うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

大きな松ぼっくりと、久し振りに点てましたと、『児童心理研究家デボラ・ダヴィッドソン』(精神分析の都より)


 職員さんの自宅の横に、大きな松ぼっくりが出来る木があり、親分がもらってきました。
年末チャリティー用に何か作る様です。何が出来るのでしょうか?


 今日、豊橋に出たついでに、お茶屋さんに行って、普段のお茶とお抹茶を買ってきました。木曜日の自分の受診時に行こうとも思っていましたが、用事が木曜日に立て続けに入ってしまったので、行ったとというのもありました。
 玉露と思いましたが、値段を見てびっくり\(◎o◎)/!
懐が暖まるように頑張ってへそくりをしてから買いに来ます.......。
 久しぶりに自宅でお薄を点てました。しかも流し台で(笑)大きな沫もそのままで.......。


 長くなってしまいましたが、『精神分析の都』からのアップです。
哲学集団BAABは匿名が規則なので、本名ではないのが残念ですが、勉強にもなり、考えさせられた箇所でもあったので、全文アップさせて頂きました。

 いくつか切り取らせて頂きましたので、めんどくさい方は(笑)そこだけでも読んでほしいです。


『子供といっても、実際には青年が主ですね。思春期の子とか。どんなことをするって、場合、場合では違うけれども、まず話を聞くこと、一緒に何かすること、何よりも見ることでしょうね、相手を』


『そう、多くの人に見られると、存在が大きくなり、誰にも見られないと存在が無になります。しっかり見られると、存在がしっかり把握できるようになる。存在が実際よりも大きくなっても小さくなっても、困りものですね』


『そう、人生の区切りみたいなものは、たいてい難しい問題がいろいろな面で出てくるものです。そういうとき、まじめに取り組んだら、『生きるか死ぬか(To be or not to be)』になってしまう。逆説は、そういう危機においてこそ、ものを言う。私がウィニコットに感心するのは、彼が難しい問題を前にして心の平静を失わずに、逆説の知恵を発揮できる点です』


『不満でした。それで、自分で研究するようになったんです。精神分析は人間関係が主ですから、分析者と分析される者との両方に合ったやり方を見つけなくっちゃいけません。私がAPAにつて批判的だったのは、権威主義で、独断的で、専制性だったからです。APAに限らず、一般に分析者は自分の世界観を押し付ける傾向があり過ぎます。そして、相手が自分についてこないと、あなたは無意識のうちに分析に抵抗しているんだと決めてかかる。これは、極言すれば詐欺です。あるいは、信仰を強要する悪い宣教師と同じです。もっと、相手を尊重しなくてはいけません。その相手が何を求めているのかを、じっくり聞き分けねばなりません』




Ⅳ 哲学集団BAAB精神分析の都より)
児童心理研究家デボラ・ダヴィッドソン
 デボラ・ダヴィッドソンは倫理の人である。この肌の浅黒いユダヤ女性は、一見するとアラブ人のように見える。その眼差しは深く、鋭く、微笑には知性と情愛の均衡がある。話し方が実に落ち着いていて、一つ一つの語をはっきり発音し、意味を確かめながら進むのである。
 デボラが倫理の人だというのは仲間うちでも定評となっているが、この「倫理」という言葉は定義する必要があるだろう。ここで言う倫理は、決してカント的なものではない。また、キリスト教の博愛主義とも異なる。簡単に言えば、すべての行動の基準を客観的においているということではなかろうか。デボラを見ていると、心の底から信頼できるように見える。それは、彼女の行動基準がつねに一定していて、その基準がすべて彼女自身によって検証されてきたもののように思われるからである。そこには盲目的信仰もなければ、社会的規範のような押しつけがましさもない。彼女の倫理は、スピノザが言う感情の熟知による感情の統制といったものに貫かれているのである。
 ある時、BAABの研究会があり、デボラが発表者だった。そのとき、彼女はイギリスの精神分析の流れについて話をした。メラニー・クラインに数言費やしたのち、ウィニコットにほとんどの時間を割いて、誰にでも分かるような明快な、しかもユーモアと逆説にも富んだ発表だった。児童心理研究家として、彼女は長年子供のためのカウンセラーをしてきたのだが、その理論的支えとして、ウィニコットやベテルハイムを読んできたのである。
 私は彼女の発表が気に入ったばかりでなく、以前からその風貌に魅力を感じていた。一度じっくり話してみたいと思い、時間をつっくってもらった。以下は、その時の会話の要約である。

