うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日の散歩と、踊り収めと、アレクサンダーテクニークと、視床ぐるぐると、西村経済再生相「感染拡大続けば緊急事態宣言も視野に入る」と、東京都 新型コロナ 過去最多の1337人の感染確認 初の1000人超と、【「内面的共感、すなわち、人間的自我のいっさいを姿のなかへすみずみまでさわりながら移していく触覚、これのみが美の教師であり、美を生み出す方法なのである。」】


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 写真は昨日の様です。立派な神社ですね!

来年は皆さんが良い年になるように!

 ドラッガーは、祈りは行動の代わりにはならないと手厳しいですが(笑)、今は祈るしかなく、もう神様でも今後の展開は分からない域まで来ているのでは?とおもってしまいます.......。

 

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 今日は大晦日!個人的には同じ日常ですので特に感慨深い感じもなく過ぎていきます。いのうえっちは踊り収めをされていました!

 このブログもこれで今年は終わります。

 

 帰宅したら、アレクサンダーテクニークの師匠から封書が届いていました!編集に関わられたとのことでした。素敵なパンフレットでした!

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  メールでお礼と、視床ぐるぐるを始めて外に向け発信しました!

アレクサンダーテクニークとアイボディとEMDRを混ぜたようなもので(勝手にアレンジしましたw)、師匠になら理解していけるかと思いました。

 

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 宣言出した方が良いかもですね........。


 

 手の倫理に戻りました。

中々難しい文章ですね.......。自我と言うのは、本当の自分ではなく、超自我(環境)から影響を受けたものとイドとの妥協点?だとしたら、下記の美を生みだすものも、その妥協点なのでしょうか?自分のことが一番わからない、知らないのが自分でもあります。

内部にはいりこむ感覚
 〜ルダーは、さわる手に対しては対象が自ら語りだす、と言います。「行動する肢体の形はつねに語っている、『おれはここにいるぞ。おれは活動しているんだぞ』と」。
 『おれは活動しているんだぞ』と語るカラダ。ここで重要なのは、さわる手に対しては(1)たが自ら語りだすということ、そしてこの語りにおいて、(2)動きのレベルで対象がとらえられていることです。
(1)は、先に確認した「触覚はさわり方しだい」という触覚の特徴に通ずる点でどのようにさわるかによって、対象は異なる性質を見せる。こちらのさわるというアクションに応答するかのように、対象が、それまで見えていなかった性質について語り出す。

  ヘルダーはさわり方の違いについては論じていませんが、さわる手の動きと対象の語りの相関については「内面的共感」という言葉で語っています。面的共感、すなわち、人間的自我のいっさいを姿のなかへすみずみまでさわりながら移していく触覚、これのみが美の教師であり、美を生み出す方法なのである。」
(2)については、先の思考実験のくだりで、必ずしも文字通りの運動ではなく、何かをしようとする衝動や感情の気配、あるいは数学でいうベクトルのようなものが想定されていたことが興味深い点です。

 い」のようなもの、また具体的な四肢の運動や表情としては現れていないけれど、そこにつながる予感の部分までをもとらえるのが手だとヘルダーは言うのです。