自分の作業机が、勉強机になっています(笑)。この日は、統計の講義でエクセルを使うので、職員用のノートパソコンを借りて来ました。仕事用のはしっかりしたらパソコンで、大学院用のはやすいものなので、職員さん達が羨ましい(笑)。でも、セキュリティソフトの相性か?安物の方がフリーズしませんでした(笑)。
8月に大学院の講義が対面であるので、職員に聞いたら止めてほしいと言われ、東京在住の院生さんにお聞きしたら、ニュースで言われるほど、こちらは神経質になっておらず、もう通常の生活に戻っていて、検査数が増えてので感染者数が増えただけとのことでした。もう一度皆さんに聞いてみます。戦争の映像を見ているようで、きっと皆さん実感が持てずに(自分もそうですが)、ただ恐れているだけかもしれませんね。気を緩める気はありませんが、地元ではまだ表立った感染者がいなくて、周囲を説得するのは難しそうですね....。
美術手帳の過去記事ですが、魂はあらかじめ存在するのではなく、自覚してはじめて存在する。は、理解できると思われます。何でも諦めたらそこで終わりだし、途中で諦めざるおえないときには、さっさと諦めることも必要ですが、少しでも可能性が見えるなら続けるべきだと思われます。
いきなり、ケースメントに入っていて、自分もびっくり(笑)ですが、もう1年前に準備していたものなので、何を感じていたのか定かではありませんが、読ませて頂いて、今だから感じるものもあります。ステレオタイプにならないという意味でもあり、自分だけが納得しても、相手には届かないということを示唆してくれているとも、今は感じました。
パドック・ケースメント
~私たちは、試行錯誤しながら学んでいくのでしょう。けれどもあらゆる分析的な旅を通して、患者はこの努力での不可欠なパートナーと見られましょう。
ときを経て私たちは分析家として、私たちの技術への思い込みではなく、そのプロセスにおかれる信頼に基づいて、力量を持っているとのまったくちがった感覚に行き着くでしょう。
私が思うには、これは教条的な教義の限界を超えたところにあるものなのです。そしてそれが、確立された理論や実践というよくなじんでいる水平線の彼方に私たちを導いてくれるでしょう。
ここに、私が理解するにいたった精神分析の神秘性ややりがいのある課題があるのです。~