「デボラ、あなたはウィニコットを高く評価しているようですが、どうしてですか」

「それは、彼が逆説家だからでしょう。彼の文章は味わいがあるもので、私にとって、文は人なりという諺は真実です」

「文章に人柄を感じるのですね」

「そう、人柄というものは、私の場合、思想とか感情の動きとかを全部含みます」

「あなたは実際に子供と接し、分析的な治療もするようですが、どんなことをするのですか」

「子供といっても、実際には青年が主ですね。思春期の子とか。どんなことをするって、場合、場合では違うけれども、まず話を聞くこと、一緒に何かすること、何よりも見ることでしょうね、相手を」

「見られることによって、人は自分の存在感を感じることができるでしょうか」

「そう、多くの人に見られると、存在が大きくなり、誰にも見られないと存在が無になります。しっかり見られると、存在がしっかり把握できるようになる。存在が実際よりも大きくなっても小さくなっても、困りものですね」

なるほど、彼女の目でじっと相手を見つめれば、相手は存在の孤独から脱出できるかもしれないと私は思った。そこで、こう尋ねてみた。

ウィニコットはあなたの治療活動に影響を与えていますか」

「それはそうです。でも、私は誰かの本を読んで、それをそのまま実践するというタイプではありません。時々本を読んだり研究会に出たりして、他の人の話を聞きながら考えるんです」

「さきほど、ウィニコットの文章には逆説があると言いましたが、それはどういう点で、あなたに影響を与えているのですか、あるいは共感を生むのですか」

「そう、人生の区切りみたいなものは、たいてい難しい問題がいろいろな面で出てくるものです。そういうとき、まじめに取り組んだら、『生きるか死ぬか(To be or not to be)』になってしまう。逆説は、そういう危機においてこそ、ものを言う。私がウィニコットに感心するのは、彼が難しい問題を前にして心の平静を失わずに、逆説の知恵を発揮できる点です」

「どんな人生の問題も、逆説によって堪え得るものなのですか」
「どうでしょう、問題は具体的で、一つ一つあらわれ、それぞれ異なります。一つ一つ片づけることで、満足しなくてはね」

「・・・まるでイギリス人みたいなことを言いますね」

「そうですか。私はイギリス人の常識っていうものは、ずいぶん子供の教育に害を及ぼしていると思っているんですよ。だからこそ、イギリスには優れた児童心理の専門家も出るんでしょうけれどね。……でも、本当を言えば、私にはイギリス的なものはほとんどないと思います。セム人の思想が、私の考え方に深く影響していると思いますよ」

「なるほど、……あなたの話を聞いていたら、ある種のユダヤ人はイギリス文化を評価しているということを想い出しました。経済学者のハイエクが然り、イザヤ・バーリンという思想史家もそうですし、フレッド・ウルマンという作家がそうですね。カール・ポッパーも一応その仲間に入るでしょう。それに、ウィトゲンシュタインだって、イギリスをとくに好きだとは言ってなかったけれども、どうやら彼がイギリスへ行ったというのは彼の思想形成にも決定的だったという気がする……」

「ずいぶん、有名人を並べましたね。確かに、私はウィニコットの逆説的な表現は好きですし、それにイギリス流のリベラリズムには、平凡な非凡さというものがあるように思います。……でも、どういうところがわたしの言っていることのなかでイギリス的なのだか、自分では分かりませんね」

