今日のうたたねと、セラノス創業者のエリザベス・ホームズが有罪になれど、シリコンヴァレーの「システムそのもの」は変わらないと、【このように、精神分析は主体が他者への同化という基底的構造をもっていること、そして言語という外在的社会的なものを受容するについても、この他者への同化という基底的構造を使用していることを指摘した。】
今日は寒かったですね.........。自分は日勤でしたので、お昼に沢山ギターを弾かせていただきました。
自分は、MBA修士を目指して勉強させていただいているので、下記のような記事には目が行きます。何度も言うようですが、単にスタートアップといっても、スタートアップするまでにどれだけの時間やお金を使っているのか?を理解されておられない方が多いと感じていますし、お金は後からついてくるというのは、古今東西変わりはないとも思っています。仕事とはニーズに応えることでもありますので、きちんとニーズに沿って応えられなくてはいけないという見本のような記事ですね。1年間休学を決めた身ですが(笑)。
システムの機能不全という問題
セラノスの失敗については実際に「原因」が存在するものの、それを明らかにするために派手な裁判劇は必要なかった。要するに、ばかげた額の報酬と崩壊した医療システムに基づいた経済の仕組みが機能不全を起こしたのだ。 この崩壊したシステムでは、患者のニーズよりも利益が重視されていた。これらのシステムを動かしていた人々の大部分は法を犯したり、詐欺をはたらいたりしたわけではない。それにもかかわらず、システムは混乱状態にあった。被告のヘアスタイルやDV(ドメスティック・ヴァイオレンス)の告発を超えたところで、ホームズの裁判はそうした混乱をわたしたちに突きつけたのである。 もし莫大な利益を上げる方法がしっかりと確立されていなかったら、セラノスは威厳ある投資家から資金を調達できていただろうか? 無理だっただろう。 スタートアップの投資エコシステムでは、法外な約束をした企業に資金が集まる仕組みになっている。投資家たちは一攫千金を夢見て出資する。フェイスブック(現社名はメタ・プラットフォームズ)の場合は、何もないところから16年で1兆ドル企業に成長し、投資家に莫大な見返りをもたらした。 もちろん、革新的なものを生み出した人物は経済的な恩恵を受ける資格があるし、投資家にも資金面でのリスクを冒したことへの大きな見返りがあっていい。だが、そうした報酬や見返りが想像を絶する規模まで膨れ上がると、詐欺師のような人物や強欲な人々の参入を許してしまうことになる。
今回だけ、樫村先生の引用に戻ります。職員用に打ち込んだものですが、その職員さんの質問に答えさせていただくときに思い出した箇所でもありました。「狂い咲くフーコー」も読み終え、フーコー研究に入っていますが「身体の零度」も1/3読み終えました。乱読しすぎています(笑)。
『精神分析は主体が他者への同化という基底的構造をもっていること、そして言語という外在的社会的なものを受容するについても、この他者への同化という基底的構造を使用していることを指摘した。』が、その方への回答だったでしょうか?すっかり忘れています.........。
「社会の心理学化」と臨床社会学 樫村愛子 1.精神分析理論とその構造 〜精神分析は、主体の他者先行性を第一に指摘している。ラカン(1966)は「主体とは他者である」と述べているが、それはマルクスおよび構造主義・ポスト構造主義が述べるように、主体が社会構築的であるということを単に指すのではない。
社会構築主義で問題になっているのは言説だけであるが、身体の統御、ミードのいう「身ぶり」、ブルデューのいう「ハビトゥス」は、まず「他者への同化」によって構成されている。
そしてそれは主体の存立条件であり、言語はこの身体の構築の上からしか働かない。その例証となるのが自閉症であり、脳は能力的欠陥はないにも関わらず、先天的な身体欠陥のために、他者に同化する身体がまず構成されず、そのせいで言語も取得できない。 このように、精神分析は主体が他者への同化という基底的構造をもっていること、そして言語という外在的社会的なものを受容するについても、この他者への同化という基底的構造を使用していることを指摘した。
人間の文化・社会は、この基底的構造をベースに動いているのであり、現代社会の変容は、この基底的構造にとって重要な他者や身体を放逐していく。精神分析は、分析空間の中で、この他者の機能を喪失した人々に対し、人工的にこれを回復し、結果的に言語や文化という共同的世界を受容可能にするものである。〜