うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、彦坂先生のストレッチ教室と、首根っ子の解放と、【 奇怪な対象の病的な形成についてのビオンの理論は、すべての内的対象の形成について重要な洞察を与えるものであった。】

 

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 今日は、休みでしたが、名古屋行をキャンセルしたので、皆さんとすろーじゃむの湯に行きました!お約束のたくちゃんシャワーと、今日は、いのうえっちが暴走していました.........。皆さんの関係性が、日中の作業所とは逆の立場になっています。



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 女子は、ドライブとすろーじゃむ本体で過ごされましたが、まりちゃんが何を思ったのか?落ち葉の掃除をしてくれていました。ありがとうございました!

 リエさんは、SMAPが見たいとのことで、見ておられました。

 

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 今夜は、彦坂先生のストレッチ教室があった模様です。遅番の主任さんが写メを送ってくれました。

 

 

 本当は、アレクサンダー・テクニークの予定でしたが、名古屋が大変なことになっているので、周囲からの反対もあり、キャンセルしました。指導していただくと本当に楽になるので、行きたかったですが、残念でした.......。名古屋の方々も、大変ですね。本当に早く終息して欲しいです!

 下記は、日本にアレクサンダー・テクニークを紹介したと言っても過言ではない、片桐先生のサイトです。短い言葉ですが、一言でアレクサンダー・テクニークを表現すると、こんな感じになるのでは?と、思われます。

yuzurukatagiri.net

 

 下記は、オグデンに戻りましたが、内的対象の変遷のような感じですね。ずっと読んで頂いておられる方には、下部組織が理解できると思われますが、急にここだけ読まれても、難しいですね。

 『彼が思い描いたのはこころが部分へと防衛的に分割されることであった。それらの部分にはこころの活動的下部組織が含まれ、そのときその下部組織は、自分自身を「もの」になってしまったと体験する。』「もの」になってしまったというのは、結構、衝撃的でしたが、精神病について考えるなら、本当にそういう状態なのだと、理解できなくもないですね。これもまた、難しい解釈ですが.......。

 

内的対象についての改訂理論
 ~ラニー・クラインは、内的対象と関係する分割-排除された無意識的な自我側面からなる内的対象関係をめぐって組織化された、内的対象世界の概念をはじめてうちたてた。

  しかし、彼女の理論では、内的対象の理論的位置づけについて満足のゆく定式化がなされなかった。つまり、内的対象は無意識的幻想として考えられると同時に、思考し、感じ、知覚し、反応する能力のあるものとしても考えられていた。

  ェアバンはその問題を明確化した。彼は、対象も対象表象も内在化されはしない、内在化されるものは対象と関係している自我の分割-排除された部分からなる対象関係であって、それ自体少なくとも部分的には力動的構造である、と述べた。

  の自我の分割-排除された側面は、心理的活動機関として機能する能力開発保持はしているが、発達しつつある人格の他の側面から相対的に孤立しているため、原始的な様式で機能する。

 こうしてフェアバンは、内的対象を力動的構造であると明示したのだが、内的対象(おそらくもともとは思考であったもの)がその力動性をどのように達成するのかは説明しなかった。

  ころで、ウィニコットは自我の分割の概念を拡張し、自己の体験の下位区分を含めるようにした。しかし、彼は内的対象の概念の明確化には貢献しなかった。

  怪な対象の病的な形成についてのビオンの理論は、すべての内的対象の形成について重要な洞察を与えるものであった。

 が思い描いたのはこころが部分へと防衛的に分割されることであった。それらの部分にはこころの活動的下部組織が含まれ、そのときその下部組織は、自分自身を「もの」になってしまったと体験する。

 のように、奇怪な対象の形成は、対象と融合したり対象のとりこになったりする感覚を含む特異的な対象関係的幻想を、こころの下部組織が営む過程なのである。