今日は、玄関側の改修の為に、少し危ない足場でしたが、作業が終わったら直ぐに撤収してくれていました。みなさんの心遣いに感謝しています。
今週も、多数決ですき屋さんに行きましたが、はるくんと、まりちゃんは鰻........。
リッチですね......。自分は並盛です......。写真を撮ろうと携帯を手に持って、前を向いたら、はるくんの鰻が既になくなっていました.......。
下記は、本当に大切なことだと思われますし、相談支援が、オーケストラの指揮者だなんて(笑)、偉そうに言うならば(笑)、ヘルパーしかやったことがないのに、偉そうに言われても、何も響くこともないし、どんな仕事でも慣れれば、誰でもできるし、それよりも、本当に現場を知っている方の言葉以上に(真剣に向き合われている方限定ですが)、何かを感じるものはないと思われます。他人のやっていることを見て知ったつもりでいるよりも、現場を生きた物として経験することが何よりも大事なことだと思います。著名な精神分析家や精神科医、臨床心理士は臨床を一番大事にしています。アーサー・クラインマンも、それを声を大にして言いたいのだと思いました!
第3部
第1章 ケアをすること
ケアの実践的な意味と医療におけるケアの再活性化
一、文化的アプローチ
われわれはいかにして、これらのケアと文化的視点をうまく組み合わせることができるのでしょうか。
医療の場や家族におけるケアを改善強化するためにどのように文化の視点を取り入れることができかについて考えていきたいと思います。
そのためには、まず一点目として医学部生、看護学部生、作業療法士、理学療法士、ソーシャルワーカーを目指す学生の初年次教育として、重度の障害を生きる患者の家族のなかでケアの体験を一週間ほど実践することが重要です。
その実践では、食事や入浴、着衣や排泄、移動の介助も体験することになります。ヨーロッパの多くの大学、とくにライデン大学ではこのような体験学習を取り入れています。しかし、米国の大学ではまだ少数です。
この体験学習は、重度の障害を生きる患者とその家族や友人が当の患者にどのように接してケアをしているのかを学んでもらうのです。〜
二点目として重要なのは、将来患者に関わる仕事をする学生たちに、臨床が始まる前にミニ・エスノグラフィーを書いてもらうことです。
家族やネットワークの文脈のなかに生きる患者を実際に目で見て、家族はどんな感じか、ネットワークの問題点を何かなど患者の体験を観察し記述するものです。
これをミニ・エスノグラフィーと言います。