うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

お地蔵さんに願掛けと、年越しそばとうどんと、いつも通りの朝と、【自分を世話している母親は、自分を待たせて自分を「傷つける」母親とは何のつながりもない、と感じることが、乳児にとっては必要なのである。】

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 もう今年も秒読みとなりました。紅白は見ない主義で(笑)、一年の〆で、お薄をお地蔵さんに供えて、みなさんの健康を願わせて頂きました。

 来年も、皆さんにとって、良い年でありますように!

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 親分の提案で、まりちゃんと年越しそばとうどんを食べに行きました!

混む前にと、開店と同時に入りましたが、それでも少し待ちました。取り敢えずうたたねの、一年の〆が出来ました。

 

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 朝は皆さんゆっくり眠っておられましたので、早番さんが来られても、起きられるまで、そっとしていました。歌声が聞こえたり、2階から降りて来られたりされてから、食事の準備もして、暖かいうちに食べて頂きました。ホームの方は2名、ショートの方も2名で数的には少なかったですが、自閉症の重度の方がおられたので、身体的なケアに時間がかかりましたが、今年最後のご利用でしたので、きれいにさせて頂き、皆さんお帰りになられています。早番の女性職員さんの整容は、見事な物で、まるで美容院に行って来たばっかりかのような感じになるので、いつも驚きます。皆さん笑顔で大晦日を迎える事ができ、皆様に感謝しています。

 年末年始、3日休みになる予定でしたが、休みがなくなりましたが、管理者を始め、直ぐにシフトの調整をして頂き本当に感謝しています。本当に困っておられる方の支援が、本当の福祉だと思っています。机に座って、電話だけで偉そうにしている輩もいますが、自分は現場主義です。現場での支援に勝る福祉はありません!現場の方々はもっと自信を持っていただきたいと思っています。

 

 下記も、現場でも支援を考える上で大事なことだと思います。

分割は必要な時もあるし、それが邪魔をする時もありますが、逆にそれを上手く利用して支援に結び付けると良いと思われます。ダメなときはダメと毅然とした態度で接しないといけない時もありますし、本当に退行してしまった時には、寄り添う事も必要なので、それを明確に、分かり易く支援者が提供することが重要になります。それさえできれば、分割して防衛していても、安心・安全感が持てるようになれば、統合されてきます。やはり、そこではウィニコットの言う、ほど良い母親的な支援になってくるんだと思います。

分割の不全
 ~自分が母親に害を与えているという不安に侵入されずに、そして母親が自分に害を与える不安もなしに、安全に乳を吸うためには、乳児は分割を用いることができねばならない。

  自分を世話している母親は、自分を待たせて自分を「傷つける」母親とは何のつながりもない、と感じることが、乳児にとっては必要なのである。

  育むような母親と不満にさせる母親とが同じひとりの人間だ、という考えは、乳児が安全に乳を吸うために必要な安心感を奪うであろう。

  同じように、乳児が乳を吸いながら、不在の乳房/母親に怒ってそれらを支配し隷属させることを望んだ乳児と同じ乳児なのだ、と自分自身を体験したなら、安全に欲望する能力は失われるであろう。

  乳を吸うときには、乳児はまじりけなく何にも汚染されずに愛しているものとして、自分自身を体験せねばならない。それによって、害を与えず欲求しうるのだ、と感じることができるためである。
 分割は、愛を与え受け取る乳児のニードを保護するだけではない。それは憎しみのニードをも保護する。

 乳児の憎しみの対象が乳児の愛している対象の側面に汚染されていると、それを安全に憎むことができなくなる。(乳児が憎しみのニードを持っているという仮説は、素質的に決定された強力な破壊願望の出現というクライン派の仮説によるのではない。たとえば、ウィニコット[1947,1957]*やフェアバン[1944]のように、憎しみはニードがあまりにも満たされないことから生じ、乳児も子どもも成人も憎しみの感情を恐れることなく体験できることが、正常な発達にとって本質的である、と仮定してもよかろう。)