うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

防火管理者講習会と、仲良しと、【フロイトは死の本能を、存在の前段階への回復、結局は無機的な状態に向かうものとして説明しつつ、反復強迫を作用中の死の本能の現れだと主張した。】

 

 

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 昨日、今日とうたたね管理者さんと、防火管理者の講習会に行って来ました!

自分はそうでもありませんが、管理者さんは忙しいので、大変だっとろうと思われます。無事に2人とも資格を頂いてくることができましたが、これからのことを考えると憂欝になりますね.........。

 まあ、スプリンクラーがついた時点で、仕事が増える覚悟はしていましたが、自分に降りかかるとは........。がんばります.....。

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 講習会が終わって、直ぐに戻り、遅番に入りました。

入浴介助や夕食が終わって、皆さんほっこりされている時間帯に、女子が仲良く(すぎない?w)していました。明日はみなさんお休みなので、本当に嬉しそうでした!

 シフトの変更などがあり、急遽夜勤に入ってくれた職員さんには、本当に感謝です!

ありがとうございました!

 

 

 

 

 今日も早めに出て、ファミマで本を読みました。

下記とは違いますが、これまでの流れや、やはりまだ心にひっかかっている、10歳の女の子の死が、あります。

 昨夜、お会いして話を聞かせてくれた方も、親戚でお母さんが亡くなってから、うつ状態が酷くなった方がいて、それを見ておられたお父さんまで鬱になってしまったと言っていました。障がいをお持ちの方々のお母さんは、投影同一視みたいな感じになってしまう方が多く感じられます。障がいがあろうがなかろうが、ウィニコットの言う、ほど良い母親にならないといけないのかな?と思うこの頃です。

 

 その方の話を聞きながら、下記を思い出していました。

『つまり無機的とは感情がないことであり、これがある程度、暴力的か投影同一視を使って彼らが達成しようと目指していることである。』

 

 

 

 先日のビオンの痛みを経験しないと、喜びを感じることもできないというのは、色々なシーンに当てはまると思いました。

 例えば、今必死になって(笑)弾いているギターも指の痛みだけでなく、上手く弾けない時には、本当に胸が痛く、頭も痛くなります。それを解決するには、頑張って上手くなるか、諦めるかでしょうか?他にも選択肢が(教室に通うとか)ありますが、簡単に言えばそんなところでしょうか?

 

 支援でも、無理やりは絶対にいけませんが、少しずつ良い方向に持って行こうとするときには、お互いが痛みを感じるし、それがないと心の奥深くまで、経験できないと思われます。勿論、その方に一番合った支援方法を考えて(上手くいかなければ、もっと勉強して)やって行けば、外傷にならない経験ができると思い、日々支援をやらせて頂いています。

 

 

 

 おそらく、下記の様な感じの支援者になっているのかも知れません。

 『分析家は、そのような人びとの中で、今の時点での最も重要な、そして最も不安にさせる代表的人物である。』

 

 

 

 

 

 

  ~フロイトは死の本能を、存在の前段階への回復、結局は無機的な状態に向かうものとして説明しつつ、反復強迫を作用中の死の本能の現れだと主張した。この思考の道筋をたどると、これらの患者は無機的な状態に近づくことができる時、不安から最も自由だと感じるのではないかーーつまり無機的とは感情がないことであり、これがある程度、暴力的か投影同一視を使って彼らが達成しようと目指していることである。確かに、私が示唆してきたように、自分をそこに入れ込んでいる相手の人びとに巻き込まれ続けることによって、分裂排除した自分自身の生きている部分と接触を保っているのではあるけれども。いずれにしても、フロイトが示したように葛藤は常に生の本能によってもたらされる。生の本能は、愛することや依存することへの欲求の中に、また望ましい重要な人びととの関係への欲求の中に現れる。分析家は、そのような人びとの中で、今の時点での最も重要な、そして最も不安にさせる代表的人物である。