うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の日中と、【最も単純なレベルで見れば、自己の一部を常に分裂排除し投影することは必然的に理解を妨げるに違いないことがわかる。】

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 今日は、休みでしたが(笑)、ピンチヒッターで、日勤をさせて頂きました!

午前中は、まさくんと蔵王山展望台を歩いたり、プロジェクションマッピングで遊んだり、掲示物を一緒に見たり、いつもと同じようにゆったりと過ごしました。

 

 午後からは、ウクレレとギターで沢山遊びました!音楽って言葉が無くても通じる物があり、音の一つ一つにパワーを感じます。自分のアイデンティティでもあります。

 

 県から、書類の不備についての指摘が、電話であったみたいですが、その件は自分があまり手を付けていなかったのですが、常勤換算のついてのことだったので、自分が県に電話してみました。内容を息も切らさず話されるので、全く頭に入らず、申し訳ありませんが、ゆっくり話して頂けませんか?と言ってゆっくり話して頂きました。内容はともかく、段々厳しくなってきますね。去年は良かったことが今年はダメとかは、許してほしいですね。大きな施設に見学に行かせて頂いて、色々相談を聞いて下さった方も、職員さんが代わると、見解が違う事が度々あるので、その時は諦めるしかないって(笑)仰っておられたのを、ふと思い出しました。只でさえ、人材が不足しているのに、これ以上きつくなると、施設自体が資金の底をついて、受け入れ先がなくなっていくのでは?とも思いました。もう一つグループホームをという声もありますが、いい人材というのは、中々いませんし、誰でも良いという時期でもないので、現場の声も聴いたうえで、施設を見に来て頂き、きちんと支援が出来ていて、職員さん達も働きやすい職場なら、何らかの緩和措置があっても良いのでは?といつも思っています。誰が判断するのか?という難しさもあるでしょうが(笑)。取り敢えず帰宅して常勤換算を県が言うとおりにさせて頂きましたが、まだ余裕がありましたので、理事長、管理者、主任さんには直ぐに報告させて頂きました。支出の9割が、人件費です。これ以上苦しめないで!というのが本音です(笑)。

 

 今日も早めに出てファミマで本を読みました。下記の様な箇所を読むと、分かってきたかな?という、淡い期待が、見事に潰されて、まだまだだな......。と思う自分がいました(笑)。そんなに直ぐに出来たら、誰にでもできる(笑)。でも目指しているのは、誰でもできる、上質の支援です。

 

 無意識に気づくというのは、ないわけではありませんが、音楽やアートでは逆にそれがないと表現にならないので、だからフロイトは芸術家は、教育精神分析を受けなくてもできると言うようなことを言ったのでしょうか?羨望とともにでしょうが(笑)。

 でも、何か一つがあるレベルに達した方は、なんでもできるのは確かですね!体力的な物は別として。

 

 

 妄想分裂ポジションにおける対象関係、不安、防衛のタイプについてのメラニー・クラインの研究(クライン 1946)を簡単に振り返ると、単に人びととの関係だけでなく、部分対象としてつかわれる人びととの関係、または人びとの部分との関係について考察されているのがわかる。また、万能的で自己愛的な態度を保持したり、さまざまな自己の一部や内的対象を分裂排除したり投影性同一視をかなり使用したりというような防衛を引き起こす混乱した迫害的種類の不安について考察されていることもわかる。  最も単純なレベルで見れば、自己の一部を常に分裂排除し投影することは必然的に理解を妨げるに違いないことがわかる。だが、これから議論していこうと思うのだが、問題はそれほど単純ではない。というのは、そのような投影性同一視でさえ、患者と分析家との間の無意識のコミュニケーションの手段として使われ得るからである。