うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

金曜日の散歩と山本二三展と、日本で「貧乏な家の子」がイジメられない理由と、【クラインは簡潔に、「……患者は必ず、分析家に対して再体験されるかたちで葛藤と不安に向き合うようになる、それは過去に利用したのと同じ方法である」と述べている(Klein,M.1952a,p.437)。】

 

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  昨日は、金曜日の散歩に当たり、ラッキーでした!暑いので午前・午後とも、蔵王山の展望台に行かせて頂きましたが、山本二三展の大きな告知看板がありました!集客が見込めそうなので、お金を掛けましたね!

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 立派な渥美メロンの差し入れもあり、感謝しています。ありがとうございました!帰省出来ない方々に提供させて頂きます!帰省できない方々とは3日続けて外食して、ご馳走を堪能させて頂きたいと思っています!

 

 昨日、ネットのニュースを見ていたら下記がありましたが、ちょうど皆藤先生の本で、いじめについて記述されていたこともあり、引用させて頂きました。  

 皆藤先生が本の中で『このように、秩序生成の根源には暴力が存在し、それはつねに犠牲を産む。今村(一九八九)も指摘するように、そのことは現代の状況でもあると筆者は考える。たしかに秩序は共同体を営むうえでの必要条件である。しかし、それは暴力性をつねに潜めているのである。』(生きる心理療法と教育) 中野信子先生の本が話題になっていますが、皆藤先生の方が臨床に近いので、自分達には理解しやすいです。 でも、本当に貧乏な家の子はイジメられないのでしょうか?腑に落ちません。

 

 下記は、シュタイナーですが、サリヴァンが言っているのと同じ気がします。どちらが早いかは、どうでも(笑)良いですが、転移というものはそんな感じなのかな?と思います。

 

 ~クラインにとって、転移は、絶えず内的なものと外的なものが相互に関わりあうことで特徴づけられる。さらに言うならば、分析家に投影されるのは、ストレイチーが影響力の大きかった論文で示したような超自我という単純なものでは必ずしもなく(Strachey,J.1934)、彼女の見解ではむしろ「全体状況」と呼ばれるものである。

 すなわち転移されるのは、こころの中の世界の対象と対象との間、そして自己と対象の間にある、すべての感情、防衛、そして対象関係である。クラインは簡潔に、「……患者は必ず、分析家に対して再体験されるかたちで葛藤と不安に向き合うようになる、それは過去に利用したのと同じ方法である」と述べている(Klein,M.1952a,p.437)。