うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

今日の散歩と、アサギマダラと、【新生児の世界の最初は身体的な世界であり、幻想は身体的なできごとを心的な形に変形する乳児の試みの現れである。】

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 今日は、金曜日の散歩になり、ラッキーでした!

午前中だけでこれだけ歩けましたが、二人とも物足りない感じでした。時間制限があるので残念です.....。

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 アサギマダラが、沢山来ていると、みなさんいいカメラを持って来られていました!

それで、いつもは平日には少ないお客さんが、沢山いたのですね!

 花が好きなので、個人的にはフジバカマの方に目が行ってしまいます。

 

 

 自分の支援方法の基礎が、クラインなので、皆さんに力強く紹介したい一節でもあります。一番下にあるように、大人になっていても、乳幼児と同じ様な体験ができるというのは、現場にいて、自分もそんな感じになる時があるので、分かるような気がします。幻想と言う言葉の意味理解は、難しいとは思いますが、理屈だけで人間は生きているわけではないので、その逆の極にあるのかも知れません。突き詰めていくと、DNAレベルの話になりそうですが......。

 現在読んでいる、臨床人類学(クライマン)の箇所が、民間セクター・専門職セクター・民族セクターの詳細なので、どうしてもそれに絡めて考えてしまいますが、案外間違っていないような気もします。

 

2.メラニー・クラインの業績における本能、幻想、そして心理的深部構造

 ~クラインを論じるなら、幻想という概念から始めるべきだろう。なぜなら、それが彼女の思い描く精神-身体系の中心だからである。クライン(1952a)における幻想は本能の心的表象である。

 本能それ自体は生物学的な実体であり、それゆえ、幻想はひとの生物学性の心的表象である。その「心的な帰結」(Isaccs,1952)、すなわち幻想を生成するには、本能はある種の変形を受けねばならない。

 この変形を担っている心的機能単位がイドである。人間の生物学性の一部としての本能は誕生のときから存在し、イドはその変形機能を最初から営んでいる。

 新生児の世界の最初は身体的な世界であり、幻想は身体的なできごとを心的な形に変形する乳児の試みの現れである。

 大人になってからでも、幻想は最終的にはつねに、他者のからだのはたらきと内容とに関連した自分自身のからだのはたらきと内容についての思考と感情へとたどることができる。