うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

ギターのチューニングと、【つまるところ患者が私たちにもっとも届いてもらいたいところに私たちが届くことによってこそ、その分析体験の患者にとっての価値が決まっていくでしょう。】

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 先日、ギターを弾いていたら、5弦のポジションが上がって行くにつれて、ピッチが下がって行くことに気づき、オクターブを朝、合わせました。最近横着して、クリップチューナーで解放弦だけ合わせることが多かったので反省しています。解放弦と12フレットを押えて合わせるように以前までしていましたので(笑)気をつけます。

 

 今日は遅番なので午前中に用事を済ませています(笑)。ギターの弦を張り替えたり、来年大阪の博物館での展示について用意したり。給与計算したり、頭がついていきません(笑)。

 

 

 下記は、2回目ですが、松木先生を読み終えたら、ケースメント的な感じがして、読み返したくなりました。このシリーズの3冊目ですが、1冊目、2冊目は定価で購入できましたが、2冊目は高価になってしまっています.....。

 利用者さん中心って、なにも利用者さんに迎合したり、寄り添うだけではないとおもいっています。まあ、それは分かり易くて簡単ですが、お互いに成長しませんね......。

 共感しながらも、その方にとって、近い将来どうあるべきか?

例えば、知的や精神に障がいをお持ちで、内科的な病気を持っておられる場合、悪化したり手術が必要になった時に、入院できる病院を探すのに苦労します。なので、そこまでに至らない時に、例えば睡眠障害があるのなら、精神科がある総合病院に通院して総合的に見て頂くということを、言い方は悪いですが、企業的に言えば、戦略を練って紹介状を書いて頂いて受診し通院しておくと、何かあった時にそんなに困らなくても受け入れてくれますし。ご両親が恒例の場合、色んなサービスはありますが、ご自身で通院される場合、ワンストップの方が何かと便利ですね。日々そんなことを考えながらの支援の上に下記の様なこともきちんと考えながら、現場を皆さんやっているので、相談支援だけが何も偉い(笑)わけではないですね(笑)。現場で働く人間が、どんどんスキルアップして、馬鹿にされないようにするのが自分の仕事の一つと生きている間は頑張るつもりです。本当に凄い方は、現場の大変さを理解してくれているのも知って上での発言です。

 

あやまちから学ぶ
精神分析心理療法での教義を超えて
パトリック・ケースメント
浅野元志・川野由子・日下紀子・永松優一 訳
松木邦裕監訳

日本の皆様へ
 私たち分析家は、ひとたび分析家としての自信を抱き始めると、ときとしてあやまちをおかしたり、患者を誤解してしまいやすくなるようになるようだと私は気づいてきたした。それは、自分は「知っているのだ」と思うようになるからなのです。

 分析家としての私たちの仕事に自信を見出だすまったく異なるなるふたつの方法があります。ひとつの方法は、私たちの仕事への教義的なアプローチを学ぶことです。それは確かさの感覚を与えてくれますし、とても迅速に、力量あるという錯覚を私たちにもたらします。しかし、このあり方が、私たちが間違ってしまっていたり誤解してしまっているときに、患者がしばしば出してくる微妙なサインにオープンでなくしてしまいやすいのです。

 そうなると私たちは、いかなる理論であろうとも知識をもっと与えくれるその理論に備わっている教条的教義から私たちが採った仮説を患者に押しつける臨床スタイルを身に付けていきます。そこでは患者は自分について仮定されているものに服従するようにとのプレッシャーを感じるでしょう。

 

 ~一方、私たちが仕事において発見していくまったく異なる自信があります。それによるなら、私たちは、患者に耳を傾けることを身につけますし、ひとつのセッションの瞬時瞬時に私たちを患者がどのように経験しているかをしばしば伝えてくる無意識のヒントに耳を傾けられるようになります。

 とりわけ、私たちがまちがっていたり誤解しているときにそうできるのです。

 つまるところ患者が私たちにもっとも届いてもらいたいところに私たちが届くことによってこそ、その分析体験の患者にとっての価値が決まっていくでしょう。

 このことゆえに、もっぱら理論や別の臨床体験に基づいて見通しを予期していたときに、しばしば予想していた道筋とはまったくちがった旅に私たちは連れ出されるのです。