うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日も一日無事に終わりましたと、【これらの再定義は、日常的な臨床を、ミクロとマクロという遠近法を使用して眺め直すことを要請するものと言える。】

 

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 今日も楽しく一日が過ぎたこと、皆様に感謝しています。

 

 今日は、全職員とご家族の方々で新城の施設見学がありましたが、詳細はまだ自分には届いていないので、詳細が届き次第、アップさせて頂きますね。

 今日は夜勤と、料理当番!でした。予告通り(笑)(食材は前もって女性職員さんが買ってくれていました)すき焼きを作りました!11人前だったので大きな鍋でも足りず、二つ鍋を使いました。お肉は、固くならないように、食事の間際に火を通しました。生卵を使えないことをすっかり忘れていて、生卵で食べていい味付けにしてしまい(笑)、慌てて薄めましたが、美味しくはなかったでしょうが(笑)、不味くもなかったようでした。まずは一安心(笑)。腹痛を訴える方も、今は出ていません(笑)。写真を撮っておけばよかったと(笑)、後悔しています。

 

 自分では1冊目のクラインマンからの引用はこれで最後です。本当に勉強にもなり、考えさせられた本でした。現在の「病いの語り」も、後1章になり、今月中に読み終わりそうです。読書とギターは意地でも毎日続けています(笑)。

 

 ~クラインマンや中井の試みは、ある文化はそれぞれ「治療文化」=「ヘルスケア・システム」を有し、その下位文化として精神医学的治療文化があるとするもので、文字通り精神医学の再定義・再構築である。

 患いや治療や癒しは、専門職にすればその日常を構成する自明のものであるように見える。しかしそれは、より大きな社会的・文化的文脈に依存し、基礎づけられていて、そのなかで活動するわれわれは通常その存在に気づかないまま過ごしている。

 そしてその背後には、手当てされ、是認=受容された病いや治療を大きく定義づけ、作動させているものがあるということなのである。

 これらの再定義は、日常的な臨床を、ミクロとマクロという遠近法を使用して眺め直すことを要請するものと言える。