うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

昨日と今日のうたたねと、殺された19人と、私たちとー相模原障害者殺傷事件5年と、【サービス提供者は、「この依頼人は本当に私を信頼しているだろうか。私のところへ来る前に、彼は〈あちらこちら別のシステム人の所を尋ね廻った〉ことを匿しているのではないか。報酬は支払うだろうか。」などと考えるのである。】

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 昨日は男子だけすろーの湯に行きました。イチゴとブドウに水を上げましたが、猛暑で毎日来てあげないといけないなと思いました。中々時間がとれませんが......。

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  夕方は皆さん風船などで遊ばれて楽しそうでした。自分は講義があったので夕方に帰宅しましたが。

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 今日は少し早めに出たら、またまたきれいな朝の月!うたたね駐車場では小さなタンポポが咲いていました。

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 女子たちがストレッチを自主的にされていました。まりちゃんは何とか毎日続いています!

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 夕方帰宅時も空がきれいでした!

 

 下記のニュースは自分にとっても重要なニュースです。ちょうど大阪に行く日でもあったし、大学院で学ぶことにも繋がりました。コロナ禍で授業を受けに自分だけ行けていませんが.......。色んな意見がありますが、自分はやはりまともに投影を受けてしまって、それを投影している方々にきちんと、その方々が分かりやすいように返すことが出来なかったのが、一番の原因だと思っています。植松を擁護する気は全くありませんが、周囲の方々が、特に管理者が支援者たちの管理をきちんと出来ていたなら、投影うぇお受け過ぎているから、少し休みなさいとか、その方と距離を取りなさいとかの適切な指示が出来たのではないのか?と、残念でなりません。対象関係論では、投影とは自分が嫌なこととかやってほしいことを相手に投影するとの認識のようなので、それを自分が出来る範囲とか、周囲に遠慮なく相談できる環境とかがあれば、バーンアウトだけでなく、現場での暴言・暴力等が激減するように思われるからです。そのあたりをきちんと出来ていないと、第二、第三の植松が何時、何処で出ても全く不思議ではありません。

 心理学化された社会と言われて久しいですが、精神分析化された社会にならなければ、ただ単にステレオタイプ的な人間を生み出すしか出来ないのでは?と、危惧しています。

 


 しばらくゴッフマンが続きますが、下記も自分達の現場を上手く言い表しているように思いました。


 ービス関係の在り様には、以上記述された様に、それ独自の論理がある。この関係に多様な前提が存在する以上、サービス提供者は、ただ報酬のみで依頼人が実際に必要としている専門的サービスを提供する者という自己の定義を立証しなければならない立場にある者である。

 依頼人は、社会には高度に有能な未知の善意の人がいて、彼らはこの有能さをただ謝礼のみで他人が心を煩わしている問題に役立つような仕方で提供してくれている、と信ずることができるのである。

 ービス関係の在り様はこのような純粋で高貴な鋳型にはめられている反面、われわれが高く評価している他の関係の在り様、たとえば家庭内のそれ、を補強している制度的裏付けに欠けている。

 たがって、この関係の在り方のそれぞれの側の権利と義務の枠組は、関係の当事者双方が適切に行動しているときですら、ある種、不安と疑惑の母胎になることがあるのだ。

 頼人は考える。「このサービス提供者は本当に有能だろうか。彼は私の利益のために行動しているだろうか。謝礼は高くはないか。慎重な人だろうか。私の所有物の状態を見て彼は密かに私を軽蔑しているのではないか。」(考えられうる欠点の右のような諸次元はそれぞれ、他の欠点とは併存しないことがあるので可能性の全体はきわめて大きい。)

 ービス提供者は、「この依頼人は本当に私を信頼しているだろうか。私のところへ来る前に、彼は〈あちらこちら別のシステム人の所を尋ね廻った〉ことを匿しているのではないか。報酬は支払うだろうか。」などと考えるのである。

 のような誰もがもつ不安の他に、いっそう〔状況に〕固有の不安が生ずることは予想できることだ。そのサービスコンプレックスが何のためのものか、つまりそのサービスの理念型およびモデルを知ると、それぞれの型のサービスがサービスーモデル一般の範囲で簡単に処理できないようなそれ自身に固有の難問を提起し、それぞれのサービスに特有の具体的問題を提示して来るのが納得できるのである。