うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今宵の月と、たくちゃんのベッドと、【人間の心が原始的な段階にあればあるほど主観的な全能感は大きい。この全能感とは、自分が心のなかでなにかを願えば、それがただちに外界の中で満たされるという感覚です。】

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 アップを忘れてしまう日が多くなりました(笑)。皆さん元気に毎日過ごされています。
空も毎日きれいで感動ばかりしています。

 

 

 現場でも万能感を感じることが多いですが、それは利用者さんだけではなく、支援者にも言えることです。そんな時にはきちんとその方に説明をしないと、勘違いをしてしまいます。繰り返しますが、利用者さんだけでなく、支援者にも言えることです。

子どもは、なぜ「全能」か
 互いを移行対象として以上に見ようとしない世界。それは全能感の世界に近いものです。自分の思う通りになる世界というわけです。この点ウィニコットにさきだってフェレンツィは、全能感(omnipotent feeling)と錯覚の問題をかなり系統的に論じています。
 間の心が原始的な段階にあればあるほど主観的な全能感は大きい。この全能感とは、自分が心のなかでなにかを願えば、それがただちに外界の中で満たされるという感覚です。
 初研究されたのは、フロイトによる思考の全能ということです。いわゆる強迫神経症の患者はみなそうだと言われています。たと、自分が「あんな嫌な奴、死んでしまえ」と心で思うとその人がほんとうに死んでしまった。「明日の試験嫌だから、雪が降って電車が止まってほしい」と思ったら、翌日ほんとうに雪が降って電車が不通になって試験を受けられなかった。このようないわば念力というか、心でほんとうに思えばその願いが叶ってしまうというのが全能感です。全能感というのはこのように定義して使います。〜