うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

やっぱり音楽と、【分析家が投影されたものの不快な性質を受け入れ、理解し、惹き起こされる感情に耐えられると、良い要素が現れるようになる。】

  

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 うまく言葉を操れない自分は、やっぱり音楽に頼ってしまいます。言語以前の世界に自分は生きているのかも知れませんね。自分のアイデンティティは音楽かも知れません。最近は、皆さんのリクエストに応えさせて頂いていますが、自分の中にしっかりとメロディがないと、ギターにのせられないのも、身に染みて感じています。

 

 今日・明日はお休みを頂いていますが、事務仕事が山積していて(笑)、休みどころではありません......。T-Boneを聴きながら、パソコンに向かっています。

 

 下記は、参考になります。支援者も人間なので、受け止められない時もありますが、他の方に一時代わって頂いたり、他の人の意見をもらったりで、なんとか凌げるときもあります。

 ~私が示しているのは、患者と分析家のどちらにとっての問題も、ある部分は[相手の]良さを知ることで生じるということである。

 良さを知ることで愛情と欲望が惹き起こされ、必ず違いに気づくようになるからである。自己と対象の間の違いを知ることで、2人のメンバーのうち良いものを多く持っているものに羨望が生じる。

 良さが少ないほうのメンバーは、欠けているものに気づき、屈辱を受けていると感じさせられ、その結果、自分に利用できる良いものを役立てることができなくなる。

 患者がコンテインされ、理解されたと感じるためには、分析家は、患者が自分に良いものが欠けていると感じると屈辱を感じやすいということ、そして仮に良いものを獲得するとなると、羨望されると感じる傾向があることに気づいている必要がある。

  分析家の患者の持つこの制約を理解することができると、同様の困難によって、分析家も患者に良いものを見出だすことができなくなることがある、ということにも気づきやすくなる。
 患者が悪い要素ばかり強調し、良い面を隠すこともときに起こることがある。

 分析家が投影されたものの不快な性質を受け入れ、理解し、惹き起こされる感情に耐えられると、良い要素が現れるようになる。

 もし投影があまりにも不快で、またもし患者の成長によって分析家自身に羨望が惹き起こされると、分析家自体がつながりを攻撃し、患者を受け入れることができなくなってしまうこともあるのである。