「ははあ、分かりました。……ところで、あなたは、ウィトゲシュタインの名前をだしたけれど、彼のフロイト観をどこかで読んだんです。そのとき、彼の言っていることは全部まともな響きがありました。その疑問には精神分析家は誰も答えてはいないけれども、ウィトゲンシュタインは答えているんですよ。夢の解釈がいくつもあり得るのに、フロイトはすべての夢をたった一つの解釈へもって行こうとする。それは無理だとウィトゲンシュタインは言っているんです。また、夢を言語のようにフロイトは扱っているが、そうも扱えるというだけあって、別の扱い方も充分可能でないかとも言っている。これはすべて道理にかなったことで、私も共感しました。もっとも、こういう普遍法則へ還元する傾向を批判する態度がウィトゲンシュタインをイギリス的にしているとは言えないと思うんですけどね」

 私は、このとき、彼女が十何年も精神分析を受けてきたという事実が気になったので、話題を分析の方へと変えてみた。

「ブエノス・アイレスは私から見れば精神分析の都という気がするんですが、あなたはウィニコットに出会うまで、どんな分析をうけたんですか」

「いろいろ試しましたよ。まず、正統フロイト派の人に分析してもらいました。そのころは今みたいにラカンは知られていなかった。フロイト派、メラニークライン派が有力でしたね。ご存じか知りませんが、APAという権威集団があって、それが今以上に有力でした。まあ、精神分析イコールAPAという時代でした」

「APAって何ですか」

「アルゼンチン精神分析連盟のことですよ。国際精神分析連盟というのがあるでしょ。あれに加盟している団体です」

「……で、その分析はどうでしたか」

「不満でした。それで、自分で研究するようになったんです。精神分析は人間関係が主ですから、分析者と分析される者との両方に合ったやり方を見つけなくっちゃいけません。私がAPAにつて批判的だったのは、権威主義で、独断的で、専制性だったからです。APAに限らず、一般に分析者は自分の世界観を押し付ける傾向があり過ぎます。そして、相手が自分についてこないと、あなたは無意識のうちに分析に抵抗しているんだと決めてかかる。これは、極言すれば詐欺です。あるいは、信仰を強要する悪い宣教師と同じです。もっと、相手を尊重しなくてはいけません。その相手が何を求めているのかを、じっくり聞き分けねばなりません」

「たとえば、ある夢で雨が降っているとする。それを正統派と称する人々は一義的に解釈するのです。そして、その解釈に合うような出来事を被分析者に探させる。被分析者は一所懸命それに該当する出来事を探すわけです。これでは、誘導尋問と同じです」

「それじゃ、ラカン派については、どう思いますか?」

「面白いというだけ。言葉に溺れる。……大体、何々派というのは、よいことがありません。型にはまって、進歩が止まるんですよ。それに、ラカン派では分析者の沈黙が尊ばれますが、これも人によって良い場合とそうでない場合とがあります。結局、場合、場合によって、方法は違わなければならないんです」

ウィニコットという人は、いろいろおもちゃを使ったりしたんでしょう?」

「そう、私は言語という手段ではどうにもいかない状況というのがあり、そういうときに物が媒体として役立つということを、何度も経験してきました。物は文化の素材なのです。そのものに背を向けたり、そこに欲望の代償とかをみるだけでは、フロイトの考えたような否定的なものにしかなりません。彼が生きていたウィーンというところでは、もしかしたら文化の衰退というのもがあって、それを彼は感じていたのかも知れないけれども、文化の豊かな育て方とか、文化の有益な吸収の仕方というものがあるはずなんです。そういう点で、ウィニコットから得ることは多いと思います」

ウィニコット派というのはないんですか?」

「聞きません。というのは、ウィニコットにはフロイトラカンのようなカリスマ性がないからでしょう。教義を説くタイプの人間と、随筆をゆったりした気分で書くタイプの人間がいるとすれば、ウィニコットは後者なんです」

「要するに、あなたもそういうゆったり型ですね」
「そうでしょうね。とくに子供を扱う場合には、そうでないと駄目なんですよ……」

「なるほど、よく分かりました。今日はこれぐらいで結構。また、会いましょう」

 私は、満足してデボラと別れた。そして、一,二ヶ月後のある日、私が行きつけの喫茶店で新聞を読んでいると、ふと誰かが立ってこちらを見ているに気づく。顔を上げると、デボラだった。私はすぐに、彼女に同じテーブルに座るように促す。

