うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

おせち料理と、初詣と、読書と、新しい国連作れよ!と、【サリヴァンとモラル・トリートメント】

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 管理者さん等が、おせち料理を持ち合ってくれ、豪華なおせちが出来たようです!

今日は夜勤ですが、残っていないでしょうね(笑)!

 

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 初詣にも行ってくれたとのことで、感謝です! 

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 個人的には、ほぼ人気のない神社に行ってきました。

 

 

 ホンマに国連意味ないな!新しい国連作れよ!!!

 

  個人的にはいつもと同じ朝を迎え、ファミマの駐車場で本を読みました。『その日暮らし」の人類学は読み終え、ロジスティクス4.0とチョンキンマンションのボスは知っている、を並行して読ませて頂いていて、方や労働集約型で、一方は資本集約型(笑)!でも、これからはこの両極にならざるを得ないと思われます。

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 今回は元日なので?5年前?6年前?のブログからの再掲示です。

サリヴァンいちばん信頼のおける治療者は日々の糧のために働く治療者だと言っている。それは福祉の現場でも同じことが言えますね。小川さやかさんのように参与しながらでなければ、お互いに何も得ることが出来ないし、短い期間では参与もいい加減なままで終わってしまいます。やはりケアには労働集約型にしか活路が、方法がない気がします。でも、斎藤幸平氏らが言うところの市民営みたいにも、初期のモラルトリートメントは感じました。

サリヴァンとモラル・トリートメント

 

サリヴァンアメリカの精神科医をやっと読み終え、図書館に行ったら、休館日でした.....。
 沢山、学ばせて頂きました。

が戒めるのは、治療者を聖職とするような思い上がりである。いちばん信頼のおける治療者は日々の糧のために働く治療者だと言っている。 一方、依頼者の最初のやる気いかんは重要でない。消極的な気持ちと積極的な気持ちとが混在していて当然である。面接の目的は、依頼者の暗在性の対人関係パターンの解明にあるのだが、面接は患者がそれによって得をしているという感情がないと成功しない。面接者は世俗的な意味での専門家への世間の期待を無視せず、これに応えるようでなければならない。」
の問題は、私たち精神科医が困惑して回避したい問題、患者を置き去りにしてしてでもやり過ごしたくなる、いやーな臨床的問題が多い。それに対して、彼はおのれの経験を頭の中からひっぱり出して患者の安全感を第一に置きつつ明快な言葉で語る。サリヴァンは理論を盾としてその向こう側で寝そべらない、苛烈なまでにリアリストの臨床家であり、そして卓越した臨床教育家であった。」

 現在の精神医学は症状によって診断し、その症状の薬物による撲滅を第一とする。統合失調症の診断を狭くしたのは病名にからむスティグマを考慮したといっても、それはスティグマを負う人数を減らしたにすぎない。患者をまず症状によって評価し分類し特徴づけることは、患者をそのもっとも影の部分によって評価することである。これは患者の自己評価を落とし、自己尊敬を空洞化し、陰に陽に慢性状態成立に貢献しているであろう。

れに対してまず人柄を問うサリヴァンの方法は、モラル・トリートメントの伝統に立つものである。有効な薬物があらわれたことは、この伝統を不要にすることではない。むしろ、ますますそれが要請される事態である。サリヴァンの精神療法論は、こうしてはいけないということが強調されている」。


『モラル・トリートメント』は、恥ずかしながら自分は知らなかったので、色々調べさせていただきましたら、もっと勉強したくなったので、中井久夫先生の本を含めて、いくつか探し出しました。
図書館にあるかどうか分かりませんが、なければ親分に買ってもらおうと思って居ます。

国において精神医学は、伝統的に、宗教的マイノリティ、特に長老教会に拠るスコットランド(レインはスコットランド人で長老教会の家庭に育った)およびフレンド協会(いわゆるクエーカー教徒)の担うものであった。産業革命による都市生活が精神病の増加に貢献しているとするクエーカー教徒たちが自ら作ったヨーク退息所で始めたモーラル・トリートメント(人間的―または社会的―治療)は、一九世紀前半におけるフランス、米国、ドイツの精神病院の治療原理となった

ェーカー英米において大きな力を持つのは精神医療の世界である。特に18世紀後半の英国で開放的・人道的な精神医療を開始したのはクェーカー教徒ウィリアム・テュークである。…19世紀前半には宗派を問わず、アメリカ、イギリス、フランスの精神病院の治療原理となる。それが「モラル・トリートメント」(社会的治療)である。
 
ラル・トリートメントが19世紀後半をおおう欧米の不況によって消滅しても、英米の精神病院看護士(男性看護師)の8,9割はクェーカーでありつづけた。最初のモラール・トリートメントをおこなう精神病院がアメリカで開設されたのは1817年であった。良好な結果を生み出し、退院する患者が増えていった。

ラール・トリートメントは原則小規模で多くても250人以下で、自然に触れる機会があり、患者は花壇の手入れをし、園芸にいそしむことができた。職員との人間関係は温かく、友好的で、職員は共に食事をして係わるのが普通であった。日中は忙しく活動しているので、狂った考えをしなくてすむようになっていた。講演会も音楽会も企画され、レクリエーションや教育の機会が提供されていた。こうした施設の施設長は医師ではなかった。このような施設で患者の50%以上が改善して退院するようになっていた。施設によっては60%、80%がよくなって退院をしていたとの報告もあった。 

 1844年アメリカでこのような施設の運営を規制する法律が通過して、施設の長は医師でなければならなくなった。このときからそれまで有効な治療を施していた施設が悪化の一途を辿ることになる。アヘンやモルヒネが治療薬として使われるようになり、薬物による化学的な拘束がやがては身体的拘束をも受け入れられる土壌を作って行った。