(p.114)である。」
 それを「治療文化」と呼び、そのまた下位文化として精神医学的治療文化があるとする全体性を備えているものである。具体的には以下のような内容になる。
 「……何を病気とし誰を病人とし、何を以て治療とし治癒とし、治療者ー患者関係とはどういうものであるか。患者に対して周囲の一般人はどういう態度をとれば是とされ、どういう態度をとれば非とされるか。その社会の中で患者はどういう位置をあたえられるか。患者あるいは病いの文化的ひいては宇宙論的意味はどのようにあたえられるか。あるいは治療はどこで行われるべきで、それを治療施設というならば、治療施設はどうあるべきで、どうあるべきではないか、などの束である」。これらが混合してひとつの「治療文化」ができあがる、というのである。

今日の日中と、三谷のお祭りと、【このような体験を積むことで、将来のヘルスケアではヒエラルキーがなくなり、対等な立場でチームとしてお互いに尊重し合いながら仕事をすることになるでしょう。】

 

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 今日も外食に行きました!色んな意見が出たので、ドンキホーテのフードコートにしました。皆さん凄いですね.......。

 

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 女性職員んさんが、三谷の祭りを見に行かれたとのことで、写真を送ってくれました。品の良いお祭りですね!自分が生まれた泉州地方とは、趣が違いすぎます.....。

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 夜の様子も送ってくれました!

 

 

 下記は、クラインマンの続きですが、本当にそう思います。日々現場で本当に努力している者が、報われるべきですね!そして、対等に話し合えるように、福祉職ももっと勉強しなければ!とも思います。ヒエラルキーをなくすために!

 

 ~さらに、それに続く年次には、看護師、理学療法士、家庭ヘルパー、ソーシャルワーカーなどの専門職がチームとして協同して、お互いに対等な立場でそれぞれに専門性をもった同僚として患者のケアを体験してもらうのです。

 このような体験を積むことで、将来のヘルスケアではヒエラルキーがなくなり、対等な立場でチームとしてお互いに尊重し合いながら仕事をすることになるでしょう。

 そして、学生や研修医による家庭内でのヘルスケアのなかで長期的にケアをしていく臨床体験が必要になるでしょう。

 また、学生のケアをすることのスキルに対するシステマティックな評価も必要です。すなわちそのスキルが足りないときには試験を受けて落第するような評価システムを教育に採用することが重要になるのです。

 

 

 

 

 

足場と、鰻と、【そのためには、まず一点目として医学部生、看護学部生、作業療法士、理学療法士、ソーシャルワーカーを目指す学生の初年次教育として、重度の障害を生きる患者の家族のなかでケアの体験を一週間ほど実践することが重要です。】

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 今日は、玄関側の改修の為に、少し危ない足場でしたが、作業が終わったら直ぐに撤収してくれていました。みなさんの心遣いに感謝しています。

 

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 今週も、多数決ですき屋さんに行きましたが、はるくんと、まりちゃんは鰻........。

リッチですね......。自分は並盛です......。写真を撮ろうと携帯を手に持って、前を向いたら、はるくんの鰻が既になくなっていました.......。

 

 下記は、本当に大切なことだと思われますし、相談支援が、オーケストラの指揮者だなんて(笑)、偉そうに言うならば(笑)、ヘルパーしかやったことがないのに、偉そうに言われても、何も響くこともないし、どんな仕事でも慣れれば、誰でもできるし、それよりも、本当に現場を知っている方の言葉以上に(真剣に向き合われている方限定ですが)、何かを感じるものはないと思われます。他人のやっていることを見て知ったつもりでいるよりも、現場を生きた物として経験することが何よりも大事なことだと思います。著名な精神分析家や精神科医臨床心理士は臨床を一番大事にしています。アーサー・クラインマンも、それを声を大にして言いたいのだと思いました!

 第3部

第1章 ケアをすること

ケアの実践的な意味と医療におけるケアの再活性化

一、文化的アプローチ

 われわれはいかにして、これらのケアと文化的視点をうまく組み合わせることができるのでしょうか。

  医療の場や家族におけるケアを改善強化するためにどのように文化の視点を取り入れることができかについて考えていきたいと思います。

 そのためには、まず一点目として医学部生、看護学部生、作業療法士理学療法士ソーシャルワーカーを目指す学生の初年次教育として、重度の障害を生きる患者の家族のなかでケアの体験を一週間ほど実践することが重要です。

 その実践では、食事や入浴、着衣や排泄、移動の介助も体験することになります。ヨーロッパの多くの大学、とくにライデン大学ではこのような体験学習を取り入れています。しかし、米国の大学ではまだ少数です。

  この体験学習は、重度の障害を生きる患者とその家族や友人が当の患者にどのように接してケアをしているのかを学んでもらうのです。

 

 二点目として重要なのは、将来患者に関わる仕事をする学生たちに、臨床が始まる前にミニ・エスノグラフィーを書いてもらうことです。

 家族やネットワークの文脈のなかに生きる患者を実際に目で見て、家族はどんな感じか、ネットワークの問題点を何かなど患者の体験を観察し記述するものです。

  これをミニ・エスノグラフィーと言います。