うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

【速報】静岡県浜松市で日本歴代最高に並ぶ41.1℃を観測と、コロナ後を拓く思想。宇沢弘文と中村哲から継承すべきもの<佐々木実氏>と、便利で快適な生活の裏で忍び寄る「21世紀の全体主義」と、それらに抗う術とは? 哲学者・中島隆博氏に聞くと、【心的構造は、内的、外的な対象関係が内在化されて表象されたものだからである。】

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 今日は夜勤ですが、日中の方が沢山仕事してくれたので、楽な夜勤になりました。看護師さんが、足の指先が、角質化した方を皮膚科に連れて行ってくれ、何回分かの薬をつけたガーゼを作ってくれました。ゆうちゃんも特技でお手伝いしてくれました。



 今日も朝から暑かったですね......。自分の受診で8時に出るときには、車の温度計が38℃になっていました.....。


 ちょうど読ませて頂いた本の著者が書いた記事でした。お二人の交流は本にも出てましたね。

たとえば、フランスの経済学者ジャック・アタリ氏は日経新聞(4月9日付)のインタビューにこう答えています。「危機が示したのは、命を守る分野の経済価値の高さだ。健康、食品、衛星、デジタル、物流、クリーンエネルギー、教育、文化、研究などが該当する。これらを合計すると国内総生産(GDP)の5〜6割を占めるが、危機を機に割合を高めるべきだ」「経済の非常事態は長く続く。これらの分野を犠牲にした企業の救済策を作るべきではない。そして、企業はこれらと関係のある事業を探していかなければならない」は、大事なことですね....


 ネット上に公開している自分のプライベートなものは、多くは他愛のないものです。何を食べたとか、何を着たとか、どこに行ったとかですね。しかし、その背後にあるのは強烈な承認欲求です。誰かに自分のことを認めてもらいたいがために、SNSで「いいね」を集めて、自分が何者かを確認したいわけです。これはまるで、他人を通じてではありますが、自分で自分をすみずみまで監視しているかのようです。自分のことが気になって仕方がないために、SNSを通じて自分自身を管理し、支配しようとしていると言ってもいいかもしれません。は、北山修先生が、マイケル・ジャクソンについて書かれていたようなことですね。リハーサルの録画を何度もチェックして完璧を目指す姿を書いてました。

 早くコロナの終息を願います!

 

 今回は、昨日の続きで、館先生の引用ですが、野中先生の本の内容と似ている(現象学・物語り戦略と)内容ですね。心理学が脳を触らない時代が嘘のようにまずは脳から的になっている心理学のように、心理学を触らない経済学が、否が応でも、心理学・臨床心理学を触らないといけない時代になっている気がするのは自分だけでしょうか?

 序章

精神分析とはどのようなものか

 ころで、精神分析というものは、元々は話された中から何かを、すなわち隠された連鎖を乱していくという作業だった。このように書くと意外と思われるかもしれない。というのは、そもそも精神分析とは、「無意識を意識化する」、つまり抑圧を取り除いていくということが根本原則である、と私たちは教わってきたのである。

 際、『ヒステリー研究』では、ブロイエルBreuer,J.の貯留ヒステリーに対して、フロイトは防衛ヒステリーの概念を提唱しており、そこでは私たちは「したい」という願望を「すべきである」という規範に従って諦めなければならず、どうせ諦めなければならないのなら、それをなかったことにしてしまおうというのが抑圧の基本的なやり方だと知っているからである。

 

 ~まり、仮に抑圧を防衛の中心的なメカニズムと位置付けたところで、精神分析家はやはり人間全体をみなければならず、そういうことから精神分析は性格の分析へと転換していったのであるが、分析の作業はますます複雑化していくことになった。

 我、超自我エスより構成される心的構造論は、そういった複雑な心のメカニズムに対応するのが一つの存在意義と言うことが出来るだろう。

 圧の理論や心的構造論は、心のメカニズムとしてどのように構成されているのかという、一者心理学的な見方である。しかし、そこで実際に臨床的に機能しているのは、分析家と被分析家の関係性という対象関係論であった。

 いうのは、抑圧にしても誰が何のために抑圧するのかを考えると、そこには関係性が入り込んでくるわけであるし、心的構造は、内的、外的な対象関係が内在化されて表象されたものだからである。

 かし、その点は、フロイト自身あまり意識することは出来なかった。というのは、フロイトは自然科学者だったので、その後転移に気づくまでは(気づいてからも、一者心理学的理解の下に、転移は分析を邪魔するものと位置付けられているのだが)、そのような関係性の文脈には、理論的にほとんど盲目的だったと言えるのである。~