今日は、行事がふたつ重なり、小さな法人には(笑)大変でした。休みなのに出て来てくれた職員さんもおられて、本当に感謝しています。
自分は、さわらび会さんの文化祭にバンドで出させて頂きました。
親御さんや身内の方がおられると、みなさんちょっとお利口さんになってしまうので(笑)、いつもの迫力がなかったですが、それでも、いつもの彼ら彼女らを知らない方々には、驚きだったようで、ステージを降りたら、凄いね!って言われていた方も居られました。いつもはもっと凄いですので、練習を見に来て下さいね!
親分組は、市民館祭りへ!毎日、頭の中が学祭人間なので(笑)、飛んでいきました.......。賑やかだったようですね。田原は、数か所市民館祭りがあり、病院祭りもあった様ですが、それぞれ賑やかだったと聞きました。
オグデンのつもりが、シュターナーでしたね......。見ることと、見られることでしたね!こころの退避も欲しいのですが、価格が自分にはえらいことになっています......。バリントも、一番読みたい本は、凄いことに......。
オグデンの本を確認しようと、うたたね文庫に行ったら、オグデンの本がなくなっていました。誰かが借りてくれたのでしょうか?そうだったら嬉しいですね!
耐える事が難しい......。だけど、ハードルを低くして、回数は多くなりますが、時間はかかりますが、耐えやすいようにして、ワークスルーできるようにするのも、自分たちの仕事のように感じています。簡単ではない事も、真剣に現場で向き合っておられる方々には理解できると思われますが、難しいこそやりがいがあると思います。
下記に出て来る、ジョセフ先生も、ローゼンフェルド先生も読ませて頂きましたが、初学者にも分かり易いように記述されていたので、勉強になりました。
~受容的で依存的になることへの不安を克服するために利用される基本的な防衛は、分裂、投影同一視、取り入れの組み合わせからなり(Joseph,B.1959)、これらが結合され、複雑な自己愛組織を創りだしていることが多い(Rosenfeld,H.A.1964,1971a)。
この組織により患者は分離と違いを否認することができ、したがって羨望を避けることができる。もし対象の良さが理想化され、かつ所有されればもはや羨望を感じるものはない。
なぜならば、すべての良いものは患者によって所有され、コントロールされていると感じるからである。
私は、このような自己愛組織がある種の〈隠れ家〉、あるいは〈こころの退避所〉を提供すると論じた(Steiner,J.1933)。
ここでは自己と対象は融合し、その多くは一方が他方を内部に包み込んでしまい、そのために十分距離がとれず各々をきちんと見渡すことができない。
この組織は対象関係に含まれる現実に対し防衛として働く。なぜならこの現実は分離した対象からなり、それぞれが個々の性質を持っているからである。
もし自己愛組織が崩壊すると、分離することは安全な場所から突然、残酷に追放されると感じる体験となる。
しかしもし患者が進歩し、自発的にこころの退避所から外に出ようとし始めるなら、その結果として生じる分離は突然でも残酷でもなくなるが、やはり耐えることは難しい。
いずれの場合でも対象をよりはっきりと観察することができるようになる。もし患者が対象の良さに依存していることが明らかになると、羨望が再び現れるようになることもありうる。~