うたた ka-gu’s diary

障がいをお持ちの方の、生活と余暇支援を行っている・NPO法人うたたのブログです

なんかええ感じと、香港活動家・周庭氏、12日にも出所 香港紙報道と、スティーヴ・クロッパー、最新ソロ作のインタビューでジミヘン/ブルース・ブラザーズ/アイザック・ヘイズとの逸話語ると、【「態度取得」とは、例えば新生児が自分の泣き声に対する他者の態度を取得することによって他者は反応を内在化させ、その視点から自分の泣き声の意味を自分の態度取得生理的な移入させる事態であるとする。】

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 寝込んでしまっているうちに(笑)6月もこんな日にちに!色々書類があるので焦っていますが、まあ仕方がないですね(笑)。今日はがぁ~!と書類作成を進めました!

 皆さん優しくて復帰は日曜日からでいいとのこと。嬉しいような悲しいような(笑)。自分がいなくても問題なく動くのなら、自分は本職に戻りたいですね。ネットで作品を売って生計をたてたいなと、老いぼれロッカーは思うのでした(笑)。

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 床に伏している間、最初は痛みに耐えるだけで(笑)、全く何も出来ず伏していることしか出来ませんでしたが、少しずつ回復してきたら、本くらいは読めるようになり、ビオンは読みかけでしたが、2冊読むことが出来ました。

 

 利根川先生の本は少し前のものですが、こんな前にこれだけDNAについて分析出来ていて、

抗体遺伝子の組み換えが出来るのなら、もういい加減コロナウィルスに対して......とも思いますが、相手も組み替えるので(笑)、変異種が出てきたらまたお互いの組み換えが始まってしばらくは堂々巡りでしょうか?

 

 ビオンの後期は、その精神分析の場自体がアートになっている気もしましたし、本当にクライエントに完全に同一化して、内部から逆に分析家(自分)を見ているようにも感じました。

 

 世界が注目する記事ですね!どの様な状態になって出て来られるのか、世界は見ています!


  少し元気になったら、サザンソウルやジャマイカ・スカ等など、モッズ系の音を聞いてました。下記は寝込む前にアップしていたものなので、少し前のものになってしまいましたね。忌野清志郎のギタリストのチャボさんはスティーブ・クロッパーをリスペクトしていたかのようなギターでしたね。

 新作『Fire It Up』はどのようにして生まれたのですか?

「意図的に作られたものではなく、ロックダウン中に生まれたものなんだ。1969年のデビュー作『With A Little Help From My Friends』以来の本格的なアルバムだと思っているけど、あれもとても自然発生的なものだった」

計画的ではなかったのですか?

「いくつかの曲は、3、4年前に作られたものだ。ジョン・ティヴン(共同プロデューサー、マルチ・インストゥルメンタリスト)が、それらを改良して新しいものを書くことを提案してくれた。僕は彼にシンガーを見つける必要があると言ったら、彼は“ロジャー・C・リールがいる。彼に2曲ほど歌わせて、それを送るよ”と言っていた。僕はそれを聴いて、彼に電話をした。“なんてこった、こいつは今までどこにいたんだ?” あんな風に歌う人は今まで聴いたことがなかった。彼は素晴らしいよ」

 

 

 ビオンの本では、達成言語がキーワードになってましたが、下記は態度取得がキーワードでしょうか?

 小泉英明先生の脳の科学史に、ミラー・ニューロンとミラー・システムの違いが書いてありました。ミラー・ニューロンの解釈があまりにも拡大し過ぎて、使い方に問題が出て来たようです。

3 ミード
 〜ーバマスの議論が身体離脱し、ルーマンの議論は主体を解体しているとすれば、主体の身体から出発するミード論は、さらにそこに介入する他者の作用を挙げている点で、最も可能性があると考えられるが、その可能性を具体的に見てみよう。また西原の批判を受けて、ミード論の問題点を具体的に検討してみよう。

 ード論のコミュニケーション論の鍵概念であり、コミュニケーションの行為の基礎講座、他者の「態度取得(taking the attitude of the other)」とは、字義通り「態他者の態度を自分に態度として取得すること」であるが、それは、全く生理的に、参加者の意図や自覚といった意識的回路とは無関係に(それ以前に)生じる過程であるとされる。

 ードは、新生児において書いた他者の「態度取得」の能力が保証されているとし、「態度取得」は自我意識に先行するものであるとする。

 度取得」とは、例えば新生児が自分の泣き声に対する他者の態度を取得することによって他者は反応を内在化させ、その視点から自分の泣き声の意味を自分の態度取得生理的な移入させる事態であるとする。