今日は日勤でしたが、少しだけ早めに出勤しました。朝日がキレイでした!
送迎に行ったご家庭の玄関にサンタさんがいました!
今日は男子だけ、すろーの湯に行きました!コロナ禍で、1人ずつですが、それもゆっくり入れて良いですね!
今日はまりちゃんのバースデー!理事さんがまりちゃんリクエストのチーズケーキを作って持ってきてくれました!美味しそうでしたが、自分の分はなく(笑)、ひたすらギターでBGM係でした!
帰宅時、空を見上げたらキレイなお月様がも、まりちゃんのバースデーを祝ってくれている感じがしました!
下記は非常に気になるニュースです!
いつもの薬局で飲み慣れた薬を受け取ろうとしたら
「実は、薬が不足していまして…」
突然別の薬に切り替えることになり、不安を抱える人や薬代の負担が上がった人も。
そんなケースが各地で相次いでいます。
発端は1年前に発覚した医薬品メーカーの不祥事でした。
今、何が起きているのでしょうか。
(福井放送局 鈴木翔太)
下記は、本当にそうかも知れません。自分も母親が自死した時には、ソンタグが言うように、テレビや新聞のニュースを見ている感覚でした。下記の文脈で語れば、母親の自死を受け入れることが出来て初めてそれが体験となったように今でも感じます。
〜さて、今日、学者たちがPTSDを論じる場合、フロイトの「反復強迫」の定義によりながらも、トラウマ体験の時間的経緯については、少し違った見解がとられているように見える。
フロイトのレトリックでは、トラウマ的出来事が体験されたその後、その体験が忘却され、抑圧され、画像のような効果となって、神経症患者を繰り返し襲うということになる。一連の精神的症状は、事件の時点を起点とする時間軸の上にクロノジカルに並べられることになる。 しかし、最近の研究では、トラウマ体験における時間は、一直線に認められるのではないと考えられるようになっている。トラウマ的出来事を体験しているその最中に、体験者は、充分それを体験していない、というのである。
つまり、体験者はその時点では無感覚になっているので、その出来事がきちんと意識に登録されていないのである。何ゆえに、〈画像〉が反復強迫的に、繰り返し患者に立ち戻ってくるかについての一つの答えを、ここから得ることができる。
充分に意識に登録されなかった出来事の意味は、それゆえ知的理解というレベルに組み込まれようと、画像となって、フラッシュバックとして、繰り返し患者をおそい、時間の前後はこうして攪乱されていくのである。