うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

大家さん!と、右腕切断、奇跡のソロギタリスト、アンドレス・ゴドイの人生とアドバイス【Interview with Andres Godoy】と、【この成熟段階までくれば、いくらイノベーションを起こして生産性を高め、供給を増やしても、それに見合うだけの総需要の増加がみられないのである。簡単にいえば、消費が伸びないのである。】

f:id:ka-gu:20200808151518j:plain

 大家さんが、ケーブルテレビですが出演されます!大家さんのお兄さんは、地元では著名な画家さんのようです!

 

 下記は、今朝読書に疲れて(笑)、ふと音楽が聴きたくなってYouTubeを開いたら、いきなり出てきて、見たら素敵な内容でしたのでアップさせて頂きました。ご両人とも個人的に初めて見させて頂きました。世の中には上には上がいますね!コメント欄も凄かったです。自分の能力のなさを嘆くしかありません......。


 

 下記は、先日職員さんから欲しいと言われていた資料を探していたら見つけて読み返したものです。大学院に入る前に見ていたものですが、経営の勉強を進めているので、前よりも頭に入りました!次回も続きです。そちらの方が本当は見て頂きたい。

成長経済から持続的社会へ

佐伯啓思(京都大学こころの未来研究センター特任教授)

1,経済成長の終焉

  今日、経済成長はもっとも重要な価値となっている。とりわけ日本では、戦後の復興から始まり、1960年代の「奇跡の成長」をへて、80年代のバブルへとひたすら経済成長を目指し、また実現してきた。その成功体験ゆえにか、21世紀に入った今日でも「経済成長至上主義」から抜け出ることができない。ところが現実を見ると、バブル崩壊後の90年代以降、経済成長率は0~1%という極めて低い水準で推移している。つまり、われわれの頭の中にある「期待」とわれわれが生きている「現実」の間に大きなギャップがある。

 こで、何とか現実を変えなければというわけで、次々とイノベーションが引き起こされ、また強い期待がかけられる。90年代のIT革命から始まって、今日では、AI、ロボット、生命科学、IOTなどにおけるイノベーションこそが成長を可能とする、とされる。

 かし、これらの新手のイノベーションが経済成長を可能とするという理由はどこにもない。一般的にいえば、経済成長率は、労働人口の増加率と労働生産性の増加率によって決定される。今日の日本では、労働人口の増加率はマイナスであり、それゆえ経済成長の実現のためには、労働生産性の増加が必要となる。

 ところで労働生産性とは何かといえば、GDP(国内総生産)を総労働時間(労働人口と労働時間を合わせたもの)で割った数値である。ということは、GDPの値が変化せずに、総労働時間が減少すれば労働生産性は上昇することになる。そこで、AIやロボットの大規模な導入によって無駄な労働時間がはぶかれ、労働時間が短くなれば総労働時間は短くなるので労働生産性は上昇することになる。

 ころがそれでGDPが増加するとは限らない。なぜなら、GDPは結局のところ消費需要が増加しなければ増加しないからだ。そして、総労働時間が短くなれば、労働者の所得が増加するとは期待できず、所得が増えなければ消費も増えないであろう。ということは、AIやロボットの導入によってGDPが増加するといえば、おそらくそうはならないであろう。イノベーションを起こせば経済成長を実現できるという論理は必ずしも成り立たないのである。

 少し面倒な理屈を述べたが、ここで言いたいことは、今日の先進国ではもはや経済成長を至上の価値とするわけにはいかないだろう、ということである。とりわけ人口減少・高齢化社会へと突入した日本においてはなおさらそうである。〜

 

 〜そらく、この傾向的低下を逆転するのはきわめて困難であろう。そして、この傾向的低下をもたらしている最大の要因はイノベーションの不足や市場競争の欠如ではなく、戦後に一貫して成長してきた先進国にあっては、経済的な富(物的な豊かさ)が相当な水準にまで達した、つまり戦後の工業社会という意味では「成熟段階」を迎えている、という点に求めるべきであろう。

の成熟段階までくれば、いくらイノベーションを起こして生産性を高め、供給を増やしても、それに見合うだけの総需要の増加がみられないのである。簡単にいえば、消費が伸びないのである。そのひとつの要因は、所得が増加しないからであるが、もうひとつの要因は、多くの人々がもはや物的な富の増加に強い関心をもたず、「幸福」の基準を別のところに求めるようになっているからであろう。

 この「幸福観念」の変化に私も関心をもつのだが、その前に、改めてひとつのことを指摘しておきたい。