「何を読んでいたの?」
 と、腰掛けながら親しげに尋ねるので、新聞記事を指し示す。それは、世界的に著名な精神分析家、ブルーノ・ベテルハイムの自殺に関する記事であった。デボラは、ベテルハイムを尊敬してもいたから、もちろん、そのニュースは知っていた。彼女は記事にざっと目を通すと、私に意見を求めた。
「あなたは、この自殺をどう思うの?」

「……よく、分からないけど、深い意味がありそうに見える。単なる自殺とは思わないんだけど……」

「単なる自殺っていうと?」

「たとえば、絶望とか、淋しさから自殺したように思えないんです」

「そうね、私もそうは思わないわ。でも、私の夫は、ベテルハイムが愛妻を数年前に亡くしたことが、最大の原因だろうって言ってるけど……」

「むろん、それは原因の一つにはなると僕も思うけれど、それならなぜ、ベテルハイムは奥さんの後をすぐ追わずに、今になって自殺したのか」

「私はこの死を単なる自殺という語で片付けたくないの。自殺より積極的な意味を持って死んだと思うわ」

「日本人についてあるフランス人か書いた本に、『自死の日本史(La mort volontaire au Japon)』という本があるんだけど、ベテルハイムの死はそこでいう意思的な死と呼ぶべきなのかも知れないなあ」

「私は、正直言って、彼の死に逆説を見るの。例によって、逆説好きの私だからでしょうね。というのも、ベテルハイムっていう人はフロイト派の人で、強制収容所の体験から出発した人でしょ。彼は少しでも多くの生を生きたい、また人にも生の美しさを知ってもらいたいと、そういう考えを倦まず繰り返して言ってきた人だと思うの。その人がよりにもよって死を選んだというところが逆説的だわ。もし彼の死が感動的だとすれば、その逆説的な死に方によると思う」

 なるほど、こういう見方がデボラらしい。そう思いながら、もう一歩つっこんで聞いてみた。

「彼自身は、その逆説に気づいていたのかな」

「どうだか……。人生が逆説に満ちていることは、彼も熟知していたはずだけど。人間って、案外自分のしていることは分からないものだから……」

「僕には、ベテルハイムはすごく平穏な気持ちで死ねたんではないかって気がするんだが……。何故か分からないけど、そういうイメージしか湧かない」

「そう、私も彼が取り乱していたようには思えないわ。おそらく、よく考えた末に、これが一番良いと判断して死んだと思うの」

「僕は、彼の人生を勝手に推測するんだけど、強制収容所にいたときにすでに一度死んだのどという意識は、いつまでも彼にあったんじゃないのかな。彼がアメリカへ渡って精神分析家として第二の人生をおくったとき、いつも生か死かを選択しながら生き続けたように思う。それは、惰性ではなくて、まったく意思的な生の選択で、死はもう一つの選択として、つねに彼の目の前にあったような気がするんです」

「そうね、それでは彼は死を恐れることもなく、彼の経験を最大限生かして、もう大体やるべきことはやったというところまで生を引き延ばしたんでしょうね」

 一切の感情を理知に溶かし込んだ、まさに「倫理」的な死、彼の自殺をこのようにとらえる解釈はベテルハイムという自由思想家を彷彿させるばかりでなく、その死に威厳を与え、生き残っている我々に不思議な感動さえ与えると思われた。
 しばらく沈黙があってか、デボラは言った。
「私は死というものを最大の逆説だと思っているの。死について考えることは、生について考えること他ならない。しかし、生は生であり、死は死でしかない」

 こういう彼女の言葉は不思議な透明感を持つ。言語が感情の汚れを払拭したとでもいうような透明感である。彼女は五十を過ぎた今、初心にかえってフロイトを読み返しているという。また、人類学を学び始めるのだともいう。その理由はと聞くと、こんな答えが返ってきた。
「この世の中にはいろいろな言語があるでしょ。私は心理学の言語にちょっと飽きてきたんでしょうね。心理学万能主義という病気を打破することは、心理学の世界にある者の義務の一つだと思うのよ」