うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

クリスマスと、県庁Aランチと、イチョウと、【これらの衝動の結合が成功するかどうかは、患者への、分析者のある特殊な同一化にかかっているとわたくしは考えます。】



 早朝に名古屋に向かい、午前中は、YWCAさん。
やはり、クリスマスの装いでした!


 午後からは、愛知県庁食堂Aランチを頂いてから(笑)障害福祉課へ行っていました。
処遇改善の書類を見て頂き、ほぼ大丈夫だったので、早急に郵送したいと思っています。



 帰りは、県庁の案内の方に、名古屋駅の方向を聞いて、西側に行けば良いとのことで、名古屋駅まで歩いてきました。
イチョウが綺麗でした!イチョウと言えば、御堂筋を思い出します。

 名古屋から帰ったら、色々あり、先程帰宅しました。
シフトの変更に、主任と看護師さんが集まってくれました。本当にありがとうございました!






 本は、電車で沢山読みました。
こちらも、色々考えさせられ、周囲の状況も考えてしまいました。



 あらゆる分析において、分析を進めている力は何か?患者を健康へと推進させるものは何か?という疑問です。答えは、患者と分析者双方の結合したイド衝動、となるのは確かです。分析者の場合、その衝動は、自己分析の結果、修正され、統合されていて、その結果、より方向性を備えた効果的なものになっております。これらの衝動の結合が成功するかどうかは、患者への、分析者のある特殊な同一化にかかっているとわたくしは考えます。
                                         3 意識的に、そして、確かに、大いに無意識的にも、わたくしたちは皆、患者に健康になってもらいたいし、そして、患者の健康になりたいという欲求、つまり彼らの自我に、すぐに同一化できます。しかし、無意識的に、わたくしたちは、患者の超自我なイドにも同一化しまいがちであり、それによって患者の中の、健康になることへのあらゆる禁止や、病気と依存状態が留まっていたいという願望にも同一化するのです。そして、そうすることで、わたくしたちは、患者の回復を遅らせるかもしれないのです。無意識的に、わたくしたちは、わたくしたちはの病気を遅らせる自分の目的に、リビドー的なものにも、攻撃的なものにも、利用するかもしれず、そして患者は、すぐにそのことに応えようとするのです。 ある程度長い期間は分析を受けている患者は、たいてい、その分析者にとっての愛情の対象になります。患者は、分析者が償いをしたいと願う人間となり、そして、分析者の償いたいという衝動は、意識されているときですら部分的に抑圧されて、反復強迫的に支配をおこないます。つまり、同じ患者を何度も癒すことが必要になり、それは結果的に、その患者を癒すためには、何度も病気にさせるのです。 正しく用いられれば、この反復過程は前進をもたらすかもしれません。そして、「病気にさせる」ことが、不安を明らかにするための必要で効果的な方法と、不安が解釈され徹底操作されることを可能にします。しかし、そうなるのは、分析者の方に。患者が健康になって、独立し、分析者から離れていくことを、心よしとする気持ちが、ある程度無意識としてあるときです。〜

〜このように、患者が自分から離れていくのを、分析者の方が、無意識的に心よしとしない気持ちは、ときに、非常に微妙な形で表出されることがあります。治療分析そのものが一種の合理化に使われるのです。患者というものは、分析外の状況で「行動化」をしてはならない、という要請が、まさに分析外の、患者の回復過程に属し成長や自我発達、印としての人間関係、を作るのを妨げることがあり得るのです。分析の外にいる人への転移は、分析の作業を現実的に妨げるわけではありません。分析者がそうしたことを治療に用いようとすればいいのです。しかし、無意識的に分析者は、両親のように行動するかもしれません。つまり、「子供のために」子供が誰か他の人を愛することを認めず子供の成長を妨げる、両親のようにです。患者にはもちろん、そうした外の人が必要です。子供が家庭や両親以外の人に同一化する必要があるようにです。