今週のうたたねと、わざとワクチンを「廃棄」に? 各地で起こっている「不穏な動き」の背景にあるものと、【人間が驚いたり悲しんだり、喜んだり失望したりするその感情は、そのときに理由がわからなくても、実は非常に論理的である。】
アップを最近し忘れてしまい、写真が少し古くなってしまっています.....。
帰省に向けて、皆さんヘアーカットしていますが、今日は利恵さんがする日でした。もうすでに似たようなカットになっていますが、もうすこしカットしてすいてもらうと、女性職員の意見でした。すっきり可愛くなってきました!
下記は興味深い記事でしたし、精神分析的に見ても面白かったです。でも本当にそうだとしたら厄介ですね.......。
~ここで非常に参考になるのが、小説家チャック・パラニュークの人気作で映画化された『ファイト・クラブ〔新版〕』(池田真紀子訳、ハヤカワ文庫NV)で展開される“騒乱プロジェクト”です。現状に苛立ちや不満を持つ者たちが、社会を混乱に陥れる行為を通じて結合し、「自己確証」を得るというサイクルによって、実存的な動機付けが与えられるのです。 騒乱プロジェクトの中心人物であるタイラー・ダーデンは、最終目標を「文明を徹底的に、かつ即座に破壊すること」(前掲書)と述べていますが、ワクチンという科学文明の粋を拒絶するという振る舞いにおいて、作中における膨大な悪ふざけと「プラグを抜く」行為の奨励が不思議な一致をみせているのは、反文明的で自然回帰を憧憬(しょうけい)する価値観が核心にあるためでしょう。~
個人による行動だからこそ厄介
~かつてイスラーム過激派であるアルカイダとその関連のテロについて、警察官僚の松本光弘は、ネットなどの情報に感化された共鳴者などによる一匹狼型のテロを「勝手にアルカイダ」と名付けましたが、このあまりに秀逸な表現が示している通り、一見組織的な行動に見えるものの、実質的に中心が存在しないネットワーク、勝手連的な運動ほど監視や予防が困難なものはありません(『グローバル・ジハード』講談社)。 しかも、コロナワクチンを標的とした地下活動がもしあるとすれば、爆弾や武器を用いる必要はなく、誰かに暴力を振るったり、誘拐したりするような他者への物理的な強制力を伴わない、至極シンプルで、ハードルの低いものです。プラグを緩めたり、引っこ抜くだけで済んでしまうからです。~
感情を理論的にできる人間がどれだけいるのか?と言う問題でもありますね。感情を勘定のままにしておく方が大半のような気もしますが、下記のように考えることが出来れば良いですね。
4いかに思考するか
感情は論理的である
このこととの関係で一言、付け加えておこう。「感情は論理的じゃなくて…………」と言う人がいる。けれども、それは違う。人間が驚いたり悲しんだり、喜んだり失望したりするその感情は、そのときに理由がわからなくても、実は非常に論理的である。
なぜ自分はそれに衝撃を受けているのか、そこには気がついてみると非常にはっきりした論理がある。感情の方が、中途半端に意識化されている理屈よりも、はるかに論理的である。
普通に言葉になるようなことは、しばしば、衝撃をごまかすために作られた理屈だったりするので、ほんとうの意味での論理性はない。むしろ、自分が最初に抱いた感情を大事にする必要がある。その感情に見合った論理になっているかどうかが重要である。
感情に論理がじゅうぶん拮抗できているかどうか。そういうふうに吟味しつつ、思考を進めなければならない。