今日は、久しぶりに休みを頂いたので、自分の作品に久し振りに向き合ってみました。詩が書けなくなって久しいですし、作品を作れなくなっても久しいです。なんでだろう?って考えてみたら、書きたくなる情景や、描きたくなる物がないだけだと分かりました(笑)。詩にしたい、作品にしたい!ということは対象が必要でした。対象がないと破壊ができないといわれますが、正しくその通りでした。自分の中で破壊して、償うという事からアートが生まれるというのが、クライン派の奥義(笑)の一つだった覚えがありますが、いい加減です(笑)。
今読ませて頂いている、皆藤章先生の本の中に、下記のような箇所があります。
『~そもそも、人間の意識は分割することによって成立する。本能欲求から理性の獲得への、ないしは本能欲求の抑圧のプロセスと言ってもよい。~』
これを頭に入れて下記を読ませて頂くと、よりよく理解が出来ました。
分裂と投影同一視
~フロイトは、自我は分裂するとは考えておらず単一なもので、エスと超自我からくる力に引かれて、圧のかかったゴムボールのように変形するのは、クラインの分裂と投影同一視の理論は極めて異なっている。
彼女の著作では、自我は常に分裂を募ると理解され、暴力的で無秩序なかたちで断片にまで破壊されることもある。またあるときは非常に一貫したプロセスにより、自我の一部が分裂して切り離され投影される。これは通常、自己の望まれない部分を除くためである。分裂のこれら二つに特性は転移の理解のために特別に重要である。
最初に述べた断片化された状態では、自我と対象の双方がばらばらになっており、この絶望的な状況は、主に精神病的状態または前精神病的状態において生ずる。この状態は通常激しい不安を伴い、離人感を伴うことも多く(Rosenfeld,H.A.1947)、また転移において断片群は暴力的に分析家に投影される。これが転移に深刻な影響を与え、分析家に著しい緊張状態をもたらす。
もし分析家が投影された断片を受け入れ、それに意味を与えることができるなら、不安は軽減し、断片群の統合をある程度促進する可能性がある。~