うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

竹島水族館と、【人間は解剖学的に大人の類人猿よりも類人猿の胎児のほうに似ているという発見である。】


今日の日中は、蒲郡の楽笑さんに、名古屋フェアトレードに出品させて頂く作品を持って行き、竹島水族館に行きました。
小さな魚を真剣に見たり

 大きな魚に圧倒されたり

ウーパールーパー(正しい名前を忘れましたw)を見たりしたら、直ぐに時間になりました。



 丁度12時前に、帰り道で見つけた、かつさとさんに寄り、昼食を頂きました。
総勢6名で行きましたが、水族館もかつさとさんも混んでいて、同じテーブルに座れなかったので、一緒に行動させて頂いた方の写真しかないので、申し訳ありません。
 かおちゃんは、親子丼と豚汁のセット、おっちゃんはカツ丼とうどんのセットにしましたが、他の方々は何を注文されたのでしょうか?
お天気が良ければ良かったですが、入浴の時間もあったので、昼食後直ぐに戻って来ました。
 


 本は、早めに出てファミマで今日も読みました。もう少しで第二部の技法編に入ります。
貯金が沢山あるのですが、今日は、少し先の箇所のアップです。
色々と考えさせられたり、この地方独特の一次愛的な人間関係を思い出したり、本当に勉強になる箇所でした。
 なぜかバタバタしていて、色分けなどが大雑把になっています(笑)が許して下さい!

第七章 性器愛について(一九四七年)
 あらゆる教育の、もちろんわれわれの文明形態の教育の、使命の一つは、疑いもなく、人に愛することを教えることである。ということは、この融合を起こすように強制することである。われわれが性器愛と呼ぶものは、ほんとうは性器性(genitality)とほとんど関係がない。事実、性器愛は、(性器性とは)本質的に異なる何かを接ぎ木するための台木として性器性行動(genitality sexuality)を用いるにすぎない。要するに、われわれはやさしさと配慮と思いやりなどを与えるものと期待され、また、われわれ自身もそういうものを受け取ることを期待する。性器的欲求をも性器的満足をも感じないときもことは変わらない。このことは、たいていの動物の習性の反対である。動物は発情期のみ異性に興味を示す。しかし、人間は、自分のパートナーに対して永遠に尽きることのない興味と配慮とを示すはずだとされている。 配慮への要求がいつまでも続くのはヒトの幼児期が長いことと表裏一体である。動物は性的に成熟するとふつうはもう親に子としての愛着、感情的愛着を示さず、もっぱら強さと力に敬意を払うだけである。ところがわれわれは永遠の感謝を要求する。事実、人間は一生とはいわなくとも、両親が生きている限り、小児のままである。人間はいつまでも両親に対して愛情・配慮・敬意・恐怖・感謝の気持ちを持ちつづけるものと期待され、だいたいはそうしている。愛においてもほぼ同じことが要求される。すなわち永続的な感情の絆の延長が求められる。それを求め性器的な満足欲求が存在する期間だけでなく、その期間をはるかに超えてパートナーが生きている限り、いやその死後でさえも続くべしとされる。 この見方をとれば、われわれが「性器愛」と呼ぶものは文明が生んだ人工物であって、芸術や宗教と変わらない。人類は、その生物学的本性と欲求が何であろうと、社会的に組織された集団の中で生きなければならないという条件があって、それがわれわれに性器愛を強いているのである。さらに性器愛は二重の意味で人工的である。第一に、ほしいままな性的満足は(それが性器的であっても前性器的であっても)絶えざる妨害に遭い、それが快楽に対する外面的抵抗となり、成長すると内面的な抵抗ともなる。その結果、これらの抵抗を時には打破すべく情熱というものが発達するのである。第二に、永続的な変わらぬ配慮と感謝への要求が、われわれに、幼児期のアーカイックなやさしい愛情形態への退行を強いる。いや、時にはそこから脱け出せずじまいにさせられる。したがって、人間は、いわゆる“成年”に達しても幼児期の愛情形態のところに取り残されている動物という見方もできるであろう。 このことにわれわれが気づくずっと前に解剖学者が似た事実を発見していたのは面白い。人間は解剖学的に大人の類人猿よりも類人猿の胎児のほうに似ているという発見である。解剖学者の判決はこうである。人間は、生物学的に発達遅滞であり、構造的に胎児であり、事実、胎児化していながらしかも全面的な生殖機能が備わっている。動物界においては同様の例がいくつかある。胎児が真に発達した両性生殖機能を持っている。これらは幼形成熟胎児と呼ばれる。性器愛はこの形態と全く同じである。そこには幼児的な行動と完全な性器機能との連結がある。すなわち人間は解剖学的だけでなく精神的にも幼形成熟胎児である。