うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ストレッチと、ハロウィンの飾りと、禁書扱いされていたサリヴァンの自伝的教科書 と、【乳児が尽きることのない、常に存在している乳房を求めるのは、決して食物を求めたり、リビドー的な願望だけに由来するのではない。】

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 昨夜の夜勤者が、夕食後ストレッチをしてくれたようですが、写真を写してくれた職員さんは、何の御儀式ですか?って聞かれたそうです(笑)。でも、輪になっているのを写真だけで見させて頂いている分には、そう見えてしまいますね(笑)。

 

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 近くのコンビニのハロウィンの飾りが半端なかったので、一度は入りたいと思っていましたが、今日行くことが出来ました。中に入ったら、もっと半端なかったです......。

 

 

 

 Amazonからの宣伝のメールに、サリヴァンの新書が出ていたので、サリヴァン違いかな?って、開いて見たら、H.S.サリヴァンの本でした。唯一の自著とのことですが、禁書だなんて凄い扱い方ですね......。サリヴァンはコマーシャルに踊らされるのが嫌いだったはずなので(多分....)、生きていたら怒っているのではないでしょうか?訳者が中井久夫先生でないのが残念ですが......。精神医学の本の売り上げが15位と言うのも驚きでした。このブログでは、これを見て購入されても、こちらにはマージンが入らないので(笑)、安心して覗いて下さいね!

 個人的には、もう少し時間が経ってからサリヴァンに戻ってみたいと思っていたので、もう少ししてから、購入するかしないか?考えます。

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精神病理学私記 単行本 – 2019/10/18

H・S・サリヴァン (著), 阿部大樹 (翻訳), 須貝秀平 (翻訳)

 

商品の説明

内容紹介

サリヴァン自身の性指向とアルコール耽溺を参照軸としつつ、 スキゾフレニア、パラノイア、そして同性愛を語る大著。 著者の死後も長く禁書扱いされながら、アメリカ精神医学に決定的な影響を与えた。 自ら設計した精神病棟との「訣別講演」からの二章を含む、生前唯一の著作。 詳細な訳注と、サリヴァンの生涯をまとめた「サリヴァン小史」を付録する。

出版社からのコメント

禁書扱いされていたサリヴァンの自伝的教科書 【目次】 イントロダクション 第1章 生物体とその環境は合わさって一つのものである 第2章 人格の発生と発展 第3章 生きることの困難 第4章 困難の年代記ーー乳児期と幼児期 第5章 児童期ーー就学と社会化 第6章 前青春期ーーギャングとチャム 第7章 男性青春期と同性愛 第8章 女性の青春期に関する断章 第9章 睡眠、夢、スキゾフレニア 第10章 人格および情況のタイプ論 第11章 いかに探索面接を進めるか 第12章 人類の福祉に向けて 訳者あとがきーーサリヴァン小史

 

登録情報

  フロイトやクラインが、オワコン扱いされていますが、参考になることだらけでは?と思っています。個人的に支援方法は、支援させて頂く方それぞれ違うので、その人の数だけあるし、同じ方でも変化があれば、その変化を感じ取って支援方法を構築し直さなければいけないし、その時には、オワコン扱いされている理論の方が、より応用しやすいと思います。現代のものは、決めつけが強すぎて、簡単にその理論や概念から多角的なパースペクティブを生み出しにくいと思われるからです。全部を否定しているわけではありませんので、誤解なきよう。

 

  ブリトンは、「不満を向けられた内在化された対象像は、悪い対象ではなく、むしろ、良い対象が悪くふるまっていると見なされる」と指摘している(2003)。分析状況ではあるが、鬱憤も希望も分析家に投影され、希望を満たして鬱憤を晴らすようプレッシャーをかけられる。
 この葛藤では、闘争は現実性と道徳性のあいだに生じる。なぜなら患者が正当な解決法と考えるものは、現実的な解決法と見られるものと葛藤を起こすからである。

 中心となる問題は、理想的な対象と、それが生み出す理想的な自己が失われる、ということではあるけど、理想的な対象が、不快な感情、とくに迫害感、失敗感、屈辱感、罪悪感などをすべて取り去ってくれることを強く求めるのは、乳房に対する相反の関係をなす重要に要素である。

 クラインは次のように記している(1957)。

 

 乳児が尽きることのない、常に存在している乳房を求めるのは、決して食物を求めたり、リビドー的な願望だけに由来するのではない。なぜなら、最も早期の段階においてさえ、母親の変わらない愛情の証しを求めるのは、根本的には不安に根ざしている。

 生と死の欲動の闘争と、それにより自己と対象が、破壊的衝動によって無と化してしまう恐れは、日常の母親に対する最初の関係をなす根本要因である。

 なぜならば、乳児の願望が意味するのは、乳房によって、そしてやがて母親によって、これらの破壊的衝動と迫害的不安の苦痛をとり除いてもらわなければならない、ということだからである。(Klein1957,pp.179-180)