うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

バレンタインデイと、【私たちは神経系の発達を促す機会を、勉強の邪魔になると誤解しています。】

 

 

f:id:ka-gu:20190214180416j:plain
 昨日、用事で浜松に行ったついでに、首のコリが酷かったので、温泉に行って来ました。

ゆっくり浸かって、マッサージ器をしていたら、管理者からメールがあり、荷物が届いたので、戻って来たら施設に寄ってくれとの事。

夕方に寄ったら、岐阜の友人から友人の施設で作っているケーキが送られてきました。

原材料を見させて頂くと、こだわりがみられ、いただくと、本当に美味しかったです。

日中の事業所さんは、本当にみなさん頑張っていますね!

特に新しく出来た所は、みごとな商品を作っているところが増えました。

友人の施設は、新しくはありませんが、これだけでなく、立派な商品が沢山あります。

 

 

f:id:ka-gu:20190214180430j:plain

  温泉には、バレンタインデイとのことで上記の、サンプルが配られていました。

スプレー式だとよかったのにと、無料にもかかわらず(笑)、文句を言いながらも、いただきました(笑)。業の深い人間ですね.....。

 

 

 帰宅したら、こんなニュースを目にしました。

こちらも、ニュースより、コメントに目が行きました。

去年?読ませて頂いた、藤山直樹先生が、落語の国の精神分析の中で、危惧されていたような世の流れになってしまうのではないのか?と個人的にも心配しています。

 

 自分も、暴れたり、利用者さんの暴言・暴力にあったりしますが、それに対抗するだけで、ヘルパーしか知らない相談支援とか、本当に大変な方の支援をしたことの無い方々が、毅然とした態度で対応しているのをみて、虐待とか言うのは、間違っていると思います。基底欠損水準と言うのは、大人の言葉が理解できない、言葉の意味理解ができない水準なので(その言葉も知らない人間が、ちょっとしたことを虐待視する傾向が多く感じます)、精神分析的より行動療法的な支援にならざるを得ないのに、話し合ったか?などと、訳の分からないことを言ってきたりしています。

 しっかり勉強(現場も熟知したうえで)された方に指導を受けるのは、納得できますが、明らかに自分の存在が欲しかったり、マウントしたいだけの人間に言われても、逆に憤りしか感じません(笑)。

 そんなやつらに、丸投げする行政の方々も面倒くさいのそうするのか?行政の方々が勉強していないので、言いくるめられているのか(笑)、分かりませんが、噴飯ものですね。

 親が子どもを外傷(身体的にも精神的にも)にならない程度に叱るのは、当たり前の行為だし、エディプスを乗り越えないといけないのに、親にまで下記を適用するようになるのは、叱ることが出来ない大人を益々増やす結果になるのではないでしょうか?

headlines.yahoo.co.jp

 

 

 

 

 上記のニュースとコメントを読んでいたら、またポリベーガル理論入門の一節を思い出したのでアップさせて頂きました。

 生物は、環境に適応して行かないと生きていけないので、環境に適応しながら心身もそれに順応していくと思われますが、統合失調症が、産業革命からの病気で、木村敏先生が、京大病院に入られた時には、重度の統合失調症があまりいなくなっていたとの事なので、そういうところにも、その適応と順応が現れているのではないでのでしょうか?

 

 

 

  ~2番目の問題は、子供の教育と社会化に与える影響についてです。いまや教育も変わりつつあり、顔と顔を見合せ、互いに作用しあうことが少なくなってきています。いまや、未就学児や小学生の手にアイパットが手渡されています。私は最近ニュースで、児童にアイパッドを使わせているという小学校のことを知りました。学校関係者は、こうした最新技術を導入したということで鼻高々でした。しかしカメラに映し出された教室では、子供たちはアイパッドを見ていて、友だちや先生を見てはいませんでした。
 これは何を意味するのでしょう?これでは、子供たちは社会交流システムを促進する神経回路を訓練することができません。この神経回路を使ってみる機会がなければ、子供たちは困ったときに自己調整したり、他者と協働調整する能力を獲得できないでしょう。
 教育現場で起きている、もう一つの重要な点があります。私たちは認知や“皮膚至上主義”の世界で追い詰められ、どんどん増えていく情報に溺れそうになっています。有髄の迷走神経がしっかり情報を処理することによって、生理学的状態が調整され、そこから進取の気性に富んだアイディアが生まれ、創造性を発揮することや、思いやりに満ちた社会的活動を持つことができます。しかし現在の教育システムでは、その点がすっぽりと忘れ去られています。合唱したり、オーケストラで楽器を演奏したり、休み時間に身体を使って友だちと遊んだりすることで、子供たちは協働調整するすべを集団行動から学びます。ここでは、有髄の迷走神経経路を使って、社会交流システムが活発に働いています。それでこそ、神経系が健全に発達し、前向きになっていけるというのに、今の子供たちは、神経系が発達していく機会を逃し、ずっと教室に座らされているのです。私たちは神経系の発達を促す機会を、勉強の邪魔になると誤解しています。たしかに子供たちは多くの情報を得ますが、せっかく得ても情報は効果的に処理されず、反抗的な行動が現れてきます。これが現在の教育システムと人類の発展についての、私の率直な見解です。