アトリエ・カーグと、海に岩をまいて温暖化抑止、進む「海洋アルカリ化」実験と、土壌微生物による温暖化解決の研究 農地由来の温室効果ガス80%削減を目標と、【べネディクト・アンダーは、「個人が接触出来る規模を超えた規模の共同体は、すべて想像上のものである」と言っている。】
今日はアトリエ・カーグの日でした!バンドクラブもありましたが、写真がありません(笑)。やっとカーグらしくなってきましたが、ここにきてまたまたコロナ感染拡大……。早く収束してくれないかな?
午後からは男子だけすろーの湯へ!寒いのでゆっくり浸かってきました!
帰りは太陽と月が同じ時間に同じ空にありました!
皆さん色々と考えて試行錯誤されています。コロナも初めての体験なので試行錯誤の毎日ですが、何事も諦めずにやっていけばそれなりの答えが見つかるはずです!諦めずに頑張ります!個人的には休学は正解でした。
現在はフーコー研究に入りましたが、下川辺先生のこの本は非常に勉強になりました。引用も素晴らしくついついアマゾンなどを覗いてしまいますが、高価になってしまっている本もあり、そういう本こそ、本当に読みたい本だったりしますので、購入を躊躇してしまい、ストレスになっています(笑)。
〜べネディクト・アンダーは、「個人が接触出来る規模を超えた規模の共同体は、すべて想像上のものである」と言っている。個人が共同体の一部に自己を吸収させる際の思考過程には、全体の一部であるとか、原因から結果をみるとかいう個人レベルで追跡可能なメトノミカルなものではなく、記号(シニフィアン)と指し示されたもの(シニフィエ)との間に、メタフォリカルな関係を認める想像力の介入が必要なのである。 物語が歴史に移行するのは、この地点である。S+Vの構文が目的語を獲得してS+V+Oとなったとき、その主語も「獲物」から「ヒーロー」へとすり代わる。
かつて狩人の物語は、共同体メンバーにとって、客観的情報伝達の手段であった。生理的欲求満足のためにという以上の思惑はそこにはない。ところが、その狩人の物語に目的語が入り込み、獲物退治の物語に変質するとき、そこには他者の排除のポリティクスが混入する。
S+Vの形式では物語の外にいた語り手は、S+V+Oの物語を発話する行為において、ヒーローに自己同一化する動機を抱え込む。そして、同時にその物語の聞き手や読み手は、共同体をメタフォリカルに指し示す行為に誘い込まれるのである。
物語は、彼A(ヒーロー)のものから、彼A’(語り手)のものとなり、われわれ(共同体)のでものへと横滑りし、そこで歴史へと変貌する。共同体のためにメタフォリカルに語られる。しかも、共同体を代表するために語られること。この二つの酵母が投げ込まれ、物語は歴史へと醸造されていくのである。