100年後の神様?と、お祭り男?と、【患者は「自分は不当に扱われた犠牲者だ」と感じると、不安や罪悪感から解放される。】
大阪の展示に合わせて作っているものがあり、ついでに近くにあったもので遊んでみました(笑)。風力発電の100年後と、神様の100年後(笑)。作っているものは、本気です(笑)。ちょっと大きいですが。
お祭りが近くて、それぞれの町内会さんで練習をされているせいか?うたたねもお祭りモードになっていました(笑)。いのうえっちの『ハイサイおじさん』のベルは、よそ見しながらでも大丈夫で、昨日は、自分でベルを持って来ておられましたので、慌ててギターを弾かせて頂きました!一日遅れの更新になってしまっているこの頃です......。
関東の方でインフルエンザが出たとの事!猛暑の次はパンデミックにならなければいいですね.....。あまりにも暑すぎて、皆さん体力が落ちていると思われるので、ご自愛下さいね!
もう少しでスタイナーからの引用が終わりますが、下記は、いじめや虐待・パワハラ等の根本的な要因ではないか?と思いました。ただ単に思っただけではなくて、『エディプス状況における』というところに引っかかりました。時代背景などを鑑みても、自分の周囲を見渡しても、それが良いか悪いかではなく、きちんとエディプス期を越えられる状況が乏しいので、また違う形の期が出て来るのでしょうが、時代が型より薄着の左派のような感じになってきていないか?と、思うのは自分だけでしょうか?自分はどちらでもないし、どちらに肩入れする気もありません。自分の意見を淡々と述べれる機会があればいいだけです。
ネット時代が発達すればするほど、『 ある際立った特徴は、権利や正当性の感覚、義務感、そして「大義に貢献している」という感覚である。憎しみに取り憑かれているように見える個人でさえ、復讐を追及するときにはこの感覚を持っている。』感じになって来ていないでしょうか? 表現の自由も、左派ならOKで右派ならNGってアートを少しかじらせて頂いている身には解せませんね........。
診断で、敢て病名をつけるというのは、『 患者は「自分は不当に扱われた犠牲者だ」と感じると、不安や罪悪感から解放される。』からでしょうか?
現場から離れてしまっている感がありますが、現場でも心しておきたいことですね。
第7章 エディプス状況における復讐と鬱憤
~まず私は復讐に含まれるいくつかの特徴を考察し、その他の状況で生じる敵意や破壊性と区別できるようにしたい。
ある際立った特徴は、権利や正当性の感覚、義務感、そして「大義に貢献している」という感覚である。憎しみに取り憑かれているように見える個人でさえ、復讐を追及するときにはこの感覚を持っている。
患者は「自分は不当に扱われた犠牲者だ」と感じると、不安や罪悪感から解放される。
スピリウスの用語で言えば、患者は〈改俊することがなく〉自分の憎しみをさまざまに正当化する。
実際、「憎しみこそ自分が荷なうべき義務だ」と感じているようにみなせることも多いのである。
復讐の追及が、正義の追及に端を発しているのをたどることができることもあるが、しかしそれは飽くことを知らない悪性の破壊性にとって代わられている、と思われる。~