うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

段ボールでこんな素敵な商品ができるんだ!と、【そして、時には分析家は患者が自分ではなし得ないようなある種の機能を果たしつつ、患者にとっての補助自己として機能することを示唆しています。】

今日は、色々あった一日でしたが、なんとか無事に過ごせましたこと、皆様に感謝です!



 写真のネタがないので(笑)東京に行ったときに、凄いなと思った物のアップです。
バッグで、トラックのホロの廃棄するものでバッグを作ったものが有名ですが、段ボールでこんな素敵な商品が出来るんだと、個人的に驚いたものでした。
 きっとこの方は、日々一つのことを、考え続けておられるのでしょうね!
ギターも毎日弾き続けてなんぼのものだし、支援も現場と勉強が一致する時に、本当のやりがいを感じる事ができます。ひたすら勉強するしかない.....のです。

 アップさせて頂く箇所は、今日は早番でしたが、早めに行って、うたたね横のファミマで読んでいた箇所です。


1934年にJames Strachey が提唱した古典的見解では、分析家は、中立的な態度によって、補助自我として、すなわち価値判断せず誘惑もしない人物としてふるまい、最終的にはより極端な内的両親のイマーゴや声とは違うものとしてみなされるようになります。患者にこの新しい中立的な視点を提供することによって、そしてまた、患者が分析家をこれらの両親に同一化しようとするのを食い止めることによって、分析家は患者の恐れや罪悪感や思い込みの外へと患者を連れ出し、それから解放する手伝いをすることができます(Strachey 1934)。しかし、精神分析的な経験と理論は、補助的超自我としての分析家という考え方を越えてこなければなりませんでした。現在では、人は自分の両親の側面を、分析家や治療者という人格に投影するだけでなく、自分自身の基本的で貴重な部分、常識や知性といった自我機能ですら、投影するということが分かっています。Bion は、重篤精神分裂病者との、はるかに強烈な状況について書いています。そこでは、人格の全て、生きようという意思さえもが排泄されかねないのです(1962:97)。

〜Rosenfeld は、何人もの精神病患者を分析し、Strachey のモデルは拡張される必要があること、そして、時には分析家は患者が自分ではなし得ないようなある種の機能を果たしつつ、患者にとっての補助自己として機能することを示唆しています。Rosenfeld はより知覚し、摂取し、言語化するといった、患者が自分ではできないような自我機能を強調しました(Rosenfeld 1972)。〜